今日の東京新聞には、ドナルド・キーンの東京下町日記に、「東京五輪報道への違和感」が書かれています。
書き出しは次のようになっています。
「ようやく終わった。リオ五輪ではない。台風のような五輪報道である。」
まったく同感である。
さらには「まるで全体主義国家にいるような気分であった。」とも書いている。
だから、私も、この五輪報道には辟易していた。日本の選手がメダルをとればそれなりに嬉しいが、同じ場面が、どのテレビでも流される現実にはいやになった。
だから、私は、テレビ報道は、ニュースを見るのが主で、試合を見たくて早朝からテレビで見たのは、女子バスケットボールの試合だけであった。
4年後の東京五輪では、もう少し、冷静な五輪報道が望まれる。
書き出しは次のようになっています。
「ようやく終わった。リオ五輪ではない。台風のような五輪報道である。」
まったく同感である。
さらには「まるで全体主義国家にいるような気分であった。」とも書いている。
だから、私も、この五輪報道には辟易していた。日本の選手がメダルをとればそれなりに嬉しいが、同じ場面が、どのテレビでも流される現実にはいやになった。
だから、私は、テレビ報道は、ニュースを見るのが主で、試合を見たくて早朝からテレビで見たのは、女子バスケットボールの試合だけであった。
4年後の東京五輪では、もう少し、冷静な五輪報道が望まれる。