菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

「モンスターマザー・長野丸子実業”いじめ事件”教師たちの闘い」を知る

2016-05-29 17:23:00 | 日々の雑感
 私は、日曜日の新聞では、書評欄を読むのが好きです。茨城新聞では、正直、あまり面白い本は紹介していないが、東京新聞では、読みたくなるような本の紹介が多い場合がある。

 今日の新聞には、「モンスターマザー・長野丸子実業高”いじめ事件”教師たちの闘い」が紹介されている。

 いじめ事件と言えば、ほとんどが、学校の対応が悪いと決まっているようなもので、「なんで、もっと先生は、生徒に寄り添って、付き合いができないのかなあ」という思いを持っていた。
 生徒と普段から、部活動などで、「ため口」を聞いていれば、生徒さんのなま情報はいろいろ入ってくる場合が多いからである。

 新聞の本の概要だけではわからないので、インターネットでいろいろ検索してみた。

 裁判の結果がでているということで、どうやら、ウソの心配はない。

 いじめが原因で息子を失った母親が校長を殺人罪で告訴しますが、やがて衝撃に事実が明らかになっていきます。
 この事件は、息子の立場に寄り添った報道もされましたし、インターネットに、その立場での書き込みが見られました。
 実際は、いじめを捏造し、息子を自殺へ追いやったのは、その母でした。

 そして、その弁護士も弁護士会から断罪されています。

 丸子実業高校と言えば、長野県だけでなく高校野球などでも有名な高校です。こんな重大な事件であれば、私が見落とすことはないと思いますが、知らなかったこと自身がショックでした。

 いじめ事件がおきた時は、学校側に落ち度があった時は、大きく、マスコミは扱います。

 しかし、逆の場合は、そうではありません。
 モンスターマザーとなってしまった母親を、マスコミで取り上げて”批難”しろとは言いませんが、なにか割り切れないものを感じました。


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今日の街頭演説は、16か所です

2016-05-28 18:43:49 | 議会
 2日間演説を休んだので、体が軽い。
 幸い天気も、曇りがちで暑くはない。そういうことで、9時過ぎに家をでた。

 今日は、上小幡、下小幡を11か所やりました。上小幡では、南小幡の上の方で、いい演説場所を見つけることができました。

 日々、環境が変わっていますから、いつも回って、新しい発見をしなければなりません。

 まだ、時間があるので、東飯田の手面方面に行きました。ここでは、5ヶ所演説ができました。手面も、道が整備された部分があり、いつもと演説場所を変えました。

 この疲れ具合なら、午後からはできると考え、16か所で、終わりました。

 昼食を食べ、家に帰って、ブログを書くと眠くなって寝てしまいました。
 気が付いたら、もう4時前です。

 結局、午後の演説はできずじまいでした。

 


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吉村昭の作品の追加「間宮林蔵」

2016-05-28 12:59:45 | 日々の雑感
 私が、中学校時代に知った茨城県の有名人に間宮林蔵がいます。

 昨日のブログで、吉村昭作品の紹介は最後にしますと書きましたが、追加させて下さい。

 私は、小・中学校のころは、社会科が好きでした。地理も好きで、地図帳をよく見ていました。
 樺太とユーラシア大陸の間に、「間宮海峡」という日本人の名前がついた場所があり、すごいことであり、不思議でなりませんでした。

 だれも、なぜ、どういう経緯でついたのか、教えてくれません。

 茨城県人となった時、伊奈村が間宮林蔵の生家があると聞いていましたが、なかなか行く機会がありませんでした。

 ところが、地方選挙の応援で、つくばみらい市にいく機会があり、今年2月にも見てきました。小貝川のほとりにあります。

 林蔵は農民から身を起こし、幕府の役人として20年以上にわたって、蝦夷地で活躍しました。林蔵は、困難を克服して、1808年、アムール河口で、樺太が島であることを自分の目で確認した。

 これは、樺太は半島であるという定説を覆す大発見でした。
 
 そして、江戸にもどり、「北蝦夷島図」という地図を作製したのです。
 
 それだけでは、「間宮海峡」の名前は、世界には広まりません。

 実は、その功績はシーボルトによるものだと、吉村昭は、この小説に書いています。

 シーボルトは、伊能忠敬図などを海外に運んだとして、徳川幕府から追放されます。その中に、「北蝦夷島図」もあったのです。

 さらに、そのシーボルト事件の発覚は、隠密であった間宮林蔵の密告のよるものであると、言われています。

 日本を追放されたシーボルトも、間宮林蔵が密告者であるという噂は信じていたのですが、地理学上の功績は認めていたのです。

 オランダに帰ったシーボルトは、20分冊に及ぶ『ニッポン』の著書を書きました。その中に、「海峡発見を証明する地図」も挿入し、その海峡を「マミヤの瀬戸」と名付けていたのです。

 この本によって、世界的に知られることになりました。

 そして、「間宮海峡」が不動のものとなったのは、フランスの地理学者エリゼ・ルクリュの『万国地誌』によってです。

 この本によって、世界地図の地名に日本人としてただ1人間宮林蔵の名が刻まれたというのです。

 中学校以来の疑問が解けた瞬間でした。



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吉村昭の一番長い小説「ふぉん・しいほるとの娘」

2016-05-27 22:02:46 | 日々の雑感
 吉村昭作品の紹介もこれで最後とします。一番長い小説は、「ふぉん・しいほるとの娘」です。
 もちろん、幕末に長崎にやってきたシーボルトの娘の話です。
 
 シーボルトは、オランダ商館付きの医官・陸軍少佐として、日本にやってきましたが、オランダ政府から鎖国している日本の国情の調査をしにきた人です。簡単に言えば、スパイとしてやってきたのです。

 出島に居を構え、医学を教えながら、遊女の其扇と結婚し、生まれたのが「お稲」という娘です。

 その稲が、医者になり、その娘・タダという娘を産みます。

 吉村昭は、その執筆の動機としてこういっています。
 お稲の子どもは、お稲がシーボルトの門弟の岡山の石井宗謙と結婚し産んだ子となっている。
 実際には、石井宗謙に犯され、自分でへその緒をきって産んだ子であることがわかったからだど語っています。

 「定説というものがいかにいい加減かということがわかって書き始めたんですよ」と語っています。

 少し長いですが、お稲が長崎に生まれ、四国の宇和島で学び、岡山で学んで・・・・と最後は、高子(タダののちの名)が東京にでてからの話までつながっています。

 


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吉村昭の一番長い小説「ふぉん・しいほるとの娘」

2016-05-27 22:02:46 | 日々の雑感
 吉村昭作品の紹介もこれで最後とします。一番長い小説は、「ふぉん・しいほるとの娘」です。
 もちろん、幕末に長崎にやってきたシーボルトの娘の話です。
 
 シーボルトは、オランダ商館付きの医官・陸軍少佐として、日本にやってきましたが、オランダ政府から鎖国している日本の国情の調査をしにきた人です。簡単に言えば、スパイとしてやってきたのです。

 出島に居を構え、医学を教えながら、遊女の其扇と結婚し、生まれたのが「お稲」という娘です。

 その稲が、医者になり、その娘・タダという娘を産みます。

 吉村昭は、その執筆の動機としてこういっています。
 お稲の子どもは、お稲がシーボルトの門弟の岡山の石井宗謙と結婚し産んだ子となっている。
 実際には、石井宗謙に犯され、自分でへその緒をきって産んだ子であることがわかったからだど語っています。

 「定説というものがいかにいい加減かということがわかって書き始めたんですよ」と語っています。

 少し長いですが、お稲が長崎に生まれ、四国の宇和島で学び、岡山で学んで・・・・と最後は、高子(タダののちの名)が東京にでてからの話までつながっています。

 


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有田芳生参議院の「名前欠落」がツイッターで問題になっていますが・・・

2016-05-27 21:11:34 | 日々の雑感
 しんぶん赤旗の5月23日付1面記事で「参院選野党へVOTE」の記事に、写真の紹介に、4人の議員・候補者が出ていました。
 そのうち3人は、共産党の田村智子副委員長、山添拓参議院議員、民進党の山尾志桜里政調会長と名前を紹介されていました。ところが、1人だけ、(1人おいて)となっていたのです。

 そこで自分の名前が紹介されなかった民進党の有田芳生参議院議員がツイッターで抗議をしたようで、翌日のしんぶん赤旗に、訂正・おわび記事が出ました。
 
 「写真説明で、有田氏の名前が欠落しました。関係者におわびして訂正します」

 少し、共産党の事情に詳しい人か、新聞編集にかかわった人ならすぐわかるように、「一人おいて」と、わざわざ飛ばしたところは、現場記者のミスによるものではなく、編集するデスクのミスというか、それよりは意図的な過ちであったことは確かです。

 実は、有田氏の父は、元共産党の参議院議員であった人であり、有田氏自身も共産党に籍を置いた人です。私は何の事情で、籍を抜けたのかは知りません。

 今日のしんぶん赤旗は、取材メモの欄に、その経緯が書いてあります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「野党共闘の共同の機関紙」をめざして、幅広い市民の活動を繰り返し報道してきた本紙としては、あってはならないことでした。現場の記者によるものではなく、デスク作業のなかでおきたことも重く受け止めて、報道の質を高めるために努力していこうと、話し合っているところです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 昨日のしんぶん赤旗の1面トップ記事は、「1人区勝利へ4野党共同街宣」の見出しで、共産党の志位委員長と生活の党の小沢一郎共同代表が、手を握って両手をあげている写真が、大きく載っているのです。

 一昔前に、バックツー・ザ・フューチャーした人は、この写真をみたら、我が目を疑うでしょう。

 志位委員長は次のように挨拶をしています。
  
 「小沢さんは政界の大先輩です。これまではお互いに対立することの方が多かった。けれど、今は力あわせ一緒にたたかっています。それは安倍政権があまりに危険だからです。日本の政治に立憲主義・民主主義・平和主義を取り戻す。この一点で野党と市民が共闘して、未来に向かって大同団結しよう。」



 



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米大統領候補トランプ氏の暴論「米軍の沖縄駐留費を全額負担せよ」は、なんという錯覚か

2016-05-26 20:18:23 | 国際・政治
 アメリカの大統領選挙における「トランプ大統領実現?」が現実味をおびて語られるようになってきた。

 そこで出てきたのが、トランプ氏の「日本は、米軍の沖縄駐留費を全額負担せよ」の暴論である。

 しかし、冷静に考えてほしい。沖縄の米軍、アメリカ海兵隊は、日本を防衛するためにいるのではないのです。
 
 新聞、テレビの論調は、中国・北朝鮮の脅威から日本をまもるために、あんなに多くの兵士を、沖縄に駐留させている、というのである。

 過去の実績から見ても、北ベトナムの空爆をはじめ、世界での紛争に「殴り込み」をかけるために、海兵隊はいるのです。

 それは、アメリカ議会での証言をみれば明らかです。

 日本は、アメリカの駐留経費を一番援助している、「思いやり予算」までつけているのです。

 そこがわからないところが、トランプ氏の大きな錯覚ではないでしょうか。

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子どもの頃読んだ「ジョン・万次郎」と吉村昭著「アメリカ彦蔵」にみる漂流の真実

2016-05-26 18:39:47 | 日々の雑感
また、吉村昭作品について書きます。
できるだけ多くの人に、吉村昭作品を読んでいただきたいからです。

 吉村昭の一連の作品に、漂流記ものと言われる作品があります。
 私も小さいころ、ロビンソン・クルソーとスイスのロビンソンという本に、胸をわくわくさせた思いがあります。また、そのころ読んだ、ジョン・万次郎漂流記も思い出します。

 ところが、吉村昭の漂流物は一味も、二味も違うのです。とにかく、綿密に調べに調べて書いているので、漂流の実態、時代の様子などがよくわかるのです。

 私が推薦する漂流物の代表作は、「アメリカ彦蔵」です。

 彦太郎(幼年時の名前)は13歳の時初航海で、暴風雨にあい漂流し、破船漂流し、アメリカの船に助けられます。

 その後、アメリカに向かい、アメリカの船員に「ヒコゾ」と呼ばれることが多く、「彦蔵」と改名。
 サンフランシスコに上陸、清国に行くが、鎖国のため、帰国できず、再渡米。商船でボルチモアに、さらにワシントンへ、そこで当時の大統領・フランクリン・ピアースに接見。
  その後、ボルチモアで、生活。洗礼をうけ、ジョセフ・ヒコと改名。
  また、ブキャナン大統領とも会っています。

  日米和親条約が結ばれたことによって、9年ぶりに日本に帰国。日本では通訳として活躍。

  1860年、ふたたび渡米。大統領・リンカーンとも接見。
  先後は、日本に帰り、1897年、61歳で死去。
  
  生涯に、三代の大統領と会うなど、数奇な経験をした日本人です。

 一読の価値はあると考えますが、いかがでしょうか。


 
 

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今日は、午後だけ街頭演説を9か所やりました

2016-05-25 18:19:44 | 議員活動
 このところ、連続して演説すると、疲れが出てきます。
 そのため、午前中は、ブログを書いたり、室内の仕事をしていました。
 しかし、お昼を食べると、体が楽になり、また、何よりも、涼しいので、思い切って、街頭演説に出かけました。

 近い方をというので、大和地区の大曾根、東飯田を9か所できました。

 東飯田で話していると、大きな拡声器の声がきこえるではありませんか。私の宣伝カーに比べると、はるかに大きいのでです。

 「茨城県市民連合です」
 「戦争法をなくしましょう」
 と、言っているのです。
 
 どうも聞いた声です。
 真壁の小堀常雄さんの声です。

 桜川市でも市民連合ができた。真壁では、宣伝カーを仕立てて、連日、市内を走り回っているとは聞いていましたが、見るのは初めてです。

 東飯田の通りで、しばらく立ち話をして、小堀常雄さんとは別れました。

 

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茨城県民には、吉村昭氏の「天狗争乱」と「桜田門外ノ変」は必読書では?

2016-05-25 12:18:46 | 議会
 「桜田門外ノ変」は、社会科の教科書にも載っている有名な事件です。
 NHKの大河ドラマになった「花の生涯」は、原作は舟橋聖一氏ですが、殺された側の井伊大老の側から描いたものです。
 
 しかし、吉村氏のこの本は、襲撃現場の指揮者・関鉄之助を主人公に書いています。ですから、茨城県民には、ぜひ読んでいただきたいのです。

 吉村氏の調査のすごいところを1つだけ紹介しておきます。事件が起きた時は、雪が降っていたことは有名ですが、実際は、どのくらいの雪であったのか。斬ったあと逃げる足跡がはっきりわかるような深い雪であったのか、それと、午後には溶けてしまうような淡雪であったのか。
 そこまで調べて書いているのです。

 関鉄之助の最後は、袋田温泉に隠れていて、越後にのがれ、雲母温泉で捉われて、水戸をへて、江戸に送られ、斬首されたというのが、水戸藩史料になっているそうです。ことろが、吉村氏の調査では、それはちがうということを明らかにしています。

 もう一つの作品は、天狗争乱です。
 私は、天狗党のことは、茨城に来るまで知りませんでした。私が真壁高校に赴任して間もないころ、真壁地域でもメーデーの集会がありました。
 茨城県高等学校教職員組合を代表して、挨拶に行けとのことで、真壁町真壁の新宿にあった真壁館という映画館へ行きました。

 そこで見た映画が、山本薩夫監督、仲代達也主演の天狗党の映画でした。主人公は、真壁の仙太郎という人物で、天狗党の目的に感動して参加した主人公が、あまりの天狗党隊員の狼藉に絶望して、離れていくという内容であったように記憶しています。

 吉村作品は、水戸天狗党の「栃木町焼撃事件」からはじまります。一時は勢いがよかった天狗党も、人心が離れ、あとは逃避行が始まります。その様子が克明に描かれています。
 今も、天狗党の足跡をたどる行事が行われています。

 「天狗争乱」と「桜田門外ノ変」は、茨城県民には、必読の書ではないでしょうか。


 
 
 

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6月議会は6月14日(火)からです

2016-05-25 11:40:03 | 議員活動
 6月議会は6月14日(火)からです。
 私は、昨日、午後3時過ぎに一般質問の通告に行きました。今回も、受け付けは1番目だと思っていましたら、なんと2番目になってしまいました。

 午前中、街頭演説をやって、午後から行っても1番目になるだろうと考えていたのは甘かったようです。
 
 1番目は、午前中通告に来た林悦子議員とのことでした。

 桜川市は、一般質問される方はあまり多くないので、受付争いは激しくありません。
 お隣、筑西市は、議員の3分の2の方が発言されますから、どの順番になるかは重要です。たとえば、ほとんどの議員が、筑西市の重要課題である「新中核病院問題」を取り上げます。どなたが質問しても、ほとんど同じ内容になってしまうそうです。そうしますと、答弁も「先ほどの議員さんにお答えしましたように・・・・・」となってしまいます。

 ですから、筑西市では、選挙立候補のときと同じように、受付日の8時半には、7〜8人の列ができ、抽選で受け付けているという話を聞きました。

 また、笠間市では、いつも同じ議員が、同じ課題で、一番目に質問をしていました。そうしたら、他の議員から不満がでて、話し合いの結果、全員受け付けてから、発言順は抽選で、ということになったそうです。

 また、一般質問の発言時間も議会によって様々です。
 桜川市議会は、質問と答弁を含めて1時間となっています。

 筑西市は、一般質問者が多いため、往復(質問と答弁)30分となっているそうです。

 坂東市では、片道(質問だけ)30分となっているそうです。
 これは、答弁を異常に長くして、質問をさせないことを防ぐための予防策です。

 議会というのは、独特のルールに基づいた政治闘争の舞台です。
 一般質問は、あらかじめ、質問内容を知らせておき、答弁を引き出すものです。
 シナリオのある舞台とも言えます。
 
 国会をみても、代表質問は、シナリオ通りで、あまり面白くありません。

 その点、委員会審議は、何が飛び出すかわかりませんから、聞いていても、見ていても、面白いのです。

 私の通告した一般質問の質問項目だけ、お知らせいたします。

 ,気らがわ地域医療センターの進捗状況について

 ▲泪ぅ淵鵐弌璽ードの発行について

 JR大和駅北地区開発について

 ぢ斥杆発電設置条例の必要性について

 ナ〇礇魯鵐疋屮奪の発行について

 障害者差別解消支援地域協議会の設置について

 納税の申告場所が一カ所になった経緯について

 ┣善センターなどの名称改善について

 筑波山真壁町羽鳥地域の松枯れ対策について

 今回の一般質問は、9項目と大変多くなっています。これは、答弁者(部長級)が1人を除いて、全部が初経験者ですので、答弁の機会を持ってもらうよう配慮して多くしました。

 私の発言通告は2番目ですので、6月14日(火)午後1時半ころが、発言になると思います。傍聴の方、よろしくお願いします。



 

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今日は源法寺・下谷貝方面で街頭演説

2016-05-24 14:55:39 | 議員活動
 天気予報は、昨日より気温は低いという予報でした。その通り、日差しはあっても、風が吹き、それほど暑いという感覚はありませんでした。

 源法寺・須津賀は、特に道が狭く、いつも演説場所をさがすのに苦労します。たまには違った場所でと探していましたら、1か所見つかりました。

 今まで大きな木をあったところを、切ってしまったところです。
 大きな木が7本あったところです。
  

   

 切り株の大きさを見てください。


 


 


 近くにいたおばあちゃんに、
 「いや〜 すっかり風景が変わってしまったね。これだけ切るにはたいへんだっだでしょうね」

  「そうでもなかったよ。大きな機械を入れたので、1日できってしまったよ」

  「いや、そうでなくて、お金の方ですよ」

  「それは、大変だったみたいだね」

 これだけ木を切ってもらえれば、スピーカーの声の届くこと、届くこと。
 新しい演説場所を見つけました。

 その後、細芝をまわり、下谷貝に行きました。谷貝の方をやるのは久ぶりです。
 真壁のシルバーセンターで一休みして、今日の日程は終わりです。

 午後からは、議会事務局の方へ、6月議会の一般質問通告に行くためです。

 6月議会の日程は次の通りです。

  6月9日(木) 議会全員協議会

  6月14日(火) 6月議会初日

  詳しい日程は、6月9日の議会全員協議会で決まります。

 
  


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今日の街頭演説は、やっと10か所。でも累計400ヶ所を越えました。

2016-05-23 16:52:57 | 議員活動
 今日は暑いという予報がズバリ当ってしまいました。
 桜井で2ヶ所、原方で3ヶ所、塙世で5ヶ所演説をやり、昼休みをとりました。

  塙世では、教え子さんにあい、立ち話になりました。
 「たまにブログを見ているが、あまり休まないで書いてよ」と別れ際に言われてしまいました。
 「3月の初めは、インフルエンザにかかって申し訳なかった。心身共に充実していないと書けないんだよ」と言い訳をして、謝りました。

 午後も演説をする気でいたのですが、家に帰って昼寝をしたら、もっと暑くなってきたので、やめにしました。

 そんなわけで、10ヶ所しかできませんでしたが、やっと400ヶ所になりました。


  

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アメリカ・オバマ大統領がいく「広島・伊勢」の思い出

2016-05-23 07:54:25 | 日々の雑感
 今、アメリカのオバマ大統領が行くということによって、広島・伊勢が注目され、テレビでも注目されている。

 奥さんは、「どちらも行ったことがない」とぶつぶつ言っている。
私は、もちろん行ったことがある。すべて、修学旅行で行ったのであるが・・・・。

 私は、高校教員のとき、3回学年主任をしました。学年主任をしていて何が一番大変か言うと、それは修学旅行です。

 広島・伊勢の思い出でを紹介します。

 広島の修学旅行は、原爆資料館を見た後、宮島にわたり、一泊します。
 生徒がプロレスごっこをしていて、ケガをしてしまいました。ソレッ!、救急車といっても救急車はないのです。それで、船を出して、広島へ渡ることになったのです。
 
  これはこれで仕方ないのですが、救急艇を出す事故が翌年も起こったのです。

 これは、男子生徒が女子生徒の部屋へ遊びに行こうと、3階の窓伝いに渡っていて、落下ししてしまったという事故です。
 当時の担任にその話を聞きますと、「落ちたー!と声を聞いたときは、目の前が真っ白になったと言っていました。
 さいわい、その生徒は、松の木に引っ掛かり、一命はとり止め、修学旅行生とは一か月遅れて、帰ってまいりました。
 それ以後、その学校では、広島方面に行くことは、私がいる間はありませんでした。

 250人近くの生徒を引率して旅行に行くとき、一番気を使うのは、生徒間同士のトラブル、一般のお客さんとのトラブルです。私の学校の生徒が、迷惑をかけるに決まっているからです。
 
 そこで、最後の勤務校では、できるだけ他の学校が行かないコース、場所、時期を選びました。

 そんなこともあり選ばれたのが、伊勢志摩、スペイン村、鈴鹿サーキットのコースでした。今はどうかは知りませんが、当時(2010年ころ)は、伊勢志摩・スペイン村は、修学旅行のコースに選ぶところは、ほとんどありませんでした。

 おかげで、日帰りの遠足の学校とは行き会いましたが、修学旅行の団体とは行き会わず、トラブルもない修学旅行となりました。一番最後は、鈴鹿サーキットの自動車レースコースを観光バスで走るという体験で終わりました。

 今、テレビで伊勢志摩、広島が脚光を浴びているので、こんなことを思い出しているので書いてみました。





 
 

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吉村昭の「白い航跡(高木兼寛)」と板倉聖宣の「模倣の時代」と脚気病

2016-05-23 06:54:39 | 日々の雑感
 みなさんは、脚気病というのを知っているだろうか。
 今ではビタミン不足からおこる病気ということはわかっているが、日清・日露の戦争のころは、その原因が分からず、当時の医師の間では、大論争となっていた。

 脚気病は、一般社会でももちろん、怖い病気でもあったが、特に集団生活する場所では大量に発生した。

 つまり、軍隊で多くの兵士がかかったのです。日清戦争では、戦争死より、戦病死が多く、とくに脚気病による死者が一番多かったのです。
 もちろん、この事実は、「軍事機密」として、一般には秘密にされていた。

 陸軍医師・森林太郎と海軍医師・高木兼寛の違いを描いたものです。

 森林太郎(作家・森鴎外のこと)は東大を卒業後、ドイツに留学・当時の細菌学の権威・コッホのもとで学んだ。

 一方、高木兼寛は、イギリスに学んだ医師である。高木兼寛は海軍医師である。

 集団生活をする場所として、もう1つ、刑務所があった。

 刑務所では、白米はもったいないということで、麦飯であった。
 白米を食べる、軍隊では脚気病が大量に発生し、麦飯を食べる刑務所では脚気が発生しない。

 この違いに注目したのが、高木兼寛であり、海軍では麦食を導入することにより脚気病の発生を防いだ。

 「脚気菌」の存在を信じていた森林太郎を中心とする陸軍は、相変わらず、白米食をやめなかった。

 ドイツに学んだ森林太郎とイギリスに学んだ高木兼寛の違いを、「白い航跡」は描いている。

 しかし、東京大学がこの過ちを認めたのは、板倉聖宣が書いた「模倣の時代」が世に出てからである。

 板倉聖宣は、私が学ぶ仮説実験授業の師匠であるが、1970年代に、国立教育研究所の物理研究室の室長を勤めながら、「脚気病の歴史の研究」をしていた。
 茨城県の教育委員会が主催した研究会に講師として派遣されてきたとき、私は、直接、「脚気病の歴史の研究の内容」を聞いた。

 もちろん、話は大変面白く、勉強になったが、一番の感想は、「国立教育研究所の物理研究室の室長」が、社会科のような研究をしていて、「文句を言われないかな?」と言うものだった。

 脚気病の研究は、ビタミンの発見を待たなければ、本当の解決には至らなかったが、「麦飯を食べれば、なんだかよくわからないが、脚気がでない」という事実を重視して、いち早く、麦飯を採用した海軍と、あくまで「脚気菌」の存在にこだわって大量の脚気病による死者を出した陸軍。

 その違いはなにか。「先進国を模倣することで、アジアでは一番発展してきた日本の生き方が、曲がり角にさしかかってきている」ことを書いたのが、板倉聖宣の「模倣の時代(仮説社刊)」です。

 余談ですが、この本が発行されたとき、森鴎外を尊敬する多くの文学愛好者から、板倉氏のところに、抗議の声が寄せられたとのことです。

 

 

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