続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『約一時間片目を近づけて(ガラスの裏面から)見ること』

2016-10-18 06:40:24 | 美術ノート

 『約一時間片目を近づけて(ガラスの裏面から)見ること』

 ガラスの裏面…この作品を実際見たことはないが、表裏どちらからも同じように(逆向きではあるけれど)見えるのではないか。(裏面から見ること)というのは不思議な言い方である。表があって裏を見る、鑑賞者は作品の裏面に回るが、多分同じものを確認するに過ぎないのではないか。

 上方に描かれた四角錐の色の濃い部分(三角形)は前に出ているようにも後ろにあるようにも見える錯視がある。
 角柱の錐の頂点は、接点を持つ線の支点にも見え、左右の丸(円形)の均衡を保っているような感を抱かせる。そして、今しも落下を予期させる未来の時間を含んでいる。
 角柱の立地点は斜めの平面に見え、ガラスの面とは異なる面を見せている。

 つまり、経験(情報の集積)からくる錯覚を盛り込んだ作品である。表裏どこから見ても、種も仕掛けもない。しかし、ガラスという平面から飛び出す錯視が鑑賞者の目を否応なく刺激する。しかも、左右の目を片目づつ開けて見ると、物の位置が移動、動くのである。

 《見る》とはどういうことだったのか。
 見えることは有るということである。
 では(錯視・幻視)は、存在だろうか。《無》を《有》と確信する不安定な眼差しを持つ、人間存在の不確かさ…。
 揺れ動く錯視もまた現実には違いない。人の目の不確かさの確認のために、『約一時間片目を近づけて(ガラスの裏面から)見ること』を指示したのかもしれない。


(写真は『マルセル・デュシャン』美術出版社刊)

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