続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

電話。

2013-04-15 07:10:25 | 日常
 土曜日になると孫に電話をする。可愛いから声を聞きたいという気持ちからだけではない。
 人に状況を伝える、伝達意識の向上を知りたいという実験的な試みもないことはない。

 三才の孫が、どんな風に言葉を選び、自分の日常の断片を言葉のみで相手に伝えることが可能になっていくかを実感して行くのは楽しい。

「朝は、パン」から「朝はパンを食べたの」そして「パンにクリームみたいなものをつけて食べたの」という風に変化していく。

 幼児の成長は早い、瞬く間といっても過言ではない。その変化の一端を電話という器機で愉しんでいる。
「お父さん、洗濯しているの」
「・・・」
 お父さん(息子)も頑張っている。


 今思うと、人の一生などあっという間の出来事のような気がする。その中での喜怒哀楽、その振幅がどんなに大きくても天命と甘受し、自分自身を生きて行く義務と権利がある。

 耐えられない辛酸はない、どんなときも逆転のステージが待っているのだという希望を抱いている能天気なわたし、今は現実的に転倒の危機だけは避けたいというに留まっているけれど。


 片言を話す孫、その一生には付き合えないけれど、こうして巡り合えた幸福を週イチくらいの電話で満たしてもらっている。

『セロ弾きのゴーシュ』59。

2013-04-15 07:00:48 | 宮沢賢治
つかまえてドアから飛ばしてやろうとゴーシュが手を出しましたら、いきなりかっこうは眼をひらいて飛びのきました。そしてまた硝子へ飛びつきそうにするのです。ゴーシュは思わず足を上げて窓をぱっとけりました。

☆非(正しくない、間違っている)衆(人々)を推しはかり、含むが秘(人に見せないようにかくす)。
 批(是非を判定する)の死は、惻(心を痛める)常なる諍(論争)である。

『城』1243。

2013-04-15 06:25:24 | カフカ覚書
 空気は十分入れ替えてあったし、ストーヴは、よくあたたまり、床は、洗いたて、ベッドも、きちんとととのえてあった。女中たちの持物であるあのいまいましいがらくた類も、例の絵をもふくめて、どこにも見あたらなかった。

 空気/Geluftet→Gelubde/誓い、祈願。
 ストーヴ/Ofen→offen/開かれた、自由な。
 よく/reichlich→rachen/復讐する。
 床/Fussboden/Fesseborden/束縛、根底。
 洗いたて/gewaschen→Gewasch/無駄話。
 ベッド/Bett→Bitte/願い。

☆幸福な祈願、開かれた復讐への熱望、束縛の根底は無駄話にある。願うは権力による事件も憎むべき不要物も、彼を形作ったことをも含めて無駄なことだったのだ。