夏に入る

2006年04月28日 | 季節を感じて ‥一期一会
 
 和清の天からしたたる新緑にさそわれて、どこまでも、どこまでも歩いてゆきたくなる季節になりました。天候は不順で、ときおりにわか雨や雷雨になるけれど、ひと雨ごとに色を深める木々の緑に、あぁ夏が来るな、と思います。

 この春はたびたび寒のもどりがありましたね。お彼岸のころに手がけるはずだった更衣(ころもがえ)がずぅっと先延ばしになっていたのですが、先日ようやく済ませました。クリーニングしたコートにカバーをかけ、ニットを数枚ずつ薄紙につつみ、中に防虫剤をしのばせた後、半年間押入れに眠っていた綿や麻の衣服を取り出すのは、こころの浮き立つ楽しい作業です。

 風踏んであそぶこころや更衣 (中條 明)

軽く肌ざわりの良い綿麻の衣服を身につけて遊ぶ気持ちは、「風踏んで」よりも「薫風まとい」と表現したくなります。


 京都を歩くのも、八重桜の散り始めからこの季節がいちばん好きです。若楓、緑さす水縁、さながら絵巻物のような葵祭の麗色、光琳の描いた燕子花(かきつばた)、うるおう苔の緑。春から秋の、ときに天候に嫌われる祭事や、花にあふれる人の波、暖冬に色褪せる紅葉には落胆しますが、この季節の、生まれかわったような古都のみずみずしさはけして裏切りません。
 中で、水ぎわの楓の新緑ほど美しいものはありません。糺(ただす)の森や清滝の清流、龍安寺や勧修寺の古池に映る木々の緑‥、水面に新樹の冷ゆるを見るのは涼しいものです。悠久の都に、美しい水は欠かせない要素にちがいありません。

  水涼し木があれば木の影を容れ (大串 章)

水面近くを錦鯉がゆらゆらと波紋を描きながら泳ぐのを見れば、和菓子職人でなくても、すきとおった寒天に若楓の葉や錦鯉、鮎などを封じ込めた夏の涼菓子を作りたくなります。その菓子に、わたしなら(勝手な造語だけれど)「水楓」と名づけましょう。
 でも、なぜでしょう。この清涼感を称えた秀歌が見当たりません。涼しげな「夏衣」を詠んだ歌にあふれる光と緑を想像するくらいでしょうか。光がみち、生命力あふれる若葉時は、「無常」や「もののあはれ」などから無縁だからなのでしょうか。

 五月は若いものだけに許された季節のようだ、と鏑木清方は書いています。母親に見守られながら、元気いっぱいに青草を踏んでかけまわる子どもたちの姿を追うわたしも、緑蔭にやすらうひとときにほっとする年ごろのようです。


 そうそう、そろそろ新茶を買いにゆきましょう。
 みなさまも、どうぞよいゴールデンウィークをおすごしくださいね。
 
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若芽に萌えて (紫草)
2006-04-28 16:49:48
緑の眩い季節がやってきて、庭に佇んでいると、彩かな色彩に包まれ長閑な時が流れてゆく。馬酔木、楓、コナラ、躑躅、満天星、夏椿、白雲木、その他、草花を数えると数百種に成るのでしょうか、草木が若葉の交響詩を奏でているようだ。♪

みずみずしい気分に誘われて、裸木だった木々が幼葉からみどりを深めて行く中で、毎年繰り返す移ろいであるのに一枝一葉が何でこんなに美しさが増して行くのだろう。

「常ならん」心の替りを、草木が教えてくれているのでしょうか、己の命ある限り?



西行の歌に、「花を染む 心のいかで 残りけん 捨て果ててきと 思ふ我が身に」      



ふと昔、読んだ一冊の本を思い出し再読いたしてみました。

『立原正秋著(夢は枯野を)』作庭家(加瀬雄策)と(志田水江)とが織りなす男女の情愛を重ねながらも執着と妄執に苛まれる物語ですが。  

第二章「木」で、冬から春にかけては裸木が美しい季節だった。・・・「そして春になり新芽をふく、この移り方が加瀬には美しかった。常緑樹にも美しさはあったが、落葉樹のような潔さがなかった。いつまでも垢をおとしながら綿々と生きのびている、そんな風に見えることがあった。」                          

今日はすっかり垢を落とし若芽が陽ざしを浴び萌えているのです。



何故、小説家立原正秋の文章を取り上げましたかと云いますと、自然の草木に対しての

審美眼と人の心の蠢きを鮮やかに照射し繊細な描写で描かれているからです。例えば小説「残りの雪」では、満開の桜の季節に始まり、春を告げる水仙の花に至まで63種の植物が描かれ、四季の推移を彩っている。

また「日本の庭」のなかで現代の作庭家として小形研三(1988逝去)氏を取り上げておりますが、彼の作庭理念は、「住まいの庭は、まず美しく、見る人の心をなごやかにさせるような空間でありたい。あまり理屈ぽかったり、表現過剰であったり、見る人を考え込ませるようなタイプの庭は、少なくとも住まいの庭として避けるべきではなかろうか」と。拙庭は氏の作ですが、今日でも「夢は枯野」を彷彿し、石・木・水・露地・流・風・が逍遥し心を染めてくれます。



この小説の表題は松尾芭蕉の最後の吟「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」を想起させる

芭蕉は大阪の旅舎花屋で元禄7年(1694年10月8日)にこの句を詠み4日後に死去した。



追伸― 雪月花さんにお尋ねしたいのですが、その後、立原潮氏の消息はご存知でしょうか、自分も数回店にお邪魔しておりますのですが、先日、yufukuに電話を入れ尋ねたのですが教えてくれませんでした。もしお解りでしたらお知らせください。メールにてお願い致します。                   

NOはセブンアンドワイ8071-6193-15030をお調べになって下さい。

京愛でし人へ。 (道草)
2006-04-28 18:46:44
 わが家のささやかな庭の片隅で卯の花が綻び始めました。陰暦卯月は別名「夏初月(なつはつづき)」とも呼ぶとか。「山里は卯の花垣のひまをあらみしのび音もらすほ時鳥かな(加納諸平)」。日毎に濃くなる緑の中には白い花が多いようです。一人静はひっそりと散り初めましたが、草苺・雪笹、雨処・山芥子など小さな庭には小な花ばかりです。二、三日前から、山査子の際立つ白さが目立ち始めました。

街へと出れば、御室の八重桜も散って京都を囲む三方の山は青葉に萌えています。五月は葵祭があるとはいえ(そういえば、葵祭の日は雨がよく降ります)、夏の祇園祭との狭間で、暫くは静寂が戻るころ「菖蒲葺きし軒にかぶさる大文字山(村山古郷)。山の「大」の字も、今は静かに眠りの時間です。

釈迦に説法でしょうが、もう少し。

 青葉なら鴨川沿いや二条城周辺の堀川沿い、それと中書島は寺田屋付近の柳の緑がいっそう濃くなります「葉柳の寺町過ぐる雨夜かな(加舎白雄)。そして、南禅寺から東山通りを北へ、永観堂・若王子神社・法然院・銀閣寺などの古社寺の緑「歩きては憩ひて水の若楓(渡辺水巴)」。これは、雪月花さん命名の「水楓」と呼ぶのがふさわしいかもしれません。

 なるほど、清涼感溢れる歌は意外と少ないのでしょうか。五月は躍動する木々の生命感に圧倒されて恐い、と言う人があります。「むらさきに匂へる山よ透きとほる水の流れよ見あく時無き(橘曙覧)」。それとも「一夜ふりし雨はれにつつ橡の樹の若葉もろなびく朝風ぞ吹く(斉藤茂吉)」。いっそのこと「鳴る風に双手ひろげ樟の木の青葉の太郎若葉の次郎」・・・どうもやはり現実の青葉に任せ方がよさそうです。

 しつこいようですが、嵯峨野の緑も欠かせません。洛西は洛南の地とともに、まだまだ田園風景が残されています「苔寺へゆく道問ふや麦の秋」。もしかして、麦刈りの光景に出逢うかもしれません。その前に、五月二日は八十八夜。茶所宇治田原・和束の里の散策は如何でしょうか。

「宇治浅酌」    柳沢健

月がかゞやく、流れのうへ、砂のうへ、

松の葉越しに、この涼しい微風、

私は軽く盃を脣(くち)にあてながら

青碧にかすむ宇治川の対岸をながめる。



遠い所を汽車が通る・・・かすかにそこらが動く、

ほつかりと泛(うか)んでゐた月が、

またひとしきり細い雲を香気(にほひ)のやうに散らす、

ふと私の心のなかで過ぎたことがうかびだす・・・



ちいさなおし鮨、指ほどの河えび、鮎、二つの青しやうが

私は食卓のうへを眺めながら、  

冷たい流れのことを、美しい畑のことを、

笑顔のやうに悦(たの)しく思ひいだす。



私は盃をさしいだす、なみなみと充たされる酒、

それに、ほゝえむ眼とからまるやうな京の言葉、

私のまはりを揺れうごく白薔薇のにほひ、

おゝ、月がしのびやかに盃のなかに顔に手にひざに・・・



ちょっと横道へ外れ過ぎました。連休中の時間潰し(そんなもの無いでしょうが)の折にでもと、お詫び申し上げます。

Unknown (道草)
2006-04-28 21:30:46
*脱字がありました。



青葉に任せた方がよさそうです。

京都を愛する心 (G3:橘 正弘)
2006-04-29 06:55:04
お久しぶりです。昨夜遅くに帰宅して、「夏に入る」を拝見し、しみじみと季節の移ろいを感じました。いつも瑞々しい文に魅せられて、京都(国と郷土)を愛する心を甦えらせています。きょうは「みどりの日」、この日にちなんでエントリーしましたが、最近、「宇野千代症候群」とでもいうのでしょうか、詩想が失せたようで思うように表現できず、雪月花さんの記事の一部を拝借させていただきました。ご寛恕ください。「国と郷土を愛する心(態度)」を表すために、玄関に日の丸を掲げて仕事に出かけます。すばらしいGWでありますように。G3:橘 正弘拝
大和路を行く (ささ舟)
2006-04-29 07:45:54
雪月花さま。きのう大和の長谷寺と岡寺に詣でて来ました。万葉の歴史を感じさせる、天香久山、畝傍山、耳成山の大和三山は薄く霞んでいました。長谷寺は牡丹ではあまりにも有名です。約千年前、唐の皇妃馬頭夫人が長谷観音のご加護に感謝して牡丹を献木されたそうです。百五十種、七千株に及ぶ日本一の牡丹園です。ところが今年の寒さで花はまだ蕾が殆どでがっかりでした。京都の清水寺の舞台程は大きくありませんが、さの舞台からの眺めは、若緑の木々で絶句しました。一方岡寺は、境内の山々はシャクナゲが満開で若楓、山吹、シャガなどの色と相まって優しいお寺でした。久しぶりの大和路を遊んで参りました。

雪月花さま、私も冬物から軽やかになるこの更衣は歌まど口ずさみながら・・・大好きです。
薫風自南来 (uragojp)
2006-04-29 09:27:44
いよいよ風薫五月も目前、にわかに新緑の美しい候になりました。ついこの頃まで咲き誇っていた椿たちもいつのまにか新しい葉をだし、庭の草花たちが出番をまっています。

「炉」から「風炉」へ、炉ふさぎをして、風炉の準備に大童のこのごろです。

「風炉点前 北窓に心 転じけり」 静 嘉

茶花も籠花入れなどにこころひかれます。

「夏にいる・・」いつもながらの雪月花さまの文才には敬服しています。

GWに2~4日と上京しますが、美術館にも足をはこびたいし、いずこも人出が多いでしょうね。

雪月花さまも素晴らしいGWをお過ごし下さい。♪♪♪
五月の空の下 (青い空)
2006-04-29 11:40:29
雪月花さま

薫風が画面を通して薫ってくるようです。この季節は、水辺も大きな脇役のように感じます。美しい文と画像、すっかり陶酔の時の間。



前回は、長い長い自分勝手なものを投稿しましたこと、お詫びいたします。



(五月は若いものだけに許された季節のよう)

私は(個人的な話で申し訳ありません)数年前から、五月はいつも体調を崩すようになりました。新緑に惹かれて近づいた蟻ンコが一陣の薫風に地面に叩きつけられ、そのまま動けないような・・・そんな悲しい(体力的に)思いの時でもあります。

今朝はタンポポの綿毛(子供の頃に比べ

タンポポが野に増えたと思います。そして後の綿毛になったものが、花のように群生していました。花?かと思い、たくさん摘んで来ました。もちろん家についた時は

花?は無くなっていましたが・・・。

大人の私は花?の散る事を知っている。

しかし、子供のときタンポポ綿毛を花と思って摘んで帰り、一つも残っていなかったら「わあわあ」泣きじゃくったのではないかと、ふと思ったりしました。

へんな、話をお聞かせしました。

タンポポの綿毛一部欠け全部欠け(k)

五月の風 (みい)
2006-04-29 21:59:07
やさしくてさわやかな五月の風に吹かれている心地がして、何回か読み返してしまいました。

美しい日本語って、ほんと素敵ですね。

我が家の「夏に入る」は、毎年渡ってくる燕との再会です。今年もやってきて今、抱卵中です。脅かさないようにそっと、見守っているところです。やがて雛が顔を出すのを楽しみにしています^^

ゴールデンウイークは、若葉から元気をもらいに、出かけます。
いつか (櫻灯路)
2006-05-01 12:44:06
 あれはまだ春浅き頃でしたね 今頃はハンカチの樹に白い花のような葉っぱをつけている頃でしょう 二輪草が群生し 花梨の淡桃色の花が咲いているかも知れません 映画『外科医』で撮影に使われた躑躅の小道も 様々な躑躅の花で埋め尽くされている筈です 去年満開の櫻の頃行った時 晴天なのに 凄い強風でした 見事な花嵐で 息も出来ないくらい 太白も 鬱金も 天城吉野も みな風に舞っていました こんな花嵐は滅多に観られない 何とかして 貴女に連絡をとチラリと思いました 今日は窓辺から皐月晴れの風を入れ 誰に着せる当てもない和服のデザインを 次の間の和室に 三椏の和紙をいっぱい広げて 独りで楽しんでいます 時の流れの速さを 今は拝復の見込みに換えてみましょう 絵は三春の瀧櫻を選んでおります
紫の裾濃、藤の波 (雪月花)
2006-05-01 17:57:26
ゴールデンウィーク前半は天候に恵まれた行楽日和でした。みなさまはいかがおすごしですか。本日の東京は最高気温が28℃の夏日となっていますが、明日は一転して四月中旬の気温にもどるようです。

いまも日ごとに草木の成長が見られ、わが家の近くの梅林の木々に、もうたくさんのちいさな梅の実がついています。まだ若くて、頬を紅く染めた梅の坊やたちと語らうのは楽しいものです ^^ また、端山を散策しながら、ふと足もとにこぼれている紫の花弁から、頭上の木々にしずれる藤の花を発見することもあります。



 空間に夢をとどめてほのぼのと若葉にこもるむらさきの藤

 (『草木と共に』 窪田空穂)



GW後半は、花房の長さが40cm~1m以上にもなるという藤の花の苑を、家族と見にゆく予定です。



> 紫草さま、

お邸の庭は万緑のごようす、お茶も風炉の季節になりますね。ほんとうに、緑が交響詩を奏でるとは、この季節のことでしょう。わたしが立原正秋の『日本の庭』(新潮文庫)を案内役に京都の庭を見て歩いたのも、ちょうどこのころでした。「まいにち庭を眺めて小説を書くのをなりわいとしている以上、(自邸の)庭は私の発想の一部分であらねばならない」と語った作家ですが、花のみならず木にも精通していたことは、彼の小説の随所に見てとれますね。立原が没入していった中世という時代の、数々の名庭を残した無名の山水河原者たちの美意識、自然観・死生観というものに触れることのできた旅の記憶は、いつかこの「雪月花」に書きましょう。

ご子息の潮さんのお店「懐石 立原」は、この春、恵比寿から銀座八丁目に移られたそうです。先日「立原」と名のる方(潮さんご本人かどうか不明です)から教えていただいた情報は下記のとおりです。これ以上のことは存じません。



 中央区銀座8-8-18 銀座8818ビル2階 (金春通り沿い)

 電話 03-5537-5694



> 道草さま、

コメントを拝見しながら、都の山紫水明を見る思いです。そのまま次回の「雪月花」の記事にしたいくらいです(笑) さすがは道草さま、たくさんの初夏の詩歌を紹介していただので、わたしの手帖にひとつひとつ、書き留めておきますね。



 鳴る風に双手をひろげ樟の木の青葉の太郎若葉の次郎

 (小高 賢?)



常緑樹の樟に青葉と若葉の同居する、夏ならではの歌ですね。好きです、この歌。日本人は各地の雲の名まえにも「坂東太郎」「丹波太郎」「四国三郎」というように、「‥太郎」「‥二郎」などの愛称で親しんできましたから、歌詞の葉の呼び名が木のむこうのまぶしい夏の空さえ想起させます。そんな空のもと、広沢池周辺の田園風景や古道、史跡を訪ねるのもよいですね。建物も周囲の自然にとけこみ、電柱、電線、看板などまったく無いのがすばらしいです。鳥も魚も蛙も人も空も雲も草も木も風も、何もかもひとつになっていることを肌で感じながら。文明からとり残されたがゆえに美しさを保っている場所ですね。 ‥あ、つい力が入ってしまいました(笑) 宇治田原・和束の里はまだ訪ねたことがないので、ぜひ歩いてみたいです。有難うございました ^^



> 橘さま、

お久しぶりです、こんにちは。貴サイトにて当方の拙文をご紹介くださり、有難うございました。GWもお仕事なのですね、お忙しい合間に、こちらでしばしやすらいでいただけたのならうれしいです。(当然のことかもしれないのですが)橘さまをはじめ、京都の方は祝祭日や皇族の歴史・動静などに敏感でお詳しいですね。最近問題になっている「愛国心」という言葉よりも、橘さまのおっしゃる「国と郷土を愛する心(態度)」といったほうがよろしいでしょう、その国のありようへの意識が、他府県の方に比べて高いと感じております。わたしは「下手の横好き」で、片思いのような気持ちで京都を綴っていて恥かしいです。京都を愛した、あるいは支配しようとした先人たち、そして都のいまを見つめる方たちのあらゆる努力や思いの深さに敬服いたします。微力ながら、離れた地にて京都を見守っております。



> ささ舟さん、



 青丹よし 奈良の都は咲く花の にほふがごとく今盛りなり

 (『万葉集』 小野老)



初夏を迎えた大和路からのおたより、うれしく拝見いたしました。万葉歌の花を、初夏の花々に置きかえて味わいました。でも、ささ舟さん、怒らないでください、わたしは奈良の都に「亡びの後の美」を感じるのです。何もかも壊れ、人も斃れ、枯れて朽ちて‥、それらを糧にして繁茂する草木の静けさに、風雪にさらされて色褪せた古寺の甍に、忘れ去られて鄙びた古道に、上代の都の人たちの夢の跡を見てしまいます。奈良の美は、京都のそれとはちがう種類のものだ─ それが、大和路を訪ねた折のわたしの印象でした。風になびく東大寺の幡、唐招提寺の銀の甍、東山魁夷画伯の襖絵‥ そんな、思い出の中のものだけが色鮮やかに甦ります。それにしても‥、なんて贅沢な時間なのでしょう、早緑色の新茶を淹れて、こうしてみなさまのコメントを読みながら、各地の初夏を訪ねることができるなんて。ささ舟さん、有難うございました。こころからお礼を申し上げます。



> uragojpさん、

ふだんからお茶に親しむ方のコメントに、久しぶりにお薄を点てようかしら、という気持ちになりました。有難うございます。のちほどさっそくお抹茶を買い求めにゆきましょう。茶筅もぜひ新しいものにしましょう。いつか熱海の美術館で求めた藤花図のお茶碗にいたしましょう ^^ いまはお発ちになる準備でお忙しいことでしょうね。明日から三日まで、こちら東京は気温が下がるようです。お風邪など召されませんよう祈ります。どうぞよいご旅行を。後日ぜひ旅のお話を、待っております。



> 青い空さん、

お身体の加減はいかがですか。東京は夏日になって、風が吹き荒れています。青い空さんにはこたえる気候では‥と思い、心配です。たんぽぽの綿毛のお話、ちょっぴり切ないですね。たんぽぽは風を利用しているつもりでしょうけれど、見る者には、淡いいのちが風にもぎとられてゆくように見えることもあるでしょう。 ‥あ、そういえば、子どものころに「タンポポの綿毛が耳に入るとツンボ(これは今では差別用語でしょうか)になるぞ」と教えられ、こわくて近寄らなかったことを思い出しました。いま思うと少々さみしい思い出です。誰がそんなことを言い始めたのでしょう? こんなたとえ話で、おとなたちが子どもの身近に潜む何らかの危険を伝えようとしたのでしょうか。

どうかご無理なさらず、この向こう見ずな季節をやりすごしてくださいね。



> みいさん、

新暦の四~五月は「燕来月(つばめくるづき)」と名付けたいですね。燕たちは元気ですか? ヒナの誕生が待ちどおしいですね! 燕のようにうまく五月の風をつかまえられたら、どんなに爽快でしょう。大空を切るように飛翔する燕の姿は、まるで一幅の絵。いつか絵筆をもって描いてみたいもののひとつです。これから、四国の初夏のようすを歌にのせて教えてください。みいさんも、どうぞよいゴールデンウィークを ^^



> 櫻灯路さん、

これはまた懐かしいお話を‥、映画『外科室』の躑躅の花群は、あまりにも鮮やかすぎました。あれは泉鏡花に初めて触れた小説でしたけれども、いまよりもすこし若いときに読んでおいてよかったと思います。そうでなければ、スクリーンに映し出されたあのむせるような植物園を、たとえ早春でも避けていたかもしれません。花嵐は、きっと桜から櫻灯路さんへの贈りものだったのでしょう。西行と花の、幻の交感が現実になったのです。凡夫のわたしには、花まつりの招待状が届かなかったということでしょう。

こんどは宇野千代さんが訪ねて来られるでしょう。きもののデザインの完成とともに、櫻灯路さんのお身体のご恢復が成りますよう、祈ります。
八十八夜 (あくあ)
2006-05-01 22:15:07
雪月花さま



この春は桜がいつまでも散らず、見ていて切なくなりましたが、ようやく若葉の候となりました。東山がさまざまな緑色の絵の具を点描したように美しく、これから水無月まで新緑のみずみずしさを楽しめるのが嬉しくてなりません。

名歌・秀歌が引用されている貴ブログに、素人が短歌をトラバするという愚挙に出てしまいました。これも新緑に若気(?)を引き出された故とお見逃しくださいませ。

明日は八十八夜。私も新茶を買い求めに行きます。
青葉が物忘れを・・・。 (道草)
2006-05-02 00:29:13
「鳴る風に双手をひろげ樟の木の青葉の太郎若葉の次郎」小高賢です。大変失礼しました。気温の上昇に伴う老化現象と、お許しください。

「もの忘れ母になかりし新茶かな」星野麥丘人。我が家から宇治は近く、古い街道沿いは佳い香りが漂っています。その茶の香に免じて・・・。

お薄を一服 (雪月花)
2006-05-02 19:52:11
> あくあさん、

お歌のトラックバックを有難うございました。とりどりの緑に染まる京都が目に浮かぶようです ^^ あくあさんのおかげでこの記事も美しくまとまりました。うれしいです。GWはいかがおすごしですか。連休は、お仕事で疲れた心身をリフレッシュしてくださいね。今日、久しぶりにお薄を点ててみました。ほんとうに久しぶりだったので少々力が入ってしまったけれど、奮発したおかげで甘味のあるよいお茶でした。



> 道草さま、

どうぞ気になさらないでくださいね! わたしも時折出典をまちがえて、後で修正したりしますよ。茶所宇治の清香は、こちらにも届きました ^^
河鹿鳴く・・・  (虚庵)
2006-05-03 12:10:33
伊豆にも素晴らしい初夏がやって来ました。

幸運にも、河鹿の鳴き声に迎えれましたので、そのお裾分けをトラックバックさせて頂きました。

出雲市の小学校のHPから、鳴き声の録音を拝借して貼り付けましたので、お越しになってお楽しみ下さい。
夏に入る (やいっち)
2006-05-05 04:28:04
いつもながら素晴らしいな、なにもかもが。



夏に入る…清明感溢れる季語ですね。夏どころか新緑さえもがその横溢する生命力に圧倒される小生ですが、夏に入るという言葉で表現したくなる感覚…自分の年齢を忘れて眩しい空に向かって駆けてみたくなる…そんな季節感は好きです。



我もあの空の青にと夏に入る



旅から帰りました・・・ (uragojp)
2006-05-05 08:37:23
千鳥が淵の散策・・・あいにく小雨まじりの

肌寒い日でしたが、サクラに想いを馳せながら花ミズキの美しさもひとしおでした。

山種美術館では「桜さくらサクラ」展に酔いしれ、「花田」のお店にも立ち寄らせていただきました。これも雪月花さまとお知り合いになり、いろんなお話を聞かせていただいたお陰です。有難うございました。

歌舞伎座でも「團十郎」の「外郎売」の一幕

も見れ、「藤田嗣治」展も駆け足で見てきました。隅田川ラインもめぐり、江戸の情緒を味わえたようでした。いずこも連休中で大混雑、長蛇の列、忍耐の日でもありました。

思い出多い旅でした。
武相荘を訪れて (紫草)
2006-05-06 11:18:46
初夏の行楽気分に絆されて町田市鶴川にある旧白州邸武相荘を妻と共に訪ねて視ました。        長屋門を入ると左側に竹薮があり射干(しゃが)の花が咲き誇り私達を出迎えてくれました。茅葺の母屋は白州家60年以来の原型を保ち往時の姿そのままを残し、室内を一巡している内に白州正子の書かれた本を思い出しながら展示品と対比し実際生活を見ることができました。

生活とは何か、ほんものの生活とは、美とは、何かを愚直に見つめる必要が有るのではないのかと、問われた思いです。武相荘を去るに当り今後再びこのような夫妻は表れないのではないかと、思いながら武相荘を跡に致しました。



∵ 白州二郎(1902~1985)については、書籍類は余り無く、残ったのは彼の肉質で書かれた遺言状で「葬式無用 戒名無用」の短い文章が印象に残りました。



∵ 白洲正子(1910~1998)については随筆集など多数の出版物がございますので、そちらを参照して頂き、実際の生活の中で独得の審美眼は(陶磁器・織物・美術工芸・他・)どの様にして構築していったのか、?一片を覗く事が出来ました。     

氏の文章の中で、目利きとはどんな人のことですか、の問いに。骨董の世界に目利きといわれる人達は確かにいますよ。中国陶磁の、日本陶器の、細かく志野の、織部のと、云うような人達がね、私はただ、何か一つを掴んだ人なら、狭い分野にとどまらず、全てに通じてわかるのではないかしらと思っています。たとえば尊敬している臨床心理学者の河合隼雄さん。この方は「私は学者ですから、美しいものはわからない。美とは関係ない」と言われるのだけど、書かれていることは自ずから美しい。そして何についても実にわかっている。河合さんは机上の学者じゃないのよ、患者さんの診療に自ずから当たって、人間からじかに勉強された。この方こそほんものの・目利き・だと思います。 それにつけても魯山人、あの人は美術品に関しては大変な目利きでした。けれども全く教養の無い人でしたね。ほんものの目利きなら、使用人への対し方を含めて、人間関係にも気を配るはず。ところが、やたらに自分だけが威張りたくなるの。私、あれほど教養がなくて目だけ利く人がいるのが珍しくて仕方なかった。一つ云っておくと、自分が目利きかどうかなど、私には関係ないの事です。ただ、自分が好きなものだけはわかる。それも頑としてわかる。それだけは確かね。小林秀雄さんや青山二郎さんたちの骨董を通じての付き合いは、昔のお茶の世界に似ていたのではないかと思います。

彼らは骨董を見ることを通じて、利休の始めたお茶の精神を知ってました。利休は、まさに斬ったはったの戦国の世に、お茶を始めたわけでしょう。骨董を介した彼らの付き合いは、時代は遠く離れていても戦国武将と同じ凄味がありました。そういう意味で、

新しい茶道だったと言ってもいいくらい。そういう仲間の中心にいた青山二郎は、利休みたいな人だったと思う。彼らは現代の茶道そのものは嫌いなの。先ほども云ったけど、もの、と付き合っていくうちに、もの、は、自分の方から語りかけてくるものです。

それまでは待つ事が大切ですね。カルチャーセンターじゃあるまいし、人がお膳立てしてくれるはずはありません。・・・

上記のような内容を武相荘で白洲正子氏が語り掛けているような錯覚を覚えました。



追伸・ 雪月花様 先日は料亭立原を教えて頂き有難うございました。早速電話を致しましたところ、互いに声音を確かめる事が出来ました。後日機会を作り伺いたいと思っております、ご親切に御礼申し上げます。

生気横溢 (雪月花)
2006-05-06 16:42:45
昨日まで、わたしの母を連れて主人の実家に出かけておりました。義父母の家の庭は、たくさんの草木が花を咲かせたり若葉を繁らせているのですが、庭に出て足もとをよく見ますと、草木の植わっていない砂土のところから、ちいさな草や木の芽が足の踏み場もないほど顔を出していました。義父母に「これは楓の芽」「これは欅」「たくさん細い葉を出しているのは秋桜」「あそこに出ているのは松」‥と教わりながら、もう母と狂喜しながら見てまわりました。どこからか、風が種子を勝手に運んでくるのですね。この季節の、生気横溢する自然を肌で感じ、感動しました。

放っておくと庭が大変なことになるので、いずれほとんどを摘んでしまうそうですが、義父はいくらか成長した芽を鉢に移しかえて、自己流の盆栽(?)を楽しんでいます。母とわたしは、楓のミニ盆栽をお土産にいただきました。根もとにきれいな緑の苔もついているんですよ ^^



> 虚庵さま、

ご夫人とともにGWを楽しんでおられますね。わたしは北関東の涼しいところにいたせいで、帰宅して東京の暑さにうんざりしていますが、お届けいただいた河鹿の声に、ひととき涼しい気持ちになりました ^^ 有難うございました。扇風機やエアコンに頼りすぎるいまの暮らしに、聴覚や視覚で涼んだ先人の知恵をふりかえることは大切なことですね。



> やいっちさん、お久しぶりです。

GWはいかがおすごしですか。花はとうに消え、「山笑う」季節は幻であったかのように、いまの山野は緑が主役ですね。山も樹木もこちらに迫るような勢いなので、緑の中を歩いたり街路樹にはさまれた道をドライブしますと圧迫感がありますが、それをこの季節ならではの涼風が開放してくれますし、どこまでも青く清んだ五月の空に飛びこんでゆきたくなるお気持ち、分かります ^^



> uragojpさん、お帰りなさい。

盛りだくさんの旅だったごようす、雨も初日だけでよかったですね。ご訪問先を拝見しますと、uragojpさんのご趣味が分かります。九段上のうつわのお店「花田」にも寄っていただいてうれしいです。お気に召していただけたでしょうか。ご覧のとおりのちいさなお店なのですが、長く使える趣味の良いうつわがいつも揃っているんです。東京の良さは、選択肢が多いことでしょうか。また飛行機でひと飛びして、遊びにいらしてくださいね ^^



> 紫草さま、

まぁ、武相荘へお出かけになったのですね。わたしもつい先日主人と訪ねたばかりなんですよ。長屋門の傍らの、色とりどりの躑躅も見事でしたでしょう? わたしはこちらに何度も訪れていますが、お土産品の売場が拡がり、いつのまに食事やお茶を出すようになったのか、ちょっと驚きました。白洲さんの本も読んでおりまして、教えられることは多いのですが、なかなか彼女の文体になじめません。同じ女性と考えて読もうとすると失敗するのかしら‥と最近感じています。文章や、彼女の審美眼で選ばれたモノや道具に、女性らしい感性を期待しては裏切られてしまうようで、学ばせていただく、という謙虚な気持ちをもって接するようにしています。そうでないと、なぜかいつも後味が悪いのです。‥ 白洲正子さんも、自分が「これだ」と信じたものだけをそばに置いた方ですね。自分の目で見て歩き、手で触れ、人と触れ合って発見した‘ほんもの’だけを。実に潔くて、それがそのまま彼女の暮らしと文のスタイルでした。

「風の男」白洲次郎は、あまりにも格好良すぎてただただ仰ぎ見るばかりの伝説的な偉人ですが、政治家に白洲氏のPrincipleをぜひ見習ってほしいです。いまの世の中に、白洲氏ほどこの国を誇りをもって深く愛している人がいるでしょうか。

銀座の新しい潮さんのお店にお出かけになりましたら、またお話をお寄せください。楽しみにしております ^^