俳画 はじめの一歩

2006年09月14日 | 筆すさび ‥俳画
 
 新涼の季節になったら始めようと計画していたことを実行にうつしました。かな書、俳画、テーブル茶道。こんなにいっぺんに始めてしまって大丈夫なの、という心配はご無用。俳画とテーブル茶道はひと月に一回(十月から六ヶ月間)のお稽古ですし、かな書はNHK教育テレビの趣味講座ですから、のんびり屋のわたしにはぴったり。

 俳画は、鈴木紅鴎先生(※)の画風が好きで、いつか始めたいと思っていました。まずは見学をさせていただこうと思い、さっそく今月のお教室へうかがったところ、「描いてみませんか」と先生にすすめられて、いきなり筆をもつことに。その日の画題は「酔芙蓉」。半紙とはがき用の、二種のサイズのお手本を写しました。
 はがき用のもの(上の絵)は、まず花の輪郭を墨で描いて、あとから淡い紅色と蘂(しべ)の黄をのせる勾勒(こうろく)法です。対照的に、葉や茎は太く力強く。わたしは筆に水を含ませすぎて、きれいに筆の跡が残りませんでした。


 墨をする音、筆の感触、文鎮の重み、和紙の手ざわり、墨の香‥ なつかしいような、すてきな時間です。筆をもつと、自然と背筋が伸びます。先生のおっしゃることも、すなおに耳に入ってくるのです。

 おひとり年配の方で、長時間立ったり座ったりするのがつらい‥ とおっしゃる方がありました。どなたかが「無理をなさってはいけないわ」とやさしく声をかけると、「無理をしなければ、描けないもの」と、毅然とした答えが返ってきました。東京の別の教室には、酸素吸入器を傍らに置いて稽古に励んでいる方もおられるそうです。そんな、諸先輩がたの稽古への並々ならぬ姿勢に敬服します。


 近所に、毎朝みごとな花をたくさんつける酔芙蓉を玄関先に植えているお宅があり、毎日の散歩や買物の折に楽しませていただいています。早朝に雪色の花弁を空に向けてひらき、昼のころから(そばで見ないと分からないくらい)うっすらと色づき始めて、夕刻には酔いもまわって薄紅色に染まり、眠そうにもう花弁を閉じています。翌朝は、落花が路地を染めるでしょう。はかない一日花です。そうした一重(ひとえ)の芙蓉花の、きちんと身仕舞をしてからひっそりと落ちてゆく姿に、「願はくはわが身も」と思わずにはいられません。

 最初の画題が身近な花であったことは幸運でした。
 ここ数日のつめたい秋雨に、酔芙蓉の花はふるえています。


※ 鈴木紅鴎先生のテキスト『俳画講座 はじめて筆をとる人に』(NHK出版)は、雪月花のWeb書店で紹介しています。
 

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25 コメント

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・・酒あり 酔芙蓉 (uragojp)
2006-09-14 08:31:53
やはり素的です・・・ね。俳画の中から薄紅色の花が目に浮かびます。

急に朝、夕の冷え込みに驚かされます。

今日はお天気も快復し晴れ間がみえます。

今から、今日のお稽古場にでかけます。

90才になられる方もお元気に通ってみえます。きょうはどんな語らいがあるのでしょう・・・

次の作品も楽しみにしていま~す。
母校の庭 ()
2006-09-14 13:54:23
高校の頃、校舎の渡り廊下から見えるところに酔芙蓉がありました。担任の数学の先生が、「あなたたち、気がついていた?」と不思議な酔芙蓉の花のことを教えてくださいました。あれから、ん十年、この花を見るたび、楽しくすごしていた母校を思い出します。

俳画もお茶も書道も、すてきな趣味ですね。作品を楽しませていただきます。
お姿が見えてきます (ささ舟)
2006-09-14 14:52:04
POSTにこんなに爽やかで余情のある絵手紙が入っていたら嬉しくて抱きしめるかも・・ね。

京阪宇治駅から川上に100メートルほどの所(左側)石段を上がると橋寺(宇治橋の守りとして建てられた古刹法正院)の酔芙蓉が素晴らしいです。ほんのりと頬を染めていく午後、ほろ酔いだったのでしょうか‥すぐ近くに素敵なカフェーがあります。白いピアノの上にさり気なく盛られた秋草♪

お稽古お楽しみ下さい。こちらまでわくわくします。有難う御座いました。
酔芙蓉遠くして。 (道草)
2006-09-14 14:57:55
 夏休みが終わった九月の登校日。学年一(いえ、全校一)の女生徒が、一枝の白い芙蓉の枝を教壇にある先生の机の花瓶に挿しました。丹波の山の中学二年生のときです。「色が変わるんぇ」。取り囲んだクラスメイトに、彼女が説明していました。悪餓鬼共は知らぬ顔(わざと)。私もその花の名前さえ知りませんでした。教壇の上で先生が目を細めて酔芙蓉の名を口にされていたはずですが、悪党共は馬耳東風(を装って)。私の耳も右から左へ。いや、憧れの人が生けた花ですから、特別に意識していたはずなのに。放課後の掃除の時間になって、「なんや、萎れてるやんけ」。水揚げが悪いのか、元から短命なのか。悪童の一人が花を護美箱へ捨てました(決して、私ではありません。誓って言いますが)。芙蓉の花の半分程が、薄い紅色に変わっていましたっけ。明るい窓側の方から染まったのでしょうか。花を捨てられた彼女の瞳が少しばかり潤んだのを、私は見てしまったのです。(あのとき、あの花を拾えばよかった…)。

 その花が酔芙蓉と知ったのは、高校へ入学してからでした。「太液の芙蓉、未央の柳もげに通ひたりしかたちを…」は源氏物語。「唐の楊貴妃、李花一枝春の雨を帯び、芙蓉の風に萎れつつ…」は平家物語だったでしょうか。同じ頃、「わが息を芙蓉の風にたとへますな十三弦をひと息に切る」山川登美子と「芙蓉をばきのふ植うべき花とおもひ今日はこの世の花ならずと思ふ」与謝野鉄幹の応酬を、大して意味も分からずに読んだりしたものでした。

「木芙蓉は葉も眼やすく花ことに美し。秋の花にて菊を除きては美しさこれに及ぶべきもの無し。睛雯(せいぶん)といふ女の死して此花を司る神となりしときゝ、恋しさのあまり、男、此花の美しく咲きたる前に黄昏の露深きをも厭はず額づきて、羣花の蕊(ずゐ)、氷鮫の殻、沁芳の泉、楓露の茗四つのものを捧げ、嘔心の文を念じつ祭りしといへるものがたりいとをかし。」(幸田露伴『木芙蓉』)。その花は、美しく淑やかな女性の喩えにもなっていると知って、「芙蓉の顔」に憧れたりしたことも・・・。

 長じては、「そして四度目の九月、えり子はやってきた。酔芙蓉の花を予告して」(高橋治『風の盆恋歌』)で再会しました(「私は散る前にせめて一度は酔って見たかった」なんてヒロインが呟いていました)が、むしろ、石川さゆりの「蚊帳の中から花を見る/咲いて儚い 翠芙蓉/若い日の美しい/私を抱いて欲しかった/忍び会う恋 風の盆/私あなたの腕の中」(なかにし礼)で印象に残るなど、既に不埒な世代に突入していました。あの日、あの花を生けた同級生はあれからどうしたのか、と今は遥か昔のことです。



「美しく過ぎゆくもの」  薮田義雄



1.朝かげ

芙蓉はいろの浅ければ

娘心に似るといふ、

嫁ぐ日近き朝朝を

髪を梳きつつなに思ふ。



2.紫苑に寄せて

こころの丈をひきのばし

紫苑は高し、花の茎、

ひとめに触れてはぢらひて

揺れしづまらぬあはれさよ。



3.嫁ぐ日

もずが高音を張りだすころは

嫁ぐ娘のしをらしや、

ぢっと見上げた睫毛のうらに

なにかほろりと揺れるもの。



名残つきない一夜(ひとよ)のあとに

嫁ぐ娘の細い肩、

口にださねど胸から胸へ

かよふ思ひのあればこそ。



4.粉白粉

(1).畳のへりに零れてる

粉おしろいのさみしさよ、

化粧(けわい)のあとをそのままに

のこす鏡のつめたさよ。

(2).しづかにめぐる時の間も

花を惜しみて色鳥の

翔びかけるこそすずろなれ。

粉おしろいを掌(て)にとりて

吹いてあそぶか、ただ独り。



5.美しく過ぎゆくもの

美しく過ぎ行くものはかなしかりけり、

そは白き裳裾ひきつつ

たをやかにかの君と手を執りて

わが前をよぎんとすなり。

盞結(うきゆい)の盞を交じせしそのあとに

雪よりもしろき花嫁、なれは。
哀歓の・・・ (たそがれ清兵衛)
2006-09-14 22:21:11
>哀歓の常に酒あり酔芙蓉

いい句だなあ。常に酒あり…反省少し。芙蓉が無い!

(苦笑)

返句?

>哀歓を極めんとして玉子焼き

お道具をそろえる (雪月花)
2006-09-14 23:12:10
教室の見学のつもりが、先生のご配慮で思いもよらず筆をもつことになりました。今回は初稽古の記念とご愛嬌で掲載いたしました。みなさまから頂戴したやさしいお言葉が身にしみます‥ 有難うございました。

今日はつめたい雨の中、稽古に必要な道具をもとめに出かけました。茶道の道具は手もちのもので足りるので、俳画用の筆、硯、墨、水滴、下敷き(フエルト)、半紙等々を、銀座の鳩居堂さんと伊東屋さんに尋ね、久しぶりの楽しい買物でした。中でも気に入ったのは、瓢(ひさご)形の硯と千鳥の絵の水滴です。文鎮は愛用の蔦絵のガラス製がありますから、これで準備は万端。何ごとも“外側”から入るクセのあるわたしは、すっかり満足しております ^^ ‥いやはや、お道具で満足していては先が思いやられまするな、という声がどこからか聞こえてきそうですけれども、、、 がんばります!



> uragojpさん、

さっそく見てくださって有難うございます。uragojpさんのお邸の酔芙蓉も楽しませていただきましたけれども、花もこの急な朝夕の冷えこみに驚いているのではないでしょうか。明日は東京も久しぶりに晴天の予報で、またご近所の酔芙蓉にあいさつをして、散歩を楽しみたいと思います。

ご年配の方々の「年来稽古」への気概に、わたしも刺激を受けました。ほんの一歩を踏み出したばかりの若輩者にとりましては、何よりの励みです。



> 郁さん、

母校の思い出に結びつく花が酔芙蓉だなんて、すてきですね。学校に芙蓉を好きな方があったのでしょうか。学びの庭の花の代表といえば桜なのでしょうけれども、それもソメイヨシノばかりでつまりません。秋には芙蓉や秋草のような、日本画や古典の世界と結びつく植物があったなら、『源氏物語』の授業など数倍楽しくなりそうですけれども‥

今日はお道具の買物の前に、出光美術館の「風神雷神図屏風」展を見てまいりました。66年ぶりに宗達、光琳、抱一が会する幸福をかみしめました。



> ささ舟さん、

あたたかな励ましのお言葉を有難うございます。郵便受けから取り出してよろこんでいただけるような絵を、さらさらと描けるようになりたいものです。

ささ舟さんのお宅の庭も町も、季節の花でいっぱいなのですね! 京都は絵に写したい風景がすぐ身近にあってよいですね。白いピアノに秋草のカフェだなんて、東京人には思いつかないような、斬新な取合せと思います ^^

次回の画題は、朱だけで描く「蔦紅葉」なのですが、これは近所には見当たらないので、何年も前に甲州の山中で母と一緒に見た蔦紅葉の深い色を思いつつ、先生のお手本がどのようなものなのか想像しています。



> 道草さん、

いつも花に乙女の面影を偲んでいらっしゃる道草さんは、生来の詩人ですね。酔芙蓉は挿木してもすぐにつくと聞いておりましたけれども、水上げはよくない花なのでしょうか。目に涙をためた少女の姿は、萎れてしまった酔芙蓉そのままのようです。

なつかしくなって、露伴の『花のいろ/\』の「木芙蓉」の項を読み返しました。これは中国の物語なのでしょうか。中国では芙蓉は蓮の花を意味するそうですね。仏の花であることと一日花の無常観が、源氏や平家の物語にさりげなく挿入されていることにも、あらためて気づかされました。有難うございました。

後世の日本においては、「芙蓉峰」といえば富士山ですし、「芙蓉の顔(かんばせ)」「芙蓉の眼(まなこ)」など、美しいものの代名詞になっているのに、『風の盆恋歌』の酔芙蓉(=えり子)はあまりに哀れで、少々俗な花になってしまいました。むかしの同僚に、「芙美(ふみ)」という名の女性がいて、女優顔負けの「芙蓉の顔」の持ち主でしたけれども、お父上が国語の教諭だったことを思えば、おそらく芙蓉花のいわれをご存知の上の命名だったのかしらと、いまさら思い返されます。



> たそがれ清兵衛さん、

返々句 > 酔芙蓉招(お)かれて毎夜温め酒(ぬくめざけ)

‥ほどほどに。飲んだら乗らないでくださいねー ^^
飲酒運転 (たそがれ清兵衛)
2006-09-15 01:31:56
酔いにまかせて気が大きくなって、というのはいけません。ね。覚えがあるだけに、反省です…。

地方住まいなので、当たり前のようにしていた過去を今は深~く反省しております。(><)

人を悲しませる権利は、私には無い、です…から。



一句>

妻を観て飲む酒の彼方に芙蓉かな(字余り…苦笑)(いよいよ才能がありません…汗)
素敵~ (みい)
2006-09-15 14:10:11
新涼の季節、雪月花さんのブログを訪れる度にさわやかな気分になれます。俳画いいですねえ。これからも素敵な俳画がトップを飾ってくれるのですね。

芙蓉の花言葉「繊細な美」「しとやか」朝は白いはなびらが、昼間にはピンクに、そして夕方に紅色に染まる一日花、短い命の優しさを感じます。



なんとなく泣きたいような優しさの芙蓉の大きな花咲きました  鳥海昭子
秋牡丹 (雪月花)
2006-09-15 20:22:51
東京は久しぶりに青い空がのぞきました。ご近所の酔芙蓉の花は今日も咲いていましたけれども、花の数はだいぶ減りました。別名、秋牡丹。芙蓉でも、牡丹でも、美人の代名詞であることに変わりはないですね ^^



> たそがれ清兵衛さん、

‥あ、むかしのことは聞かなかったことにします~。「妻を観て飲む酒の彼方に芙蓉かな」‥まぁ、当てられちゃいました。ごちそうさまでした ^^

でも、飲酒運転が増えたからアルコールを感知したらエンジンのかからない車を開発するとか、駐停車違反の取締りが厳しくなったから駐車場を増やすとか、どうしてそういつも“人の都合に合わせる”解決策ばかり発案されるのでしょうね。発想が間違っているのでは‥と思うのですけれど。



> みいさん、

俳画は始めたばかりなので、毎回のトップを飾るほどの腕前にはほど遠いです‥ 今回はご愛嬌です ^^; かな書も一緒にがんばりますね。ようやくお道具もそろったので、週末はさっそく俳画の宿題(朝顔と夕焼け赤とんぼ)に取組もうと思います。



 【秋雨二題】

 白き芙蓉あかき芙蓉とかさなりて 児のゆく空に秋の雨ふる

 (与謝野鉄幹)

 霞雨の空を芙蓉の天気かな (松尾芭蕉)
新しい道具 (boa !)
2006-09-16 16:18:06
新規開拓が俳画とは、羨ましい限りです。

私も最終的には俳画にたどり着きたいと念願していますので、ねたましい限りです。



新しい道具を机の上に並べる時のときめきは、よーく解ります。みんな同じですね。

未知の世界への期待と、興奮がこちらまで伝わります。



俳画は、憧れの世界です。欲深の私には棄てられないものが多くて、つい描きすぎて、芭蕉翁の「いいおおせて何かある」状態を悲しんでいます。

水墨画や、日本画とちがった空間の表現、余白の語るひびき、余韻といったものは、雪月花さんの世界ですからね。



私のは、自分の絵の足りないところの説明を句に負わせたり、逆に句の挿絵にしてしまったりです。

きっと、雪月花さんなら、豊かな創造が、構築されると信じます。



俳画はのびのびと心から楽しんで描くものだと思っています。理屈は抜き。思うまま大胆に、季節感を、情感を絵と句と賛とでお楽しみください。

初めてとは思えない酔芙蓉がほほえんでいます。これからの楽しみがさらに増えました。