ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

粋生倶楽部増尾通所リハビリ

2017年03月18日 | 日記
○6時30分起床、起床時室温11℃。夜の目覚め1回。
*3時30分に目覚めて以降、ほとんど眠れず。結婚記念日にあたり母との「葛藤」、というか母から受ける「抑圧」のあった日々のあれこれを思い出し。
○粋生倶楽部通所リハビリ。
*今日のコーヒー引きはSさん。丁寧な作業をしていただきました。
*レッグマジック、踏み台、ハードル歩行、マット歩行(丁寧に行いました)、自転車、あったか姫、マッサージ。
 体がこちんこちんだとのこと。やはり睡眠不足がすぐ体に現れるのですね。
*車の送迎に関わることで番長さんとは時間を取って、所長さんとは立ち話でお話しした。傾聴してくださったことをありがたく思う。安心して心身を委ねているクライアントにとっては、不安な思いはなるべくしたくないし、そうあることがデイの方向性だと思う。
*結婚とは一体何なのか。ぼくにとっては、親から与えられた塗り絵モデルをすっかり取り替えることが可能であり、実践していくことに他ならなかった。だが、そのことが出来る!という安心感に浸ることが出来るようになったのは、親の死であり、継承財産放棄であった。つい近年であったということだ。それまでは、パートナーである弘美に重い枷をはめ続けてきた、という申し訳なさが強くある。そんなことを雑談の中で語った。
○今日のお昼は、トマト、タマネギ、ジャガイモスープ。ダシ取りは甘エビの殻、メカジキの切り身。コトコトと煮詰めている時に猫たちが火にかかっている鍋を襲撃。つまり、おいしくいただけるはずのスープがおじゃん。初めてのこと。この凶暴性は、ぼくの手にあるパンを奪いに来ることにも表わされてきた。困ったぞ。
*襲撃リーダーはタビチョ。玄関のカワウソ君の上に座り込んで時を過ごしている時は、本当にかわいいのだけれど。

○今日は、会費制の結婚を祝う会が開かれた記念日で、細君はこちらの方を結婚記念日だと認識しております。この日から1週間、新婚夫婦それぞれの研究調査(細君は卒論作成のため、私は学会発表論文執筆のため)を兼ねた旅行を過ごし、私が住まいを定めていた東京都東久留米市のアパートで同居生活を始めました。 
 細君の日常は、昼間は東京教育大学教育学科付置の図書室で働き、夕刻から10時ぐらいまでほぼ毎日学生生活を送ります。私は研究と1日3時間ほどのアルバイト。ほとんど在宅で済みます。家事のおおかたは私が、大いなる手抜きで、行いました。
 ふたりの結婚には強い反対の立場を保ち続けていた我が母は、こうした情報を耳にすると、「おまえはどこの馬の骨とも分からん家の婿養子に入ったのかっ!」と烈火のごとく怒りました。「世間で認められる立派な人間になるためには家事などやっている暇はない、それを支えるのが嫁の仕事じゃないか。」というわけです。
 分家軍人の妻で戦争未亡人として生きてきた母が「後家の踏ん張り」で世間を渡ってきたのは、亡き夫に対して自分は子どもを世間から尊敬されるほどの地位と人格を持った者に育て上げた、という「誇り」を得たかったわけです。言葉としては「それがおまえのためだ」とぼくに向かって発せられます。
 母が私に求めたのは、学校という公的基準で選び抜かれ、国家を支える職種・階級を得ることであり、そのために私に与えられたのは、比喩的に言えば立身出世双六の「塗り絵」そのもの。別のコースや別の色に塗り替えることさえ許されないという強迫観念を持って子ども期青年期を過ごした私は、強い反抗の姿を見せましたが、、反面、私自身に「甘え」があったのは事実で、反抗しきれない。学校をドロップアウトしたふりを見せるだけで結局学校主義にしがみ付いている。ひ弱な青白いインテリぶりが、私の本質だったのですね。役にも立ちもしない「川口家」の亡霊を背中に背負っている。
 結婚前の2年ほど、「塗り絵」と「亡霊」を背負った私が、研究資料を求めて教育学科図書室に通うたびに、背筋をぴしっと伸ばして、多くの学生の語りに耳を傾けながら、時折、ぼそっとですが、それは違うわよ、偏見よ、とか、自立するとはどういうことかを語ったり、疲れたでしょう、一緒に食べますか?とチーズ入りオムレツを焼いたり、定員外職員という雇用システムに頼って大学教育がなされていることへの怒りを示し、学内集会に参加したり・・と、高校出たばかりのかわいいお嬢さん、という「偏見」でしか彼女を見ていなかった私が、いかにおろかなのか、と叩きのめされる日々が続くわけです。
 母から与えられるだけの人生双六「塗り絵」をすっかり作り替えるしか、自分が自分であることはあり得ない、と痛感したのでした。その「強制執行」が入籍ということなのです。その日こそ、ぼくが抱え込んできた「囚人」と決別する象徴の日。
 しかし、世界でも例が極端に少ない「戸籍」制度が作る人間形成力は、そう簡単に私や細君の前からは消え去りませんでした。結婚によって新しく戸籍を興すのは役場の戸籍簿だけでしかなく、あたらし戸籍住所を定めようとするたびに、母の強い抵抗に遭う。亡き夫と自分とが同じ記号で結ばれ、そこに子どもが加わっていることこそ、母の用意した塗り絵帳の下書きなのですね。
 ぼくにとっての制度婚は、この塗り絵帳を破棄するための準備を整える旅立ちの記念であります。だからこそ、ぼくにとっての結婚記念日となるわけです。
 長々と綴ってしまいました。現在は、戸籍はふたりで相談して定め、親が残した財産すべての継承権を放棄し、墓も「先祖代々」が眠らず、菩提寺を持たないものを創り、して、やっと、本当の自立にたどり着きました。 

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