久しぶりにセガン、原書で

2017年07月11日 | 日記
○5時15分起床、起床時室温28℃。y
*資源ゴミ出し。
72.4
107 62 52
○雑木林からのさわやかな風とうぐいすの鳴き声を体全身で受けながら、外階段昇降運動、ならびに近辺で脚や膝のいろいろな運動。太陽が直接降り注ぐようになったので屋内へ。
○今日の日記は長くなる。ついでのことだから、セガン研究を(我が国で)滞らせ、誤らせてしまってきた元凶に触れる。
 セガンが書いたフランス時代の著書、論文のほとんどは邦訳されている。中野善達訳『セガン 知能障害児の教育』(福村出版、1980年)がそれである。同書は全面的に誤訳で埋められており、原文にあるページの欠落もありで、とてもセガン研究に資することが出来る書物とは言えない。
 ぼくが綴った論文中に、中野訳書を引用して記述している論文を指示し、「誤訳文引用に基づく論理展開であり、信認するに値しない、セガン原著が述べていることは次の通りと解釈しなければならない、云々」と綴ったところ、「それは過剰な記述、すなわち批判では無く否定=人格攻撃的=でしか無い、書き改めるか削除しなさい」との<ご下命>が下った。「批判は大切だが否定は学術的で無い」との言葉が強く添えられもした。当該誤訳文を引用して縷々論理展開をなさったお方である。つい近年のこと、「中野訳書はあまりにも誤訳が多いから、新たに訳書を公にすべきだと考えている。」とくだんのお方にお話ししたところ、「死者を鞭打つようなことは慎みなさい」とのご反応。中野氏は故人となっておられる故のお気遣いのようだが、先行研究批判をしっかりせよ、とぼくに<ご下命>下さったこととの齟齬はございませんでしょうかねえ。
 こうして、セガン研究と称される世界は、いびつさを増していくだけなのだな。
○セガンの男子不治者救済院での実践記録の完全翻訳を何度か挑戦したが、いつも息切れ。今日から再々再挑戦。息切れしてもともとと思おう。気負いすぎると誤訳を生みかねない。「1842年著書」と称してきた。きちんとした解説はどなたもなさっていない。ぼくのこれまでのセガン研究での理解は、セガンが、パリ救済院総評議会管理委員会によって「白痴の教師」という肩書きで雇用され、パリ北部郊外(当時)のフォブール・サン=マルタン不治者救済院(男子)およびパリ南西部(当時)のセヴル通り不治者救済院(女子)に配置され、形式上は医師の管理下で、実際には男子施設のみで「白痴教育」を行った、計6ヶ月にわたる記録書である。何のためにこれを綴り、公開したか。それらを含めて、形ある訳文に仕上げることを目指して、取り組もう。数年かかりそうだ。肉体そのものが息切れするかな?
○同記録は次のような書き出しである。
「救済院総評議会管理委員の皆さまへ
皆様
 内務大臣閣下が私の意向を汲んで下さり、皆様方にご下命下さった任務をお受けするにあたりまして、次のようなことは十分に承知していたわけであります。つまり、私は、それが私にとってはなじみのことであるとはいえ、公共の慈善によって養育される一群れの白痴の中で、ほとんど、構想を練らなければならないということはたいそう困難なことであるとか、また、不幸にも、今日まで不治だと信じられてうち捨ておかれてきた、まったく異常な諸器官機能は並外れた抵抗を示すだろうということも、十分に承知していたわけであります。皆様方のご厚意をいただき、私が試みようとしたことと実際にできたこととの両方を、皆様方に報告いたしたいと存じます。皆様方、博愛に基づく奉仕に関わって、私は自身の方法や結果に強い誇りを持っております。権威ある方々や皆様方によってそれをお認めいただきたいと思っておりますが、そうお認めいただかないとしても、早速、これまでの3ヶ月間に行われたことの話をさせていただきます。」
*この記述内容を理解するには、このままでは困難であった。少なくとも、内務大臣、総評議会管理委員会、下命された「任務」、そしてセガンをキーワードとし、ことの推移を明らかにしなければならなかった。公文書の発掘はいうまでもなく、救済院総評議会とその管理委員会の当事者性、「白痴の教師」とはいかなる「役職」なのか、「任務」なのか・・。新日本出版社から上梓した2010年著書では隔靴掻痒の思いのする記述となってしまったので、2014年上梓の幻戯書房拙著ではこの部分を強く意識しながら綴っている。しかし、やはり、曖昧模糊としたところがある。
*その後の学習、資料調査によって、今は次のように「解説的注記」をすることが出来るに至った。
「セガンのこの記述を具体的に示す公文書あるいは私信は発掘されていない。しかし、1840年11月4日救済院総評議会決定文書などから類推することが出来る。ストーリー的に述べると次のようになる。
 セガンは内務大臣にあてて、公共機関に収容され養育されている白痴の子どもの教育に携わりたい、ついては内務大臣の権限で、そのことの取り計らいをお願いしたい、と上申した。内務大臣は、セガンの願いがどれほどの強さにあり実力がどれほどのものかを実地調査するようにと、当時の精神医学界を代表する実力者で白痴の教育のための学校を設立するなどの実行派で元ビセートル救済院長フェリュスに命じた。フェリュスは、当時、パリ北端の地ピガール通りで白痴の教育施設を開設し運営していたセガンのもとを数度訪問し、子どもの、教育による発達の成果等を実地調査した。その結果を、フェリュスは、内務大臣に、「セガンの熱意は本物であり、教育の到達も非常に高い、セガンの願いを受け止めてしかるべきだと判断する。セーヌ県下(パリ)のいずれかの不治者救済院がふさわしいと考える」と、報告した。
 内務大臣はその報告を受け、パリ救済院総評議会管理委員会に、セガンを雇用するように命じた、管理委員会は内務大臣の命を受けて、セガンを、男女二つの不治者救済院の「白痴の教師」として配置した、ということである。ただしセガンは、女子施設では教育を行っていない。男女施設は、それぞれ、パリの北部郊外と南端に位置するところから、同時勤務同時実践はかなり困難であることは容易に推察されるのだが、セガンはなぜ男子施設での教育のみを選んだのかは、不明である。本実践記録を丹念に読み進めれば、そのことが綴られている可能性はあるだろう。」
○セガン1842年論文翻訳専用のブログを作成した。アドレス:http://saetakoji.hatenablog.com/

*目の不調強し。少しの読書、調べ物で、気持ちが悪くなる。休み休みでするしか無い。

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