ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

終日「セガン」

2016年11月09日 | 日記
○7時起床、起床時室温14℃。
*夜9時頃には眠くなるのでPCを閉じて横になる。けれども眠れず横になりながら安川氏の新著を読む。多くの頁を読むほどの能力が無くなっていることを痛感するが、論理組み立て、叙述方法がとても引きつけられる。安川氏という人間性を前面に押し出しているにもかかわらず、「理性的」。こんなふうに綴りたいものだと、ため息が出る。…で、頭が興奮状態になるのか、トンを閉じても眠れない。・・・の繰り返し、連夜。昨夜も午前様。
○ビニールごみ出し。ちょっと脚が重いなあ。つらい重さではなく動かない重さ。クロ=パンソンの丘、ちょっとあえぎました。ご近所のYさんのご主人と朝のみ地上でのご挨拶。盛んに脚を指さして、肯きながら、「よくなっているね。」
○表階段の鉄柵に絡んだアケビ、今年最大のみが割れました。


○体半身の痺れと動きの硬さが、浅井先生から恵贈いただいた女教師論研究の読書を妨げる。あ、おれには座学が向いていないからか、などと思ったら、姫さまがぼくについて書いてくれているのがあることを、思い出した。タイトル「あるくみるきく」。渋沢敬三が宮本常一に贈った言葉だそうだ。
「・・・セガンの足跡を探して、ブルゴーニュ地方のオーセール、クーランジュ、クラムシーへ。広大な(パリ)モンパルナス墓地からイタールの墓ただ一つを求めて歩き回り、オーセールではセガンの祖母の家を探して、坂の多い中世の街並みを歩く。ただひたすら歩くのだ。・・・・建物や遺された壁や石畳などのモノの声を聞く。そして想像する。パリの石畳を歩けば,パリ・コミューン時のバリケードを想像し、朽ちたセガンの生家の扉から往時の姿を想像し、そこが裏口か表口かを検証する。・・・
 これからも先生には、時々休みながら、しかし確実に歩き続けてもらいたい。そしてまた横で歩かせてもらえると嬉しい・・・。」

歩くしか能のない教育研究者が、歩くことの能力を奪われ何が残るだろう。こんな悲鳴にも似た内なる声を聞く、物思いにふける午後のひととき。

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