鶴猫荘日記第2版

リタイア人間の日々の暮らしぶりを綴ります。
      リハビリを楽しもう!

諸事整理

2017年05月16日 | 日記
○5時45分起床、起床時室温21℃。
○三重の佐藤達夫さん宛手紙書き。投函。「セガンむかし語り」第8号まで添えて。
○11時~15時 柏行き。疲れ果てて帰宅。この間の連日外出の疲れが相当たまっているようだ。
*BIC WiMAX 解約手続き。あれこれ必要だったけれど、なんとか、無事終了。
○書簡
「本日、佐藤さんからの多くの「贈り物」、ありがたく拝受いたしました。
 難聴児教育の記録書ならびにお手紙本文に綴られておりました認知症者への関わりのご紹介事実は、難聴者教育に関わっては後述の自分史を、認知症者への関わりに関してはある著名な障害児者教育学者の言葉を思い起こし、人が人を丸ごと人として理解し、関わるということのむずかしさ、そこからくる私の「怒りの思念」に行き当たります。前者の自分史については後記にやや詳しく綴ります。
 後者についてです。内容は、セガン(Seguin)研究の発端(私のセガン研究の動機となったことの一つ)にかかわることです。セガンが知的障害教育に挑戦してその成果を出したところ(機関)について、フランス・パリの大きな病院で当時は棄民施設でもあった機関名を、日米の研究者こぞって「サルペトリエール院」としてきていました。ですが、そこは当時、女子専門機関。セガンが知的障害の子ども集団を教育した対象は、9歳から20歳までの男子青少年。19世紀以降のフランス社会の公共機関での男女同居はあり得ませんので、「サルペトリエール院」であろうはずはありません。私に「セガン」に関する諸資料の探索を指示した(当人は依頼したと思っている)知的障害児者教育学者氏に、私のこの疑念をぶつけました。結構しつこく、あれこれ説明をして、これまで語られてきたことはあり得ない、とお話したのですが、くだんの先生は「そんなことを言うのはお前だけだ、みんなが認めていることだ。第一、知的障害児に性の区別が認識できようはずはないではないか。」という回答一本やりでした。これが、私をして、セガン研究を本格的に進めようとせしめた動機となりました。内言すれば、「おまえのような権威主義=みんな主義に従順で、人間理解が出来ていない、本質的には差別主義者に、セガンを語らせるわけにはいかない。」です。2003年秋のことでした。史的事実は、やはり別の男子専用機関でした。しかしそこは日米の研究者に存在そのものさえ知られていなかったのです。
 認知症者に対する我が国の大方の目線も、上記した研究者の持つ目線と変わらないのでしょうね。「人間」として捉え「人間」として関わるーここで言う「人間」は「人格」という言葉に置き換えなければなりません。近現代の「人間」理解はまずそこから出発し、医療、教育、福祉などが実践的になされることを大前提としています。だから「知的障害者だから」とか「認知症者だから」という言葉は、より人間(人格的存在)として対象化して関わる必要がある、という意味なのです。そのことが、専門職者、専門研究者も含め、一般的に、実践としての関わり認識が欠落している、という残念で、悔しい現状がありますね。
 佐藤さんが認識し、実践されてきたことが、「人格的存在者として認知症者を捉える」ことであることは、いうまでもありません。
 さて話題を変えます。私は難聴者です。正確に言いますと、左耳の聴覚能力が非常に弱く、かつ母音を聞き取る能力が子音を聞き取る能力より弱い状態です。右耳をふさいで左耳に聞こえるような音源は、私には、子音が内耳に突き刺さるような感を覚えます。このために、補聴器使用はたいそう苦痛なので、使用する機会をほとんど持ちません。右耳は「聞こえが悪い」程度ですので、コミュニケーションを取るにあたって、多少の不便を覚える程度です。
 この聴覚現象は、幼少期の育ちに原因があります。太平洋戦争中から戦後しばらく、全国民を襲った食糧難は、多くの幼少年期の命を奪い、あるいは育ちの未熟さを作りました。私も栄養失調で「死」の瀬戸際を長く生き続けたそうです。死からは逃れたものの、典型的な虚弱児となり、「教科書的年齢の育ち」にはとうてい及ばず、父親、母親それぞれの本家筋は「啞(おし)で聾(つんぼ)で膝行り(いざり)のモノを生かしてどうする。」と我が母を責め続けたと聞きます。たしかに、小学校の入学式には乳母車に乗せられていったし、入学式の途中で粗相をし、さっそくいじめられっ子になります。自分の名前を言うように言われた時、「かまちうきろ」と答えたそうです。当時は、「特別学級」を設置するほどに公教育財政が無かったため、就学猶予措置か普通学級への配置措置が、久居ではなされていたそうですが、私は普通学級に入りました。しかし、通知票に書かれていたことから事実であるわけですが、「授業中は寝てばかりいた」わけです。もちろん、同級生と対等の関係を結ぶ行動など、出来なかったわけです。
 夫を戦争で失った母は、まさに「後家の踏ん張り」で、(2歳上の姉を小学校入学時まで父親の実家に里子に出し、)虚弱な私を抱え、当時は時間無制限一本勝負をしているような公立小学校勤務の教師を続けざるを得なかったのですが、こうした私の育ちの悪さを心底心配してくださった母の教え子のご家庭(農家)が、そのお宅の離れを借家としてお世話くださり、日常は、私の世話をしてくださっています。農家ですので食料の仕入れに不便をすること無く、栄養失調から逃れるようになった私は、近隣の大人や青年女子にかわいがられて育ちました。
 思春期になって、虚弱からは逃れるようになり、学校に適応できるようになりました(反抗的であり、いじめられっ子でありましたけれど)。家庭においては、壮絶な、と形容できるような家庭内暴力を続けるようにもなっていました。音楽(一人で歌う)好きで、図工(木片を彫刻刀で掘る)好きで、一人、俳句や短歌創作活動で遊ぶような少年でした。自己内にあるコンプレックス(聞き取りが悪く、よく誤って人の話を聞き、頓珍漢なコミュニケーションや、教師による指名で誤回答をして、何度も殴られた経験からくるものです)、その本格的芽生えは小学校高学年の時でした。
 親戚の言う「いざり」からは逃れたものの、上記のような実際が、「あほのユキヒロ」という呼称を得たわけです。成長するにつけて、進路の問題がリアルになりますが、「津高に進んだ→そんなわけないやろ、本当か?」「東京教育大学に進んだ→嘘もほどほどにせいや。」などは序の口でありました。そりゃそうでしょうね、幼少期の、寝てばかり、指しゃぶりばかり、起きたと思ったらハイハイで進むことしかできない、食べれば吐き出す、などなどのリアルな姿がインプットされていますからね。
 中度以上の難聴という聴覚は、障害として認定されるわけですが、申請しなければ、認定されません。差別主義者の母及び両親の実家の判断は、障害者の烙印を押されたらもう人生は終わり(立身出世の道は閉ざされるという意味)、ということで、絶対に障害者手帳受領手続きをさせませんでした。私自身も「健常者」集団の中で「孤立」して過ごすことに苦痛はありませんでしたし、授業は聞いていなくてもほかに同質以上の知識を得る方法(体験、調査、読書など)を習得しましたので、特段の不都合を覚えることもなく、「難聴者」という看板をぶら下げる必要もありませんでした。現在の私も、障害者手帳は有しておりません。
 今、ディに通っていて、これまでの人生で、今ほど対等コミュニケーションを取っている(取っていただいている)ことはありません。「左耳は聞こえない、右耳は少し大きな声で言えば聞こえる」ということを、皆さんが理解し、当然のようにその対応をしてくださるからです。私もジョークとして「私の悪口をいうときや叱るときには左耳のほうで、愛を語るときには右耳のほうで、ささやくのではなくちょっと大きな声でお願いしています。」などと言います。高齢者がほとんどの集団なので、聞こえが悪い、ということが、あたかも障害を「人格的欠損」だみなしている多くの自称健常者とは違って、だれも思わないのですね。先に述べました研究者氏も補聴器補填が必要な身体状況になり、私に向かって、「川口さんの聞こえが悪い、という言葉を、今、身にしみて感じています。そうでなかった私は、聞く耳持たないから聞こえないのだ、と決めつけて対応していました。申し訳なかったと思います。」と語っておられました。しかしなお、健常者学者の多くは、「聞こえないおまえが悪い」と、平然と、うそぶいておられるという現状がある日本社会ですね。
 こんな「つぶやき」お聴き取りいただけましたでしょうか。長々と失礼しました。
 数多くのお歌(詩作)に関しては、「詩」という言語表現の特質上、さらりと読み過ごすというわけにも参りません。鑑賞の素養も無いに等しい者です。ですので、じっくりと読ませていただきたく思います。感想等について差し上げるお返事が遅くなりますこと、お許しください。今しばらくお待ちくださいますように。」
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 粋生倶楽部増尾通所リハビリ | トップ | 少しの運動、諸事 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。