続・「名も無き女」を追え!

2017年08月09日 | 日記
○6時50分起床、起床時室温29℃。姉のヴァイオリン演奏、義兄の暖かい応援、母の教育ママ振り、そして相変わらずアホをしているぼく。母の姿が切ない。遠い遠い昔の出来事の夢再生。演奏印章指輪。夢ながらなかなかいい造形美だった。作りたいが現実にはお金が無い。
72.4
117 67 59
○ビニールゴミ出し。かっと照りつける朝の太陽はかつて経験した「台風一過」のそれでもあり、話に伝え聞く「原爆の日の朝」でもあるように思われた。今日は「長崎の日」 黙祷。
○目の視界が狭いだけで無く、今日は涙目がちで、十分に識別が出来ない。疲れからだろう。
*「名も無き女」の続きの入力は出来たが、訳文化に四苦八苦、結果的に、今日のところはお手上げ。「この名も無き女に始めて顔を合わせたとき、どう声を掛けるか、苦渋するところだ」という意味であろう文から始まる。あす、あさってとは、目を酷使することは無いので、ちょうどいい休養になるだろう。
*目の良さだけを誇ってきた我が人生、いよいよ誇りとするところは無くなったか。
○衣服。いわゆるファッション。ぼくには衣服選択センスが無い。
 話は19世紀半ばフランス・パリ。職域は精神医療現場。
 ピラミッド型にヒエラルキー構成されていたこの世界の頂点のファッション(医学博士の職域衣装)は数多くの肖像画や治療現場絵画が残されている。他の医療従事者のファッションはそれを描いたモノを探し出すのに苦労する。が、外科手術現場や「田舎医者」まで視野に入れれば、無いわけではない。
 しかし、エデュワール・セガンが得た「白痴の教師」(1842年~1843年)という職能に関しては、情報は皆無である。
 「白痴教育の開拓者セガンの生涯」という映画製作が2003年に始まり、現在は頓挫しているそうだが(資金難らしい)、セガンの生涯の最大の山場となる「白痴の教師」時代の衣装はどのようなものにする予定なのだろうか?
 セガンの「白痴の教師」時代について、我が国では、「大病院の児童病棟の改革をした」(清水寛氏)、「大病院の中に白痴学校を創設し、運営に携わった」(中野善達氏)を筆頭とし、「医学博士であった」(津曲裕次氏ほか)などと語り伝えられてきたから、その立場からすると、セガンの衣装選択に戸惑うところは無いだろう。しかし、断言する、それらはセガンの実像では無い!
 たかが衣装という無かれ。どのような衣装を身につけて職能を果たすか。いつの時代もどのような社会においても、重要な職能文化なのである。
 ぼくですか? ♫ボロを着ててさ、心もボロさ~♫ でございます。簡単でしょ?

『フランス人の自画像』(19世紀)より「田舎医者」の挿絵。セガンの父親はクラムシーの医師(医学博士)。地元名士のお抱え医師も務めていた。この挿絵のような姿であったのだろう。

○<その人の名は?>
 他人(相手)にあれこれと指図し自分の思うように他人(相手)を動かしたがる(心身ともに同化させたがる)ヒトって、結局、自分がいつか壊されるだろうという恐怖感に支配されているんだなあ。こういうヒトを、懐が小さい、という。ケツの穴が小さい、とも。ちと、下品だが。
 だから、他人(相手)が意のままに動かないとなると、「自分は他人(相手)に殺されると思う」と恐怖感をあらわにして、自分に全面的に降伏している者に、切々と、訴える。
 だけれども、こういうヒトが、日本のいろんな世界で、跳梁跋扈し、場合によっては、尊敬され、重宝されて、活躍の場が与えられている。
 ああ、イヤだイヤだ。
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