ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

さらなる与太話 フレネからパリ・コミューン(1871)へ 1

2017年11月10日 | 研究余話
「おまえは、若い頃から知的障害教育やセガンを勉強していたのか?」 よく出される問い。
 いいえ。フランスとの縁そのものもそう新しい出会いではございません。こんなところなんですー。さるところに寄稿したが、没稿となった貴重な雑文。

 2000年4月1日、私は大きな不安と未だ成熟せざる期待とを抱いて成田国際空港を後にし、フランス共和国での一年間の研修生活を送るべく、旅立った。研修課題は、戦前生活綴方研究を進める中で知ったセレスタン・フレネ(Celestin FREINET 1896―1966)という人物の教育観を追跡・検証することであった。もちろん、彼が独力で創設したフレネ学校の現在(フレネ教育実践)の参観・分析研究が除外されることはない。
 セレスタン・フレネの教育観・教育運動の中で光彩を放つのが、「学校に印刷機を」の運動と「世俗教育協同組合(CEL)」創設であろう。前者は学習のための教材を子どもたちが手作りするという大きな教育方法改革運動を生み、この点が我が国の戦前生活綴方運動と相似するところがある。後者の「世俗教育」はヨーロッパ・フランスの近代教育構築について回る大きな課題である。我が国になぞらえれば戦前の「現人神・天皇」を絶対とする教育をどうとらえるかという問題に通じるであろうか。我が国で展開されてきたフレネ教育研究は前者に傾いているが、後者を等閑視していいはずはない。
 研修には必然とする身を預ける権威機関を得られないまま、フランス・パリをあてどなくさまよい歩く日々が続いた。上記の問題意識を直接深めていくことが出来ないいらだちを覚える毎日ではあったが、問題意識をかすめる事象との出会いの数々が、ぼくの頑なな視野を和らげ、開いてくれるような感覚も育っていた。
 ある日のこと、日々の生活必需品の買い出しのため、観光ガイドブックで言う朝市に出かけた。さまざまな街宣が為されもするような、おおきな市である。フランス共産党機関紙の購読を訴えていたので、フレネは共産党員だったなあ、と思い起こし、どのようなことが記事にされているのだろうかと興味がわいて、買い求めるべく、街宣者に声を掛けた。細かなやりとりは省略するが、彼はぼくがフレネの研究のために渡仏したことを知ると、生前、フレネと親交を結んだ中等学校教授がいる、聞き取りをするなら仲介の労を執ってやろう、と言う。(続く)
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