SSCドロップインセンター 

少年事件・非行問題・いじめなどの相談を受け、一緒に解決の道を考えるソーシャルワーカーたちの活動の紹介です。

鈴鹿8時間

2008-07-28 07:23:00 | Weblog
今年も、三重県の鈴鹿サーキットでオートバイのレースがおこなわれました。灼熱の中を8時間も走り続ける耐久レースで、日本のバイクレースではもっとも大きなイベントのひとつになっています。5年前、中3の津田一磨君が市川塾に入塾しました。彼は3歳の頃からオートバイに親しんでいて、中3の時には既に大人に混じって上位にランクされるライダーでした。その津田君も昨日のレースに出場しました。毎年現地で応援したいと思いながら、仕事の都合があわずに、東京で僅かな情報を頼りにレースの結果よりも安否を気にしておりました。70台出走のうち、完走は54台。悪天候で転倒・リタイヤの相次ぐ中、津田君はパートナーのブルックス氏と8時間を走りきり、10位に入賞しました。一周5キロ強のサーキットを204週。よく頑張りました。それにしても怪我がなくてよかった。

思考が追いつかない時

2008-07-23 08:26:07 | Weblog
「誰でもよかった」と殺人犯は言っています。私を含め、多くの人がこれらの問題に評論をしています。しかし、評論家達の主張が勢いを落としているように思います。先日、埼玉県の事件について、ある高名な教育評論化が「たいていの事件では、私は直感的にわかりますが、今回についてはわからない。」と言い放ちました。確かに多くの人たちが、わからなくなってきているようです。わからなくなった時に、私たちの思考は丁寧さをなくして、安易な解決にジャンプすることがあります。こうした「わからない」事件が起きてきたときにこそ、大いに議論をし、私たち一人ひとりが思考を止めないことが、厳罰化や犯人を社会から徹底的に切り離していくことを防いでいく力になるのだと思います。これは、自戒をこめてです。

家族内の犯罪

2008-07-19 12:34:25 | Weblog
今日、中学校3年生の女の子が父親を刺殺したニュースが入ってきました。少年事件の内容は、僅かにマスコミから漏れてくる情報でした知ることができませんが、この家族の悲しみは、この事実からは十分に伝わってきます。当事者は現実を受け入れることができるまで相当の時間を要するでしょう。人を刺してしまった少年から話を聞いたことがある。興奮状態で事件に臨む、そしてナイフで刺す。しかし、その瞬間、すべての夢から覚醒したように呆然とする。「これが夢であってくれれば」少年は言います。「人を刺した奴は、皆そういいますよ。」誰かに止めて欲しかったとも言います。人生が始まったばかりの子どもは、その人生のほとんどを人を殺した事実を背負って生きていきます。「どうやっても反省の仕様がないんだ」と経験のある少年は言います。この子が死んでしまった父親から許されるに似た思いを持たせることができるような支えが必要になるでしょう。こうしたシステムは日本にはほとんど見当たらないようです。

福祉の役割

2008-07-05 09:35:34 | Weblog
法律の役割が幅を利かすと、福祉の出る幕がなくなってしまうことがある、と私は考えています。私が関わってきた少年事件では、事件そのものは刑法犯ですから、司法の領域として取り扱われますが、自律・更生については、福祉の役割になってきます。少年事件への福祉の役割は、少年が再犯を起さなくても良い状態にすること、そのために、少年が十分に自分のこと、社会のことを考えることができるような環境を作ることだと思います。この福祉の役割が、現代社会の中で担いにくくなっているように思います。福祉の根幹は「受け入れる」ということそして、少年が「受け入れられたと思う」ことです。それが、しにくくなっている今、であるから、少年法改正など司法の強化が続けられてきた。社会は今、弱者に対する排除の力を強めてきたように思います。なぜ、排除をしなければならないのか?おそらく、私たち市民一人ひとりが何かに侵害され、自分の生活が脅かされることをおそれ、それを未然に防ぐことに力を注ぐからなのかもしれないと思います。私たち自身に余裕がないのですね。余裕というのはおそらくその人の「力」によるものなのかもしれません。抽象的な表現ですが、次回はその「力」について考えてみたいと思います。つづく。