錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『浪花の恋の物語』(その9)

2017-02-25 10:47:59 | 錦之助ノート
 話は3年あまり前にさかのぼる。
 錦之助が有馬稲子と初めて会ったのは、昭和30年10月半ば、場所は築地の料亭であった。東京に台風が吹き荒れた日の夕刻、月刊誌「近代映画」の依頼で急きょ有馬と対談することになったのだ。
 男女の出会いというのは不思議なもので、もし台風が来なければこの日の対談は実現せず、二人の出会いはずっとあとになるか、あるいはまったく違った形になって、互いに惹かれ合うこともなく終わっていたかもしれない。
 錦之助は、10月初めに京都で『続・獅子丸一平』を撮り終え、久しぶりに東京の実家へ帰って休暇中であった。この日の午前中は台風で外へも出られず退屈していた。そこへ、近代映画社の写真家の三浦波夫から電話が入った。午後には台風も通り過ぎるそうなので、良かったら撮影に付き合ってくれませんかと三浦が言うので、錦之助は退屈しのぎにオーケーした。来年の正月号に掲載するグラビア写真の撮影だった。場所はどこにしようかと訊くので、錦之助は銀座がいいと言った。錦之助は大好きな銀ブラを多分人通りの少ない台風一過にしてみたくなったのだ。
 三浦と待ち合わせの時間と場所を決めて、錦之助は電話を切った。するとしばらくして、今度は小山編集長から電話が入った。今日、もう一つ、ぜひともお願いしたいことがあるのですが、と言う。写真撮影が終わったあと、夕方から女優の有馬稲子さんと対談してもらえないかという申し出であった。有馬さんも今日は台風でクランク中の映画の撮影が中止になったので世田谷の自宅にいて、錦之助さんとの対談なら喜んでそちらへ出向くと言っているとのことだった。
 座談会や対談が嫌いで、ことに初対面の相手との対談はほとんど断ってきた錦之助ではあったが、映画の宣伝にいつも協力してくれる「近代映画」の依頼でもあり、また、なにかと話題に上る有馬稲子という個性的な美人女優に一度は会ってみたいという気持ちもあって、錦之助は快諾したのだった。
 当時有馬は、「近代映画」誌上で「ネコちゃん対談」というページを受け持ち、人気スターの聞き手を務め始めていた。この連続対談は昭和30年11月号から始まり、第一回のゲストは佐田啓二、12月号に掲載予定の第二回は江利チエミだった。二人とも有馬が希望した相手で、二回分の対談はすでに済ませていた。佐田は有馬が映画で何度か共演している俳優であり、チエミの歌は有馬も好きでよく聴いていたので、まだ聞き手役に慣れない有馬もこの二人とは打ち解けて話をすることができた。そして、来年の新春号に掲載する第三回「ネコちゃん対談」のゲストは誰にしようかと編集部で協議していたところに、錦之助という願ってもない相手が絶好のタイミングで登場したのである。(つづく)


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『浪花の恋の物語』(その8)

2017-01-12 14:35:38 | 錦之助ノート
 錦之助が沖縄公演を済ませて、東京・青山の実家へ帰って来たのは、年も押し詰まった12月29日であった。その日の夕方、錦之助は三喜雄から、内田監督が梅川役に有馬稲子を望んでいるということを聞いて、「えっ!」と大声を上げ、顔をほころばせた。錦之助自身、頭の片隅で有馬稲子の梅川を思い浮かべていたからだ。錦之助はこれまでずっと有馬との共演を望んでいた。そして、そろそろそのチャンスが巡ってくるのではないかと思っていた。最近、有馬が時代劇に出始めたこと、そして、この秋に内田吐夢監督の東映東京作品『森と湖のまつり』に有馬が出演して、東映とのつながりができたことが、錦之助に有馬との共演の予感を抱かせたのである。
 実は錦之助が有馬稲子と共演するチャンスは、これまで二度会ったが、いずれも実現しなかった。
 一度目は、錦之助初の現代劇映画『海の若人』(昭和30年)だったが、相手役の候補に上がった程度ですぐに流れてしまった。有馬は、錦之助を16歳か17歳と勘違いして、「私のほうが年上だから若いツバメみたいに見えるんじゃない」と冗談を言ったところ、それがいつのまにか「錦之助なんかと共演するのはイヤ!」ということになって報道されてしまったらしい。錦之助は京都新聞を読んでカチンと来て、「なんだ、同い年のくせに、お高くとまりやがって!」と思ったが、わざわざその記事を切り抜いてスクラップブックに貼ったのだという。第一印象は悪かったが、有馬稲子という女優に錦之助が強い関心を持ったのはこの時であろう。
 二度目は、マキノ雅弘が監督し、錦之助が若きジンギスカンを演じる予定だった東映東京作品『大成吉思汗(大ジンキスカン)』である。プロデューサーのマキノ光雄が錦之助の相手役に有馬を考えて交渉し、一度はオーケーをとったのだが、これも日程の都合で流れた。映画自体も昭和32年秋、撮影開始数日で中止になり、結局製作されないまま終わってしまったのだった。

「いいねえ。有馬さんなら申し分ないよ。兄貴、有馬さんに決めてくれよ」
 気の早い錦之助に兄の三喜雄も苦笑いしながら、
「そう簡単にはいかないよ。有馬さんがやりたがるかどうかも分からないし……」
「大丈夫だよ。叔父さんのつまんない相手役より、ずっとましさ」
 錦之助の言う叔父さんの相手役というのは、木下順二の民話劇を山本薩夫監督が映画化した時代劇『赤い陣羽織』(歌舞伎座映画製作、松竹配給)に叔父の中村勘三郎が主演して、そのマドンナ役を有馬稲子がつとめたことである。『赤い陣羽織』は以前勘三郎が芝居で主役の代官を演じて好評だったため、映画でも同じ主役を演じることになったのだが、勘三郎はこれが映画初出演であった。有馬の役は水車小屋の番人の女房で、美しい有馬に惚れた勘三郎が有馬をモノにしようとして失敗するといった一種の艶笑劇である。錦之助は、この映画の撮影後に勘三郎と会って話した時、勘三郎がしきりに有馬稲子と共演したことを自慢するので、羨ましいのを通り越して、悔しい思いを味わっていた。「ネコちゃんって、実にいい女なんだよなあ」などと、叔父が年甲斐もなく鼻の下を伸ばし、有馬稲子のことを愛称で呼ぶのを聞いて、内心「チクショー!」と思っていた。今年の9月下旬、『赤い陣羽織』が封切られると、すぐに錦之助は映画館へ見に行った。あまり笑えない映画で、芝居のほうがずっと面白かったと思った。そして、勘三郎に電話をして、手厳しい批評を浴びせて、溜飲を下げたのだった。

「早く有馬さんに連絡して、訊いてみろよ」
 三喜雄は来年早々有馬とコンタクトを取って、交渉してみようかと思っていると言うと、せっかちな錦之助は手帖を取り出し、ぺらぺらめくりながら、
「善は急げだよ。あった、あった、電話番号」と言って、にっこり笑った。
 まだ心の準備ができていない三喜雄はあわてて、
「おい、今すぐ電話するのか。仕事納めで、もう有馬さんの事務所、やってないよ」
「いや、これ自宅の電話番号なんだよ。有馬さん、いるかもしれないよ」
「えっ、なんで番号、知ってるんだよ」
「前に有馬さんと雑誌の仕事でいっしょになったことがあったじゃないか」
「ああ」
「そのあと有馬さんの家へ行ってご馳走になってさ。その時、また会いましょうって教えてくれたんだよ。結局、それっきりになっちゃったんだけど……」
(つづく)


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『浪花の恋の物語』(その7)

2017-01-11 18:56:11 | 錦之助ノート
『森と湖のまつり』で有馬稲子が演じた鶴子という役は、内地人のアイヌ研究家との結婚に失敗し、札幌から釧路へ流れて、カバフト軒というスナックを営んでいるアイヌ女性だった。主役の高倉健はアイヌ民族運動の闘士・風森一太郎といい、鶴子は一太郎と元恋人同士だったことから、今でも腐れ縁で結びつき、カバフト軒は一太郎の隠れ家になっている。
 有馬がカバフト軒のマダムとして登場するシーンは、映画の前半の重要な部分で、香川京子、三國連太郎、高倉健が扮する主要な人物がここに集まって、後半の波瀾に満ちたドラマへと発展する契機となる場面であった。有馬は、一場面とはいえ、不幸な過去を持つ女の役を、持ち前の研究心と体当たりの演技で見事に演じ、監督の吐夢の期待に十分に応えたのだった。メークを工夫し、北海道弁を使いこなして、情熱的で気性の激しいアイヌ人の美女になりきった。
 このシーンの撮影は、東映東京撮影所のセットで行われたが、吐夢は、不器用ながら懸命に演じる有馬稲子という女優が大変気に入り、もう一度使ってみたいと思った。それで、梅川役にはまっ先に有馬を望んだのである。

 当時、有馬稲子は松竹と優先本数契約を結んでいた。一年に6本、松竹の映画に出演すれば、他社出演もオーケーという条件である。それで、東映東京の『森と湖のまつり』に出演することができたのだが、撮影に加わったのはわずか3日間であった。有馬クラスの主演級女優となるとスケジュールの調整が難しく、撮影が長期に及ぶ他社製作の大作にヒロイン役で出演するのは困難な状況にあった。有馬が所属するプロダクション「にんじんくらぶ」が製作した大作『人間の條件』6部作(小林正樹監督)に有馬はヒロイン役を切望したが、それができなかったのもこうした事情によるものだった。

 三喜雄と辻野は、吐夢の口から有馬稲子の名前が出た時、頷きもし、賛成もしたが、吐夢の家を辞去したあとになって、二人ともこれは大変なことになったと思った。今度の映画は東京ではなく京都で撮影する時代劇で、有馬の役は錦之助の相手役とはいえ、ほぼ同等の主役である。しかも、内田吐夢が監督する以上、撮影に一ヶ月以上かかることは間違いない。東京に住む有馬がオーケーするだろうか。たとえ有馬がオーケーしても、はたして松竹が承諾するだろうか。それも疑問である。
「ともかく、まずは有馬稲子に直接交渉してみるしかないだろうな。吐夢さんも意欲的だし、東映本社のほうは大川社長を説得して、オレが何とかするよ」と辻野が言った。
「じゃあ、有馬さんにはぼくがコンタクトをとってみますよ。スケジュールは来年の夏くらいでしょうかね」と三喜雄が尋ねた。
「そうだな。秋には仕上げて、できれば芸術祭参加作品にしたいけど……」
「そうなるといいですね」
 二人は映画の実現に向けて互いに頑張ろうと言って別れた。(つづく)


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『浪花の恋の物語』(その6)

2016-12-25 21:41:02 | 錦之助ノート
 初めは巨匠の前でかしこまっていた三喜雄も、だんだん打ち解けてきた。正座を崩さずニコニコしながら話を聴いている三喜雄を見て、吐夢が言った。
「いやあ、実は、錦之助君に対しては申し訳ないなと思っていたんです。『大菩薩峠』で3年間も宇津木兵馬をやらせてしまいましたからね。来年の春、完結篇を撮ってから、次は錦之助君の主演作をぜひ撮ってみたいと思っていたところに、この話が来たんで喜んでお引き受けした次第なんです。忠兵衛はまったく違った役になりますが、今の錦之助君なら十分演じられるでしょうし、大いに期待しているんですよ」
 そう言われて、三喜雄は、弟のことながら、嬉しさで胸がいっぱいになった。
「忠兵衛は錦之助がずっとやりたがっていた役ですし、内田先生の作品ということで、錦之助も大変喜んでいるんです。ぼくも同じ気持ちです」
 吐夢はほほ笑みながら、辻野のほうを見て、
「弟思いのプロデューサーがそばにいて、錦之助君も幸せですな。辻野君も全面的に協力してあげないといかんな」と言った。
 辻野は、自分に向けられた吐夢の言葉に、この企画を実現させろという吐夢の指示を感じとり、あわてて「はいっ」と答えた。
「ところで、相手役の梅川のほうですが、ひとり、考えてる女優がいるんです」
 辻野も三喜雄も思わず膝を乗り出し、吐夢の顔を覗き込んだ。
「ほー、だれですか?」と辻野が尋ねると、吐夢はちょっと照れくさそうな表情を浮かべながら、それでもきっぱりと言った。
「有馬稲子です」
「ああ」と辻野は言うと、合点がいったように首を縦に二、三度振った。
 三喜雄はハッとして、口をぽかんと開けたまま、すぐに有馬の顔を思い浮かべた。有馬には一度も会ったことがないので、雑誌のグラビアか何かの写真の顔である。そしてすぐに、錦之助が「有馬稲子と共演したいなあ」と何度も言っていたことを思い出したのである。
「この前の映画に少しだけ出てもらったんですが、なかなかファイトのあるいい女優でしてね」と吐夢が言った。
 その映画とは、今年の秋に吐夢が撮った『森と湖のまつり』(昭和33年11月26日公開)であった。アイヌと日本人の問題をテーマにした武田泰淳の長編小説を植草圭之助が脚色し、東映東京撮影所で製作した現代劇のカラー大作である。主演は高倉健、共演に三國連太郎、香川京子、中原ひとみ、藤里まゆみ、そして有馬稲子が特別出演した。吐夢は、高倉健の相手役として最初、左幸子を希望したが、日活の専属女優だった左は五社協定のため出演することができなかった。そこで有馬稲子を候補に上げ、出演交渉をしてもらったところ、北海道ロケが長期に及ぶことを有馬が聞いて、その役を辞退した。それで、久我美子に話が行ったが、久我もスケジュールの都合で出られず、最後に急きょ、香川京子に決まった。しかし、有馬は、吐夢のこの映画にぜひ出たいと思い、東京でのセット撮影ならオーケーして、一場面だけ特別出演したのである。釧路のスナックのマダムの役であった(この役は当初淡島千景を予定していたが、淡島が有馬に譲ったようだ)。(つづく)


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『浪花の恋の物語』(その5)

2016-12-24 18:55:18 | 錦之助ノート
 三喜雄が、企画部長の辻野公晴とともに、東京・笹塚にある内田吐夢の家を訪ねたのはクリスマス過ぎであった。年を越す前に、挨拶と簡単な打ち合せだけはしておきたかったからだ。
 辻野は、吐夢とは戦前から旧知の間柄だった。三喜雄は、吐夢と京都撮影所で挨拶をする程度で、直接会って話したことはない。巨匠吐夢の作品のプロデュースを担当するのも初めてなので、緊張していた。
 数日前、吐夢を訪ねた鈴木尚之が、「吐夢さんが監督を快く引き受けてくれたので、ほっとしたよ」と言っていたが、三喜雄も同じ気持ちだった。弟の錦之助が快諾することは分かっていたので、最初に鈴木から吐夢に打診してもらったのだ。鈴木の話では、錦之助が主演することも、成沢昌茂がシナリオを書くことも、喜んで了承したという。
「梅忠」映画化の話が持ち上がって、わずか一週間で、監督、脚本家、主演者が決まったのだが、まだこれから先が大変であることは、三喜雄も十分承知していた。本社の企画会議にはかったところ、幹部から消極的な意見が出て、まだ製作決定にまでは至っていない。大阪の商人と遊女との悲恋話では、立ち廻りもなく、東映向きではない、というのである。
「会社も慎重になるんだよ。それに吐夢さんが監督するとなれば、大作になること間違いないし、金も日数もかかるからな」と辻野が言った。
「錦之助もやる気満々ですし、なんとか企画が通るようにぼくも頑張りますので、よろしくお願いします」と三喜雄は辻野に頭を下げた。
 辻野は、マキノ光雄亡きあと、企画段階で錦之助出演作のほぼすべてに関与し、また、三喜雄が錦之助主演作品をプロデュースするのをこれまでずっと積極的に支援してきた人物である。沢島忠監督の『一心太助』と『殿さま弥次喜多』シリーズ、柴田錬三郎原作の『源氏九郎颯爽記』『剣は知っていた 紅顔無双流』、そして『風と女と旅鴉』『浅間の暴れん坊』などはすべて、三喜雄(タイトルでは小川貴也)と辻野の共同プロデュースであった。
「吐夢さんにもきっと何か考えがあると思うんだ。巨匠、あれでいてなかなかの戦略家だしなあ」
 東映内では皆、吐夢のことを、畏敬の念を込めて「巨匠」という名で呼んでいる。それは、彼の映画だけでなく、体格もまた、並外れてスケールが大きいためである。撮影中は怖くて近寄りがたいが、普段は温顔に微笑をたたえ、言葉遣いも丁寧で、人当たりもよい。

 吐夢は、愛想よく辻野と三喜雄を迎えた。
「鈴木君から話を聞いて、近松のああいう世話物を東映でやるのは難しいんじゃないかと思ったんですけどね」と言うと、吐夢は話を続けた。
「東映の時代劇は、侍かやくざが主役で、チャンバラが売りものですからね。わたしが前に撮った『暴れん坊街道』は、近松の原作でも親子の話で、現代にも通じるテーマでしたから、チャンバラがなくてもドラマになりましたが……」
「いやあ、あれはいいシャシンで泣けましたよ」と辻野は言った。お世辞ではなく、本当のことだ。三喜雄もすぐに辻野の言葉を継いで、
「ぼくもです」と言った。
「それで、今度の『梅川・忠兵衛』なんですが、亡くなった溝口さんならリアリズムで追い詰めて描くでしょうが、わたしは男女の情話みたいなものは苦手ですからね。近松が生きていた時代の大阪の社会的経済的な背景から男女の悲劇を描いてみようかと思っています。当時の大阪は商人が台頭して、金の力がものを言う社会が成立していたんですね」
 辻野も三喜雄も頷きながら、吐夢の話を聴いている。
「これは成沢君とも話し合って決めなければならないことなんですが、テーマは、金が人間を支配する社会の中で反逆した人間の悲劇でしょうかね。今度の映画では封印切りが沸騰点になるんでしょうが、いろいろな内面的な葛藤があって、それが煮詰まって、封印切りという行動に至らしめたと解釈したいんです」
 吐夢の弁舌はよどみない。「梅忠」の映画の内容が社会性を帯び、ぐっと深まってくるから不思議である。(つづく)


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