錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~初舞台と子役デビュー後(その4)

2012-08-17 20:25:41 | 錦之助伝~生い立ち、初舞台
 錦之助が初めて六代目菊五郎と同じ舞台に立ったのは、初舞台の翌月、昭和十一年十二月の歌舞伎座公演「河内山と直侍」の時である。「菊吉」の合同興行で、吉右衛門の河内山に、菊五郎の直侍だった。菊五郎と禿の錦之助(四歳)の写真が自伝「あげ羽の蝶」に載っているが、菊五郎が錦之助に目をかけ、可愛がり始めたのは、すでにその時からだったのかもしれない。

 六代目菊五郎のことについて、錦之助は「ただひとすじに」にこんなことを書いている。
 
――歌舞伎座の舞台で今は亡き一世の名優六代目尾上菊五郎丈の「道成寺」に小坊主で出演させていただきました。菊五郎丈には自分の孫のように可愛がられ、楽屋では私はいつも祖父のように慕っていたものでした。その後も六代目の舞台に出演させて戴く機会があると食事時にはきまって私の来るのを待ち、男衆にさがさせても私を呼びよせ楽屋で食事を共にしました。芸には厳しかった六代目も幼い私にはふところにでもしまいたい面持で、好々爺そのものでした。「錦坊、えらい役者になるんだ」と頭を撫でてはよく云ってくれたその言葉が深く私の脳裡に焼きついて、幼い頃、耳にしたその言葉が今も尚、私の血潮の中に生きていて、私を鞭打ってくれます。

 資料によると、六代目菊五郎が花子になって踊る「京鹿子娘道成寺」に錦之助が小坊主(所化)の役で初めて出演したのは、昭和十五年十二月の歌舞伎座公演で、錦之助が満八歳の時である。「道成寺」には坊主も小坊主もたくさん出て来るが、菊五郎はよほど錦之助を可愛がっていたのだろう、その時にわざわざ錦之助の小坊主を選んで二人だけで記念のブロマイドまで撮っている。


「娘道成寺」錦之助と菊五郎

 また、自伝「あげ羽の蝶」には、「六代目が台詞の合間に即興の言葉を入れてからかう人でした」と前置きして、こんなことが書いてある。

――「青砥稿花紅彩画」(あおとぞうしはなのにしきえ)、つまり「白浪五人男」の浜松屋で、おじさんの弁天小僧に、僕が丁稚の役をやらしてもらった時など、ひどいものです。弁天小僧に、「お茶もってこい」とか、「草履を並べろ」とかいわれると、ただ「ヘイ!」といってそれだけをやる台詞とてない丁稚の役なんですが、おじさんときたら、ただそれだけでは許してくれません。その日その日でいろんな言葉が飛び出し、これは子供の僕としては大弱り、つい面倒になって、「小僧、名前はなんだ」とからかわれると、「小川錦一だよ」と答え、物堅い吉右衛門伯父さんに「あんなことをいっちゃあいけない」としかられたものです。しかし、それでもおじさんに「おい、そのアサウラ(草履)は何で出来ているんだ」といわれると、おもわず「うるさい、早く帰れ」といってしまうことすらありました。

 これは昭和十四年三月、歌舞伎座公演でのことであろう。錦之助は六歳、小学校に上るすぐ前の頃である。そばで見ていた伯父の吉右衛門は南郷力丸だった。
 母のひなはこの時のことについて、「六代目さんは錦之助にセリフにないセリフを急に言って、ためすんですね。それでつっかえないで答えるような練習をさせるんです。錦之助は舞台度胸は立派でなかなかいい答えをしていました」と語っているが、わが子錦之助の舞台を毎日ハラハラしながら見ていたのではなかろうか。
 母ひなの話では、六代目の弁天小僧が吉右衛門の南郷と浜松屋を引き上げる場面で、丁稚の錦之助が草履を持って来るところでは、六代目が変なことばかり訊くので、「うるせえな! 早くけえれ」と言ったのだそうな。「うるさい、早く帰れ」では弱い。錦之助は著書の中では少し丁寧に書いたのだろうが、江戸弁で言わなければ、錦之助らしくない。
それがまた大変うけて、お客が大喜びなんです。六代目さんも、錦之助には、一本参ったと大笑いされてましたがね」とひなは嬉しそうに語り、さらに続けて、「六代目さんは、『道成寺』で自分が踊っていても、錦之助ばかり見ていましたよ。可愛かったんでしょう」と付け加えている。

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