セロ弾きのゴーシュ  

    ~思い出はゆりかご~

セロ弾きのゴーシュ

2016-02-29 16:06:52 | 日記
今年のお正月が終わって、いつも通りの日常生活が始まった1月8日の朝
主人が倒れ、急性心筋梗塞であっという間にこの世を去ってしまいました。

余りにも突然で、未だに現実を受け入れることが出来ません。
お正月を一緒に過ごした子供たち家族や孫たちも信じられない気持ちでいることでしょう。

私のささやかでも、とても幸せな日々が一瞬にして無くなってしまいました。
主人がいないこの世界で、これから一人で生きていかなければならないことが辛くて寂しくて、怖いです。
いっそ主人のいる世界に行けば楽になれるのに・・・。
でも私を心配してくれる子供たちや孫たちのためにも歯を食いしばって生きていかなくちゃという
二つの気持ちが交錯する毎日を送っています。

そんな時、ある日ふと私の心に浮かんだ曲があります。
主人が好きだった、さだまさしさんのアルバム『風見鶏』の中の一曲”セロ弾きのゴーシュ”です。

この曲は未亡人になった女性の歌です。
思わず自分と重ね合わせて、ブログのタイトルにしました。
さださんの優しげな声が心に沁みわたります。


~セロ弾きのゴーシュ~

Celloにはオン・ザ・ロックが似合うと
飲めもしないで用意だけさせて
ひとつ覚えのサン=サーンス
危な気な指使いそしてボウイング
まるで子供の様に 汗までかいて
悲しすぎる程 優しい人
私はいつでも 涙うかべて
楽し気なあなたを見つめるだけで
倖せだった

陽気なあなたの事だもの
今頃きっと雲の上で
誰かを無理矢理誘って
「白鳥」を聴かせているかしら
飲み手のいないウィスキー 今夜も用意だけして
私のお相手は カザルスとティボー
私はいつでも 涙うかべて
想い出だけ聴いて 明日は晴れると
笑うふり

明日もしも晴れたら
オン・ザ・ロック用のお酒がきれたので
市場へ行こうと思うの
ねェ想い出も売っているといいのに
もっともっとたくさん 想い出が欲しかった
もう一度あなたに会う迄の糧に
私はいつでも 涙うかべて
あなたの残した 大事なCelloを
一人で守る


 
もう一曲。
こちらも、さだまさしさんのアルバム『風見鶏』に収録されている”思い出はゆりかご”です。
このブログのサブタイトルにしました。


~思い出はゆりかご~

こうして目を閉ざせば いつでもあなたに逢える
そうしてあなたの優しさ 数え乍ら生きてゆける
思い出というものは 泣き疲れて眠る時の
私にたったひとつ許された ゆりかごなの
ゆらりゆらり揺れて 夢の行方たどる
楽しかった頃のあなたを も一度呼び戻せる
 
どうしてなくす前に 気付かないものでしょう
余りに見慣れ過ぎて いつの間にか見失う
幸せというものは 丁度雨あがりの空に
立ち登る虹のふもとの 頼りなさに良く似ているわ
ゆらりゆらり揺れて 夢の果てに出会う
追えば必ず遠ざかり すぐに消えてしまう
ゆらりゆらり揺れて 夢の行方たどる
 

主人の声を聴けなくなって49日以上経ちました。 
さだまさしさんの声が主人の声に少し似ている気がして、
この二曲をたまにかけて聴いています。
 

今まで主人と二人、二人三脚でブログをやってきました。
一人になった今、もうブログは続けられないと思ったのですが、
何かしないと落ち着かないので、
自分のために少しずつ綴っていこうかなという気持ちになりました。

よろしくお願い致します。

 

 

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
   | トップ | 東風吹かば匂い起こせよ梅の花 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
良かった! (みかん)
2016-05-11 20:38:23
初めまして(^^)みかんと申します。
ずっと気になっていました。
なんとお呼びしたらいいかわからないんですけど・・・これからも拝見させていただきます♡
ありがとうございます (serohiki)
2016-05-12 07:33:06
みかんさんへ
以前から、みかんさんのブログをいつも楽しみに読ませていただいておりました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
我が家もさださんの歌で支えられ、救われました (やっすー)
2018-01-16 01:23:01
突然の投稿で失礼します。

私も気持ちが定まらないときに、
つい、さださんの歌を口ずさんでしまいます。

そしてつい、その歌に影響を受けられた方を
探してしまうのです。

今回は「思い出はゆりかご」でした。

その結果の書き込みです。
ご理解下さい。

私は今年で40になりました。
両親はもう共に亡くなり、
今は親孝行も叶わないです。

そんな父と母は、さださんがいなければ
巡り会わない運命でした。


母は身体が弱く、一人息子である私を
産んでからも、入退院を繰り返していました。

腎不全で何度も、生死のせとぎわに立ち
病床では浮腫んだ顔に笑顔もなく、
泣いてばかりいました。

私の実父は、不器用な人で
そんな中、猛烈に仕事をするしか
気持ちが収まらなかったようで、
いつしか、大きな溝が出来ていたようです。

気がついたら母子家庭になっていました。

ただ、そんな母を助けてくれたのが
叔父…母の兄でした。

当時あまり安くはなかった、ラジカセに
さだまさしの曲をたくさん詰めて、

笑ってよ、君のために
笑ってよ、僕のために

自分の人生の中では
誰もが皆主人公だと

口下手な叔父でしたが、
さださんの歌の力を借りて
母は何とか持ち直しました。

それからの我が家は、いつの時も
さださんの歌が流れ、幼かった私も
大きな影響を受けました。
その当時は歌詞の意味もわかっていませんでしたが(^-^;

私が拙いながらもさださんの歌を歌うと
母は笑顔になってくれました。


それでも母の腎臓は、徐々に機能を失い
私が小学校5年の頃には、人工透析を導入
しなければならなくなりました。

ただ、母は強かった。

仕事と透析を両立し、裕福ではなかったけれども、何不自由なく私を育ててくれた。

また、叔父をはじめとした親戚にも愛され
とても幸せでした。

そして当時、母はまだ30才を少し過ぎたところでしたが、10年近く病気と闘う中で、最愛のパートナーを見つけたのです。

それが、私の育ての父です。

父と母は、同じ透析患者。週に三回、長時間拘束される透析ベッドで隣になったのが出会いでしたが、当時父も不治の病に気持ちが消化できずに、あまりコミュニケーションを取ってはいなかったようです。

そこで、再度さださんの歌が登場します!

何気なく父が口ずさんだ歌が、さださんの歌だったのです。

そこから仲良くなるのに時間はかかりませんでした。二人でドライブに出かけ、そこには決まってさださんの歌が流れていました。

翌年、父とは母は結婚しました。
もちろん、さださんの歌に包まれながら。

私はこの父と母の愛の努力のおかげで、特に大物にはなれませんでしたが、一端の社会人になることができました。とても感謝しています。

さださんの歌は、我が家の幸せの象徴です。

もしよろしければ、また話の続きをさせてください。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
やっすーさんへ (serohiki)
2018-01-16 07:57:09
やっすーさんへ

はじめまして。
当ブログにお立ち寄りいただき
ありがとうございます。

やっすーさんのお話を伺って朝から涙です。
さだまさしさんの歌はいいですね~♪
琴線に触れる歌が多いです。

道化師のソネットは主人が大好きな歌でした。
大好きな、そして大切な人を亡くした人の気持ちは
その人だけにしか分からないものですね。
辛くて寂しいです。

笑ってよ、君のために
笑ってよ、僕のために

辛いときこそ笑ってやっていきましょう。
どうぞまたお話しをお聞かせ下さいね。

日記」カテゴリの最新記事