この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

美食家、その3。

2017-12-07 22:30:30 | ショートショート
 闇は人から時間の流れの速さを計る感覚を奪う。ダドリーにはそれが光が進むように速くも、また亀の歩みのように遅くも感じられた。いつの間に眠ってしまったのか、ダドリーは肩を揺すられ目を覚ました。
「叔父さん、夕食を持ってきましたよ」
 クリスがそう言うと、ダドリーの唇に何かが触れた。ダドリーが口を開くと、それがさっと押し込まれた。胡麻の香りが香ばしいセサミクッキーだった。どうやら声の位置からして、ダドリーの口にクッキーを押し込んだのは、クリスではなくサムらしかった。いっそこのサムという男の指を噛み千切ってやるか、と一瞬ダドリーは思ったが、そのことまで頭に入れて自らが食事を与えようとしないのであればクリスの手に乗るのも癪だと思い直した。
 三枚目のクッキーがダドリーの口の中に消えた時点でクリスが、これで終わりです、と言った。
「こ、これだけか?」
 ダドリーは聞き間違えたのかと思い、問い返した。午前中はいつも食欲がなく、今朝も朝食をほとんど口にしておらず、そのためこの時はきわめて空腹であったのだ。
「ええ、そうですよ」
「しかし、これは、これだけじゃ…」
「叔父さん、何を贅沢言っているんです?自分の立場というのをわきまえてくださいよ」
 クリスが皮肉に満ちた口調で言った。
「せ、せめて何か飲み物を…」
「もちろん用意してますよ」
 ダドリーの唇にストローが当てられ、彼はむせ返りながらも人肌に温められたミルクを吸い込んだ。
「叔父さん、いっぺんに飲むと喉を詰まらせますよ」
 クリスの忠告に構わず、ダドリーは、カップ一杯のミルクを一気に飲み干した。それほど喉が乾いていたのだ。
「それでは叔父さん、明日の朝を楽しみにしておいてください」
 そう言い残してクリスは階上に去って行った。再び地下室にはダドリーともう一人、おそらくサムと呼ばれる唖の男が残された。だがそれもダドリーが息を潜め、精神を集中してようやくその気配をわずかに感じられるかどうかだった。
 ここにはお前一人なのだと言われれば、ダドリーはそれを鵜呑みにしたであろう。
 暗闇の中、ダドリーは思い出していた。クリスと初めて顔を合わせたのはもうかれこれ七年も前のことになる。ずいぶん軟弱そうな若者だと思ったものだが、なぜだか拒絶する気にはなれなかった。父が死んでからも一切エレンたちのことを顧みなかったことに罪悪感を覚えたのか、それともただ年を取ったことで人恋しかっただけなのかもしれない。
 自分でも説明がつけられないことだった。とにかく初めて会う甥の、人好きのする笑顔が偏屈な老人を捕らえて離さなかったことだけは事実だった。
 それ以来、ただひたすらダドリーの死を待ち続けたのだとすれば、他にどれほど欠点があるにしろ、クリスフォード・ケインという男ははずいぶんと辛抱強い性格だと言える。そして役者でもある。
 ダドリーは卑屈な笑みを浮かべた。出来ることならもっと長く、そう、自分が死を迎えるまで演じ続けてほしかったものだ…。
 そしてダドリーは息を大きく吐き出しながら決意した。クリスは、長くて三日と言った。たとえその時が来たとしても、見苦しく命乞いをするような真似だけはするまいと。


                                    美食家、その4に続く
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