センソウの個人的思い出とかなんか色々

かくれんぼ同窓会における一大イベント「センソウ」の個人的な思い出等を綴ります。いわゆる「センソウ日記」とは少し違います。

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大阪襲撃⑨〜歓喜の祝杯、それぞれのその後〜

2017-01-03 16:37:55 | 肥後之国(センソウ2...
首尾よく襲撃を終えた我々は隠Dの車に乗り込みました。時間はまだ19時くらい。今から帰路についたとすると、到着は深夜か明け方になってしまいます。とすると・・・やるべきことは一つしかありません。

そう、祝勝会です!!

我々は新世界の方向に向かいました。車内での東京にいる肥後国民からの祝福がすごく嬉しく、誇らしかったです。

途中、新今宮で奈良池さんが突然下車し、新幹線で帰京されました。翌日早くから予定があるとのこと。そんな忙しい時に来て下さって感謝。

残る6人は通天閣の辺りの串カツ屋で祝勝会。大阪出身のアバンドゥールがわざわざお父さんにオススメの串カツ屋さんを電話で聞いてくれてました。大きな仕事を成し遂げた歓びに満たされて食べる食事はまさに絶品。こんなに美味しい串カツもお酒も生まれて初めてだったかも知れません。ジャンケンで串カツを奪い合ったのも良い思い出。

串カツ屋を出たは、「この辺りは店のシャッターが閉まってからは物騒になるから怖い」という忠告に従って早々と商店街を立ち去りましたが、常駐さんの発案で近くの「スパワールド」に行きました。やっぱり1日の締めにはお風呂です。

ここがまた、最高に楽しくて快適。西洋風の様々な趣向をこらしたお風呂がいくつもあり、全く飽きませんでした。1日の疲れをここで癒すにはうってつけの場所でした。ギリシャ風呂でガテラルと色々と語り合ったことがやけに印象深いです。

そして日付が変わる頃にここを出て、またも隠D一人の運転で(本当に感謝!)、この壮大なドラマの舞台、大阪を後にしました。リサーチ、根回し、聞き込み、追跡、待ち伏せ、張り込みと、襲撃における全ての要素を詰め込んだこの壮絶な闘いは、こうしてめでたく大団円となりました。


最後に、少し後日談を。

後年、ユートピア国王であったいすきんに話しを聞くと、失禁はこの大阪旅行の予定を出発前日近くまで明かさず、直前に知らされて心配するいすきんにも「大丈夫です、誰にもバレてません!」と言っていたそうです。これは隠していたという訳ではなくて、発覚してるはずがないという確信から、無邪気にも直前まで伝える必要を感じていなかったようです。

ユートピアとしてもそんな直前に言われても対策の施しようがありませんし、自信満々の失禁を信じて「そ、そうか…」と送り出すしかなかったそうです笑


この襲撃を成功させてハニートラップ襲撃で得た貯金を爆発的に増やした肥後は、その後は一度も襲撃されることなく、もぐら邸でのクリスマスパーティーから日光疎開と最後まで華やかに過ごし、無事首位でセンソウを終えました。


一方、楽観ムードから一転して窮地に陥ってしまったユートピアですが、諦めることなく浮上のための緻密な戦略を練って闘い続け、起死回生の秘策「寒川事変」で一気に罰ゲームの危機から脱します。大阪襲撃と寒川事変はともにセンソウ2011のハイライトですが、それぞれ独立した事件のように見えて実は繋がっていたのです。寒川事変の伏線という意味でも、大阪襲撃はこのセンソウの趨勢に多大なる影響を及ぼしたのでした。


ちなみに、この惨劇の主役となった失禁は、撃たれた点数にちなんで「ロックマン」という渾名を付けられ、伝説の男として最後まで活躍しました。これが襲撃されて泣き出してしまうようなら我々としても何となく寝覚めが悪いですが、最後まで明るさを忘れない失禁の逞しさのお陰で晴れやかな気持ちで彼とこの事件について語り合うことが出来ました。失禁は、センソウ参加者の鑑のような男でした。


構想から実行に至るまで、肥後国が総力を結集して成し遂げた大阪襲撃。それは単なる超高得点襲撃ではなく、史上稀に見る壮大なドラマでした。
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