千里山ブラウズ

SENRIYAMA BROWSE 千里山の商店街や街並みを散策しながら、素敵な人やお店そして風景と出会えれば‥‥

「小さな洋食屋さんSOBOKU」さんへ

2006-07-31 00:25:12 | 千里山INFO
千里山駅の東口を出たところのミストヒル(霧が丘の意味です)B1Fに、「小さな洋食屋さんSOBOKU」があるのに気付かない人はいたかも知れません。ホテルのキッチンで修行した若い益田慎一シェフが、クリーム入りハンバーグやチキンの香草焼き、マグロのバジルソース・カルパッチョなど、日常的な料理にセンスの良い隠し味やさり気ない工夫を凝らして、ランチやアラカルトを提供してくれています。時折僕もランチ専門でしたが、階段を下りて地下のお店に行きました。
しかし先日、8月いっぱいで閉店するということをお聞きした時は、千里山の味が又一つ無くなってしまうと、外食派の僕は本当に残念でした。定番の付け合わせであるコンソメ風味のポテトサラダや美味しい醤油ベースで食べる半熟卵、アサリのスープに紫蘇ふりかけをかけた炊き立てご飯は、もうしばらくすれば食べられなくなるのです。もっとディナーなどでも利用させて貰えば良かったのかも知れません‥‥。
シェフはこのお店を出すのが初めてで、千里山の持つ落ち着いた街のイメージに、自分の目差す料理が合っているのではないかと出店を決意されたのです。夜遅くチラシのポスティングに廻られている姿もよく見かけました。地下のお店ということもハンディーとなったかも知れませんが、色々と努力した結果がこういう事になったということで、反省すべきは分析もして淡々として居られるように感じました。未だお若いですし、ここは勇気ある撤退をして、再起を期される方向にもう歩き出されているご様子でした。
未だ一ヶ月ありますので、SOBOKUファンの方は名残を惜しみに、又新しいお客として一度味わってみて下さい。益田シェフに贈る言葉も、コメントなどよろしくお願い致します。

千里山関

2006-07-30 00:03:52 | 千里山人(ちさとのやまひと)
昨夕の事ですが、一杯の黒豆コーヒーで作業疲れを癒そうと、カフェ・ド・ゴーシュに久しぶりに顔を出すと、千里山商栄会の漆谷会長が来て居られて、テーブルに呼ばれましたので、しばらく一緒に情報&意見交換をしました。
今春で2回目をやり終えた「千里山グルービーブルーム」の今後の展開について、卒業していって仕舞う関西大学の発起メンバーの方達から、どのように引継ぎ発展させていくかということについて、僕も気になっていたので問われるままに意見を述べました。その辺りは後日明らかになり次第にお伝えしていければと思っています。
又、千里寺を以前のようにもっと街の活性化に使わせて頂けないか、ということでも色々アイデアがあるようです。関大の落ち研や若い落語家にお願いして定期寄席を開くであるとか、境内で薪能のように演出して関大の演劇倶楽部の野外公演をして貰う、津軽三味線やシターの演奏会など、ありがちだけれども楽しそうなことが考えられます。
僕はここぞとばかり取って置きの夢を話しました。それは、千里山(千里寺)に大阪場所の相撲部屋を誘致できないかということです。出来たばかりの小さな部屋で、余り有名でもない親方だが気立てのやさしい女将さんと一緒に、一生懸命頑張っているような‥‥。アサヒビールや大幸薬品など、吹田や千里山に縁りのある企業には大口の寄付をお願いするとして、商店街や住民みんなで若い力士を物心両面で応援するのです。お金よりもちゃんこの素材の現物支給や、例えば浴衣の仕立てをボランティアでしてあげるとか、それぞれができることを合わせて部屋を支援してあげるのです。子供達も稽古場に応援に行き、厳しい勝負の世界に触れいろんな刺激を受けて成長します。
かつてのアスリート達、例えば南部忠平さんや沢村投手と互角以上に戦った阪神タイガースの西村幸生選手など、千里山で寮生活を謳歌しながら、坂道や長い石段という天然のスタジアムで鍛えられた名選手は大勢おられます。千里山は力士を鍛えるのに最適な街なのではないでしょうか。
千里山には「時つ」「褌(ふんどし)かつぎ」と、二つも「ちゃんこ屋」があります。縁はあるのです。何年後かに「千里山」という四股名が、幕下や十両で番付に載っているかも知れません。

【追記】今時の力士はブログも発信しています。

竹薮の小径

2006-07-29 00:23:44 | 千里山ウォーカー

千里山駅が終点だった頃には、街の北側には雑木林や竹薮が連なっていたと言います。山丘の真ん中を切り通しにして削られ、南千里(当時は新千里山駅)まで延長された線路に沿って、元々から竹薮の中に設けられた里道が、現在も自然豊かな昔の面影を残して、静かに南千里へと続いています。
千里山キリスト教会の下の道を線路に沿って北上し、突き当たりで小さく右・左折すると、竹薮の小径の入り口が見えてきます。小さな山田と貯水池を左に見ながら入っていくと、昼間も竹笹の重なりで薄暗く、夏でもひんやりした空気が感じられます。足下に目を落とすと簡易舗装を突き破って根性竹の子があちこちに生えて、いかにも山の里道の風情を醸し出しています。
小径の中程に至ると竹薮が開けて一つ目の橋となりますが、そこには農作業用の軽トラックが通るので自転車は邪魔にならないように、というお願い看板が掛けられています。とても軽トラックが通れる幅ではないので驚かされます。
左の階段を下りるとジャスコの辺りに出ますが、そのまま右へと橋を渡って行くとようやく尾谷跨線橋の上に出ます。そこからは視界が開けて南千里駅やガーデンモール、そして箕面の山々が遠望されます。
尾谷跨線橋を渡ると再び竹薮に入りますが、そこを抜ければ日本大阪教会の横を過ぎて、南千里に続く街路になり自然散歩の小径は終わります。 【マップ

※ 「千里山.NET」の「街並み案内」に「竹薮の小径」としてページ作成しましたので、そちらの方もぜひご覧下さい。

【注】意外と頻繁に人が通りますが、痴漢やひったくり事件も噂されていますのでご注意下さい。

季節の準備

2006-07-28 00:44:16 | 千里山トラスト
千里山地域に限って言えば、千里山.NETが勝手に今日梅雨明けを宣言してしまいます。4時頃のにわか雨もご愛嬌の暑い一日でした。ずいぶん以前にセミの抜け殻を見つけて以来、初めて蝉時雨も聴こえてきました。このように季節はようやく待ちにまった夏本番に向かっているようですが、隠れたところでは既に秋の季節の準備も進んでいるようです。
マンションの花壇の隅にどんぐりが一つ転がっていました。少し早いのではと思いつつ拾ってみると、まだ色付くには熟してなくて蒼さが痛々しく感じられるほど皮も薄いものでした。
どんぐりが育っているのであればと、心当たりを少し探してみると、イガ栗柿の実が若い膨らみを覗かせていました。今年の夏は短く過ぎ去るのではないかと感じます。短い中にも充実した夏にしたいものです。

ところで、どんぐりの下にあるのは「土橋隆弘 ガラス工芸展」の案内葉書です。土橋君はデザイン学校時代の同期で、ガラス作家一筋に作品づくりを続け、現在は滋賀県長浜の「黒壁ガラス工房」で中心的な存在になっています。学生時代から卓越した技術と美的センスは認められており、僕自身も彼の作品のファンで幾つか持っています。夏休みにお近くにお出かけの節には、ぜひ覗いて見て下さい。

土橋隆弘 ガラス工芸展
日時:2006年8月2日(水)~8日(火) 最終日は午後5時閉場です
場所:大丸京都店6階アートサロン  最寄り駅は阪急烏丸駅です
電話:075-211-8111(代表)

時計草って知ってますか?

2006-07-27 00:44:51 | 千里山花物語り
まちづくり作法集「千里山の暮しと住まい」の10P右下には、千里山キリスト教会の信者さんの菊池御夫妻が大切にされている、素晴らしいモッコウバラの写真が載せられています。その写真は僕が撮影したものでした。最近お家の前でお会いして、掲載をとても喜んで頂いているということを知りました。推薦させて頂いて本当に良かったと思います。
もう花期を過ぎてしまったバラの枝の中に、余り見たことのない花が咲いているのが目に留まりました。お聞きすると「時計草」という花で、拡大写真を見て貰えば良くお分かり頂けるのですが、花弁の文字盤の上に雌しべの時・分・秒針が浮いているのが時計そっくりです。
さて、時計と言えばやはり千里山にとっては「大きな古時計」です。あの歌の訳詩をされた保富庚午(ほとみこうご)さんが千二小学校のご出身だということは有名です。又、「大きな古時計」を歌ってヒットさせた平井堅さんのプロデューサーである亀田誠治さんも千三小学校出身だと、千里山の高三生(Kumaさん)に教えて頂きました。千里山.NETではこの歌を千里山のイメージソングとしてずっと大切にしたいと思っています。
ところが最近知ったのですが、お笑い芸人で平井堅さんの物真似をして人気のヒライケンジが、事もあろうに「大きな古時計」のカバーCDを9月に出すという情報が入りました。平井堅さんもカバー曲ですので、カバーのカバーということが面白いというノリのようです。多くの人が大切にしてきた「大きな古時計」の懐かしい癒しの世界が、笑いの暴力で壊されてしまうのではないかと少し心配です。こういうことは保富さんのご親族にもどうしようもない事なのでしょうか‥‥。

・以前にモッコウバラを紹介した記事です。
保富庚午さんの記事はこちらをご覧下さい。

植物生命体の反乱

2006-07-26 00:05:25 | 千里山トラスト
2006年○月×日辛うじて生き延びた人々はこの日を「植物の反乱に気付けなかった、人類滅亡の前ぶれ」として記憶するに違いない。それは無理のないことでもあった。というのも、多くの植物は生命体として大地に縛り付けられ、動物のように移動するという自由も持たず、生物の頂点に君臨する惑星の支配者にとっては、どこまでも従順で利用すべきものとしては認識しても、自らを脅かす存在としては想像すらできないものだったのだ。序章は千里山6丁目のこの一郭から秘かに始まっていた。
開発という名のもとに多くの生命体を絶滅の危機に陥らせ、今なお飽くなき異常な増殖を続けようとする人類を、これ以上許しておくべきではないという全惑星会議の結論が出たのだ。
確かに宇宙的な時間の概念の中では、植物の運動は極めて意志的なイメージとして捉えられてはいた。しかし植物の秘められた本来の運動能力を人類は見極めてはいなかったのだ。“文明の機器”や建造物そして人類の体内に一夜にして侵入し、全てを乗っ取ることは容易いことではないだろうが、植物生命体はそのゆっくりとした動きで慎重に準備を進め、舗装道路や床下など街のあらゆる地下伝いにそれぞれの根を張り巡らせて、今まさに人類に襲いかかろうとしていた‥‥‥。

吹田郷土史研究会

2006-07-25 00:02:16 | 千里山人(ちさとのやまひと)
昨日は鰻を食べた後に、シーズガーデン・カフェで少し苦めのコーヒーを楽しんでから、千里山.NETでも情報発信をしておりました、吹田郷土史研究会の夏季講座「千里山住宅地の開発前史」に参加するために、メイシアターに出かけました。メイシアターは吹田市の文化・娯楽のセンター的な施設で、大阪出身の著名な彫刻作家・新宮晋氏の鳥のモビールや、水で動く彫刻群が爽やかな空間演出となっています。
夏季講座は2部構成で、前半の「千里山住宅地の開発前史」では、千里山西3丁目にお住まいの佐々木進会長が、「千里村志」や「千里山70年のあゆみ」などを参考資料にして、千里山という名前の由来や、千里山住宅地開発の時代背景などを話され、住民にとっては街への愛着が新たになるような興味深い内容でした。最後にまちづくり作法集「千里山の暮しと住まい」を採りあげて、街のアイデンティティーを大切に引き継ごうとする姿勢を高く評価して頂きました。
後半は関西大学博物館学芸員の熊博毅氏による「関西大学のトリビア」で、関大と千里山の歴史を楽しみました。
千里山.NETでも千里山の歴史のページ作成が大きな課題となっています。今回の講座参加を通じてお二人と名刺交換をさせて頂き、色々とお力添えをお願いして帰ってきました。

土用の丑の日

2006-07-24 00:00:07 | 千里山INFO
今日は土用の丑の日ということで鰻を食べました。
インターネット事典のWikipediaによれば、それが鰻でなければという訳でもなく、丑の日ということで「う」の付くものを食べると暑気ばらいに良いという民間伝承をヒントに、売り上げ不振に悩んだ鰻屋から相談を受けた平賀源内が、「今日は土用の丑の日」 と書いた張り紙を出して宣伝し繁盛したそうです。
バレンタインデーでチョコレートを流行らせた神戸のモロゾフさんと同じようなことを、江戸時代の源内がすでに発案していたというのは、どこまでマルチな天才なんだと感心してしまいます。
さて、千里山で鰻と言えば先ず浮かぶのが「魚伊」さんです。前日から店前に炭焼きコンロを出して、濛々と煙を立てて鰻を焼いていきます。お昼時にもなりますと行列が絶えず、ひっきりなしに人々が鰻を求めてやって来ます。僕はいつものように店内で鰻丼を肝吸い&う巻き付きで美味しく頂きました。
ところで以前、僕は魚伊さんの隣のビルの最上階に住んでいたことがあります。そして土用の丑の日になると、目覚めたらもう僕の部屋には鰻の匂いが充満していました。その日が今日のように日曜日にあたる年は、梅田などで一日を過ごさざるを得ませんでした。

【追記】7月27日(木)のお昼は鰻の定食(700円)になるそうです。丑の日が日曜日だったので、何時も来て貰っているお客さんに食べて頂けなかったから、という企画と聞いています。梅雨明けにバッチリ精を付けましょう!!

千里山の4つの跨線橋

2006-07-23 00:07:06 | 千里山ウォーカー
千里山には阪急千里線の上を渡る跨線橋が4本架けられています。南から順に「千里山陸橋・関大自動車部前跨線橋・永楽園跨線橋・尾谷跨線橋」と呼ばれています。
ブルーに塗装された千里山陸橋だけが、跨線橋ではなく陸橋と言われているのは、線路と「上の川」を跨いでいるからだと思われます。この橋から千里山西に向かって夕陽が綺麗に見えることが多く、商栄会ガイドマップや千里山.NETのイメージの元になりました。
シルバーに輝く関大自動車部前跨線橋からの眺めも、周りの建物などに視界が遮られることも無く、駅や教会の尖塔そして千里山の丘に建つ住宅がつくる稜線が、とても美しく見えるスポットでもあります。教会の尖塔の上を飛行機が横切る午後6時10分頃にぜひここを訪れてみて下さい!!
永楽園跨線橋と尾谷跨線橋には階段がありません。丘を削って線路を通したことで、従来の里道が宙に浮いて残りそのまま橋になった形です。又、永楽園跨線橋は自動車も通行可能なので、東西をつなげる意味としては利用価値は本来高いものがあります。その辺りの経緯は「のらねこ商会」さんのサイトにも詳しく解説されていますのでご参照下さい。
最後は千里山と南千里の境界線に架かる尾谷跨線橋ですが、ここは次の機会に「竹薮の小径」というエントリーでご紹介する予定です。

※ 千里山.NETの「街並み案内」に、踏切・地下通路・跨線橋のページを作成しました。

【追記-1】阪急千里線を潜る「地下連絡通路」のエントリー記事はこちらにあります。
【追記-2】その後「竹薮の小径」・尾谷跨線橋はこちらにエントリーしました。

千里メダカ

2006-07-22 00:08:14 | 千里山トラスト
全国的にメダカの生息地が減少し、日本在来のいわゆるクロメダカが絶滅の危機に瀕していると聞かされても、いまいち現実感が無かったというのが正直なところです。子供の頃にあんなにたくさん居たのに、と信じられなかったのも無理はないのですが、何処かに逃げ延びてくれるに違いないと何故か単純に安心していました。
さて、吹田では「千里メダカ友の会」が結成されて、急速な宅地開発などで絶滅してしまう可能性のある「千里メダカ」の環境保全を、市と協働の中で進めておられます。外来のヒメダカとは違うクロメダカで吹田棲息の野生メダカを「千里メダカ」と仮に名付けていますが、固有種というより地域個体群と言うべきものです。千里メダカの保護を通じて、吹田の原風景を保全・再生することを目的とされています。
僕が最近飼い始めたのは貴重な「千里メダカ」ではなく、熱帯魚の生餌として売られていたヒメダカを5匹ほど友人に分けて貰ったものです。ジャスコで買って置いたガラス器に、河原で拾った石と水草を入れるともう涼し気なミニ水槽のできあがりです。
千里山では最近クロメダカを飼っているお家をよく見かけます。昼食を食べに通う「魚伊」さんでも、入り口付近の大きな瓶で千里メダカを飼われています。僕が飼い始めたことを知って、板前さんが小さな“お掃除貝”と乾燥餌を下さいました。

※ お掃除貝 : お掃除ロボットよろしく鉢に吸着しながら移動し、汚れを拭き取ってくれるスグレモノの小さな貝類(名前は忘れました)。

モンマルシェ最終日

2006-07-21 00:15:51 | 千里山INFO
今日はこだわり食品スーパーとして、千里山住民に親しまれてきた「モンマルシェ」千里山店の22年目の最終日でした。一月ほど以前から告知されていたので、ブログやmixiのコミュニティーなど様々なところで触れられてきていました。もちろん想い出が多過ぎて寂しいという感想が大部分なのですが、時代の流れだから仕方が無いという意見もちらほら見えました。
千里山.NETで商店街ガイドマップのページがあるのですが、ショップのホームページにリンク紹介もできるようになっています。しかし近隣の大丸ピーコックやジャスコ、関西スーパーやニッショーなどがしっかりと情報サイトを持っているのに比べて、モンマルシェにはショップ・サイトが有りませんでした。初めはそれが信じられなかったのですが、今思えば厳しい経営状況の予感がしたのを憶えています。
モンマルシェを利用し続けていたある人は、「少し値段は高めでしたが、お肉や魚、野菜など生鮮食料品の質が良いので、とても重宝していました。たとえば今夜はすき焼きというときは、大型スーパーで他の品を買い物をしても、もう一度モンマルシェによって牛肉だけ買うという風でした。」と残念がられています。僕も「男前豆腐」や「だったん蕎麦」などがお気に入りでした。しかし、やはりスーパーで“牛肉だけ”では成り立たなかったということなのです。大丸ピーコックもクォリティー戦略を標榜して、時代の価値観を必死に求め始めています。どの業界・ビジネスも顧客ニーズの変化に飽くことなく対応していかなければ、早晩営業を続けて行くことはできません。
一方では、いかり・成城石井といったセレブリティー・ブランドのスーパーが時代の追い風を受けているようです。しかし、この流れとても一瞬の華のように僕には予感されます。というのは、環境先進国のドイツなどで、エコロジーをテーマとした食品モールが消費者の心を捕らえ始めている、という情報ビデオを最近セミナーで見ました。それはセレブ・スーパーなどとは発想を異にした、高い生活コンセプトを持つ“運動”なのです。
現在、千里山駅周辺の再開発をテーマに「まちづくり懇談会」が行われています。モンマルシェが閉店し、そして再開発にともない千里山マーケットも2年後には解散するとして、その後の千里山の街の活性化をイメージした時、新しい時代のエコロジーをテーマとしたロハスな食品モールを先取りして誘致し、遠くからも大勢の人が訪れる魅力ある千里山を想像してみることは、とても興味深いことではないでしょうか?

ショップ・ファサード ・イラスト壁画

自律訓練法

2006-07-20 00:32:06 | お薦めします
 僕が高校生の頃に新書が全盛期を迎え、それまでの岩波新書や中公新書といった少し硬い内容のものに加えて、光文社のカッパブックスやごま書房のゴマブックスなどの実用新書的な流れが出て、学術的な成果を元にして読み物としても面白いものが多く出版されました。
 今回紹介する平井富雄著「自己催眠術」は、僕が浪人時代に友人に教えられて出会った本で、一般に分かりやすく自己催眠術と名打っていますが、実際は「自律訓練法」のエクササイズ本の一つです。自律訓練法とは西ドイツのシュルツ博士が開発した、自分で自分の心身をコントロールして、ストレスや様々な症状を緩和する方法をやさしく体系化したものです。訓練の方法は6段階に分かれ、各段階を順を追ってマスターしていくと、心身の諸症状が緩和されるばかりではなく、“創造的”パーソナリティーの部分にまで良い影響が期待できると書かれています。
 僕が早速この本を参考に「自律訓練法」を開始したのは言うまでもありません。第3段階まで進んだところで停まっていますが、以来今日まで細々とではありますが訓練は続けてきております。それでも心身のリラックス効果はかなりあると言われています。そして、最近友人の一人が興味を持たれたようなので、本をお貸しすることになりました。これを機会に僕ももう一度初心に返って、第6段階をマスターするまで挑戦してみようと思っています。

※ この本は残念ながら現在絶版しています。古書サイトで調べてようやくもう一冊手に入れました。ちなみに僕自身が持っているのは、1994年に買い換えた第96刷発行!のものです。いかにロングセラーだったかが窺えます。何かとストレスの多い現代にこそ、再販して頂きたい良著です!!

自己催眠術―劣等感からの解放・6つの方法

光文社

このアイテムの詳細を見る

地下連絡通路

2006-07-19 00:35:18 | 千里山ウォーカー
千里山は阪急千里線により東西に分断されている、ということは先日の記事でも触れましたが、文化踏切の遮断機が下りても地下連絡通路は、元気に駆け下りていく子供達以外は、余り使われていないようです。僕はあえて足腰の鍛錬のために階段を降昇することにしています。
もう一方の北側にある地下連絡通路は、近くのナオミ幼稚園の園児達が集団で使う他は人通りもまばらで、夜などは女性一人で通ることはとても勇気がいることでしょう。確かに蛍光灯も数少なく昼間でも薄暗くて、いつも少し湿気を感じるような場所です。
しかし、意外に僕はこの反響の良い地下通路は気に入っています。何を隠そう、ここは僕のオリジナル曲の音楽室なのです。向かい側にも人が居ないのを確認すると、潜り抜ける一分くらいの間にサビの部分を歌って歩きます。

 Sky Full of Stars 君の心が見えてく~
 Sky Full of Stars 遠い銀河を探して Deep purple
 Sky Full of Stars 果てしない季宙(ときぞら)を~
 Sky Full of Stars 流れろ~♪

そして、階段から出口の方を見上げると眩しい程の明るさが広がり、僕はしばしの夢宙遊泳から街の喧噪の中へ再び帰っていくのです。

文化踏切 : 駅側の踏切をこう呼ぶそうで、その名が千里山住民の小さな自慢になっているそうです。

【追記-1】「千里山の4つの跨線橋」の記事を書きました。

【追記-2】千里山.NETの「NET放送局」メニューの「千里山の音」コレクションに、北側の地下連絡通路を通る足音を掲載しました。

蝉の抜け殻を発見

2006-07-18 00:03:21 | 千里山トラスト
最後の梅雨空がしばらく続きそうです。それが終われば2ヶ月程の夏日になりますが、それも又厳しいものがあります。今年の梅雨は長く感じられていましたが、天気予報によりますと平年並みらしいです。最近は空梅雨で水不足のニュースなどが多いので、今年の梅雨が比較的長く感じられるのかも知れません。
さて、なかなか夏にならない千里山では、まだ蝉の鳴き声は聴いておりません。しかし時は確実に季節を刻んでいるようで、今朝マンションの植栽のふもとで蝉の抜け殻を見つけました。昨日はオニヤンマが道端に落ちているのも見ましたが、残念ながらデジカメが無くて写真ではお見せできません。久しぶりに見る美しく立派なオニヤンマの姿に、野原を追いかけ廻した子供の頃がしばし蘇ってきました。
もうすぐ子供達には楽しい夏休みがやって来ます。千里山の子供達には虫採りや自然観察など、恵まれた千里山の環境を体験・再発見して、出来るだけたくさんの想い出を作って貰いたいと思います。

【追記】千里山会の田代しんたろう氏の漫画「ジグモ少年の夏」にも、懐かしい千里山の夏の一日が描かれています。

「ひげおやじ」の手づくり紙芝居教室

2006-07-17 00:24:53 | 千里山人(ちさとのやまひと)
昨日お昼休みを終えて駅前のアズナス付近を歩いていると突然声を掛けられました。振り返ると千里山ではお馴染みの“ひげおやじ”こと田中孝和さんでした。
田中さんは年末の千里山クリスマス・コンサートで、お似合いのサンタの衣装を付けて、紙芝居を巧みに演じておられる方です。地元千里山出身で紙芝居を中心にボランティア活動をされ、千三小学校工作クラブの指導、ホーム・ガイドヘルパーとして介助と生きがいづくりに携わるなど、その範囲は留まるところを知りません。又、ボーイスカウトのビーバー隊隊長としても活躍されています。その風貌に違わずエネルギッシュな方で、お会いすると妙に話が弾みとにかく形破りな楽しい方なのです。
誘われるままに千里図書館の復元教室を覗いてみると、文化庁委嘱事業「伝統文化こども教室」の一環として「手づくり紙芝居子ども教室」の最終受付日ということで皆さん集合されていました。講座は来週7月21日(金)から始まりますが、当日までは希望者の受付を延長されるということでしたので、興味のある方は親子連れなどで参加されたら面白いと思います。
ちなみに紙芝居をされている方は大阪では3人しかおられないそうです。しかし最近は紙芝居の真価が見直されて、例えば保健所で子供達に「食育」について教えるツールとして紙芝居を教えて欲しい、という依頼なども増えているそうです。近い将来、紙芝居がもっとビジネス・チャンスに関わることもあるのかも知れません。

連絡先 : 千里山・紙芝居文化協会