80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

賽の河原

2017年03月06日 20時40分57秒 | 考える
何かを思いつき、メモを取ろうと、ペンを探している内に、
肝腎の思いつきが、何だったか忘れてしまった。

かなり大切な思いつきだったような気がする。
この所、こんな事が頻繁に起きているような・・・。


ここずっと、薬ばかり飲んでいる。
毒を以て毒を制す。

それにしても、このところ、我が身の、無力、無用感が離れない。

こうして、部屋に一人籠もっていると、「賽の河原」 を思う。


賽の河原で石を積み上げる子供。

この伝承を赤子塚との関係で考え,賽の河原の原形を赤子塚と推定する
説もある。
江戸時代に,むだな努力を〈賽の河原の石積み〉にたとえ,また未婚者が
死ぬと小児と同じように賽の河原に追いやられるということから,独身者
のことを〈賽の河原〉ともいったが,ともに賽の河原信仰によったもので
ある。   「世界大百科事典より」
   

石の山、積んでも積んでも、積んだそばから、鬼が来て取り崩す。
しかし、鬼が風邪をひいて寝込んで、崩しにやってこないとしても、
一体それでどうなる?

何の意味もない石積みが、数千、数万、賽の河原に増えるだけのこと。
役に立たないだけならともかく、かえって邪魔になるばかり。

・・・なるほど !!
だからこそ、鬼が来て取り崩すのか。

鬼と子供の、いたちごっこ。

それでも人は、一生懸命、石を拾って積み上げようとする。


単なる惰性・・・?
そうなのかもしれない。

伸びた枝を切り落とされる街路樹。
枝が電線に触れたら危険だ。
それはよく分かるが、もともと電線の下に植樹した人間が悪い。
枝を伸ばした樹のほうには、何の罪もない。
枝を落とすのは、人の都合、人の勝手な考えの結果でしかない。


ひょっとして、いつか人間自身が、別の何物かに、手足をもぎ取られて
飾り物にされる日が来ないとは言えない。
そう言えば、昔、中国の西太后がそんなことをやったとか、やらなかっ
たとか・・・


思うに人は、力を持つと、何をやらかすか、分かったものではない。

何も無い、何も持っていない自分、本当は、それがいいのかもしれない。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« ウィスキーと共に | トップ | 醜男 (「ぶおとこ」と読んで... »

コメントを投稿

考える」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL