80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

ずっと、頭痛が取れない。

2016年09月19日 05時11分30秒 | 考える
9月18日(日) 4:30 起床
ずっと、頭痛が取れない。

いくら自分では充分納得のいくものが出来上がったと考えても、
世に知られず、作品発表の機会も無かったら、一体何の意味があるのか?
まぁ、ただ自己満足に徹して、黙って生涯を終えていくというのも、
それもまた、ありかもしれないが。

人間関係とは、結局、相手があってこその話だ。


相手も何も無いのでは、独り芝居にもなりはしない。

時間感覚が無茶苦茶なんだ。


母の遺骨処理。
ここまで来たら、業者に依頼すべきかなぁ・・・?
私の入院は、理由にならない。

もしかすると、
そう、私の母ではあったが、彼の母では無かったのも知れない。
要は気持ちの持ちようなのだろう。

「体にまかせてみよう。」

「自分の考えを抑え、無視して、他人に合わせようとしても、長い目で見れば、
ほとんど意味が無い。」


坂口安吾「堕落論」を覗いて、小林秀雄先生がちょこっと身近に感じられてきた。

「去年、小林秀雄が水道橋のプラットホームから墜落して不思議な命を助かったと
いう話をきいた。泥酔して一升ビンをぶらさげて酒ビンといっしょに墜落した由で、
この話をきいた時は私の方が心細くなったものだ。それは私が小林という人物を煮
ても焼いても食えないような骨っぽい、そしてチミツな人物と心得、あの男だけは
自動車にハネ飛ばされたり河へ落っこちたりするようなことがないだろうと思いこ
んでいたからで、・・・」

「教祖の文学 -小林秀雄論-」冒頭より


・・・ふ~~ん・・・!!

人は、無理をして、他人の事を思う必要もないのではないか?
考えてみると、何やら意味がありそうで、人から見たら何の意味もない。
大方が自己満足だ。

結局、何にもならない。
ひどい話、あらぬ事を思われ、時には恨みを買う事にもなりかねない。

生き過ぎて、生き飽きて、何か、もういいかなぁ・・・などと。
このまま、母を追いかけて、永い旅に出るのもいいかもしれぬ。
母は、迷惑、面倒だと嫌がるかも知れないが。


でも、多分・・・、私は、結局、死ぬまでこのまま生き続ける事になるのだろうな。
まだまだ、死ぬだけの勇気(?)がない。

他人と話をする事が出来ない。
自分から、話題を持ち出す事が出来ない。

私の容れ物には何も入っていない。
取り出そうにも、取り出すものが何も無い。
それもまた身軽でいいのかもしれない。
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