80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

ノート転写

2016年10月01日 07時28分37秒 | 考える
7月27日(水)
今さらながら、自分が何者であるのかを識りたいと思う。
出来れば、客観的な証明のようなものが・・・。

私の訳の分からないようなブログを読んでくれているからといって、
その内容に同意、同感しているというわけではない。
それを勘違いしてはいけない。

しかし、何かを期待して(?)、読んでくれる事だけは信じていいと思う。
私は、その期待にできる限り、真剣に答えていく義務がある。

8月6日(土) 病室にて
今、気がついた。
ここで、こうして自分の行為、行動に、いちいち反応があるのは、
実は 「当たり前でも、当然の事でも、」 決してないということだ。

先生を始め、看護師さんたちに感謝、感謝、大感謝・・・!!


常に時間はたっぷりとある。
うまく使いさえすれば。  ゲーテ

自分一人で石を持ち上げる気がなければ、
二人でも石は持ち上がらない。  ゲーテ


8月17日(水)
恰好つけるのは止めにしよう。
今さら恰好つけてみても、すでに遅い。
「付け焼き刃」 だと言われるのがいいところだ。

時間は止められない。

言い古された事だが、人生に失敗作はあって当然だ。
失敗作は作り替える、あるいは改良すればいいだけの話だ。

まずは、とにかくアイデアを形にする。
それが出発点だ。

もう、いくら待っても、母はもう戻ってはこない。
あの人は、総ての重荷から解き放たれて、自由の世界へと旅立っていった。

私は、ベンチに腰を掛けて、来るはずもない聴き手を、
ただ一人、ひたすら待ち続けているのだ。

「自由」 というものが、これほど苦痛だとは、今の今まで、思ってもみなかった。

誰かを待つ。
何かをやる。
何か出来る。
これらは、総てが 「相手・対象」 あってこそだ。
相手を見失ってしまった現在、私は何に目を向ければよいのか?


私は他人を引きつける何物も持ち合わせていない。

よくよく考えてみれば、たとえば友人が、あるいは恋人が、
私のすぐ横にいてくれたとしても、おそらく沈黙したまま、
目の前を時間が通り過ぎていくのを眺めているだけだろう。


こんな人間とでは、私自身であっても付き合ってみたいなどとは思わない。

やだ、やだ・・・!!