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梶原和義のブログです。

2011-06-04 19:38:30 | 日記
ユダヤ人問題とは何か

ユダヤ人問題とは何か。ユダヤ人問題は、現代文明の中心テーマでありまして、これが分かる人は、日本では非常に少ないのです。
日本は、文明国の中で、一番遅れていた国であって、日本がようやく世界の仲間入りをしたのは、日露戦争が終わってからなのです。日本はほとんど、白人社会の中では、問題にされていなかったのです。今でも、ヨーロッパでは、経済的問題をのぞくと、日本をあまり重要視していないようです。
日本の歴史が、非常にたち遅れていたこと、又日本が地理的に、東のはてに位置していたこと、そんな関係で、外国の影響を受けることが少なかったので、ユダヤ人についての見解が、非常に弱かったのです。
ユダヤ人は、現代文明をリードしている民族です。現代文明を承認して、賛美するような立場で考えますと、ユダヤ人ほど傑出した民族はほかにいません。
現世で、一番すばらしいのが、ユダヤ人です。ところが、聖書的に見ますと、一番悪いのです。
現世をひきずり回しているのが、ユダヤ人なのです。現世をひきずり回していることが、人類に、永遠の命の理想を示していないことになるのです。つまり、現世に生きていることだけが、人間のすべてだと思わせているのです。
この世で王国を造ることが、ユダヤ人のねらいです。この世で生きていることだけで考えますと、ユダヤ人ほど立派な民族はいないのです。日本人など問題にならないのです。
イエス・キリストは、ユダヤ人です。世界歴史の流れで、良い意味で特筆大書されているのは、ほとんどユダヤ人です。又、一番悪いのも、ユダヤ人です。
どう悪いかと言いますと、生活主義、肉欲主義、欲望主義をまきちらしているのです。これが、現世のユダヤ人の特徴です。これは、一種の陰謀であって、そうすることによって、彼ら自身がもうけなければならないから、しているだけのことなのです。
私は、ユダヤ人に反省をうながすことが目的で、色々な本を書いているのです。ユダヤ人さえ良くなれば、世界は良くなるに決まっています。
ユダヤ人が、祖先のような状態に帰れば、世界は良くなるに決まっています。世界は、驚くべき平和な状態になります。ユダヤ人が一番大切な民族であるから、私はユダヤ人をぼろくそに言うのです。一番かわいいから、一番ぼろくそに言うのです。
ユダヤ人に反省をうながすことが、全世界に平和をきたらせる、唯一無二の方法なのです。日本が、いくら経済的に有力な国になった所で、とてもユダヤ人のまねはできないのです。
ユダヤ主義は、現世に生きている人間の欲望主義であって、ユダヤ人は現世的にはすばらしく傑出した、大民族です。ところが、人間は、命が中心であって、現世の生活が中心ではないのです。人間の本質は魂ですが、それを、生活が中心であるように言いふらして、その方向へ世界全体をひきずっていったのは、ユダヤ人なのです。
ユダヤ人の考え方が悪いために、全世界が物質文明にひきずり回わされているのです。この物質文明は、やがて、大混乱をきたらすに決まっているのです。
要するに、人間は、般若ハラミタをすること、彼岸へわたることが、目的なのです。現世で生活することが、目的ではありません。日本も、経済大国になることが目的であってはいけないのです。
日本は、単一民族ではなくて、二通りの種族があると言えます。天皇の一族から分かれた一族と、日本に土着していた一族です。
ユダヤ人も、現世主義のユダヤ人と、神の国の実現をねらっているユダヤ人と、両方あります。
ユダヤ人がねらっている神の国とは、全世界の完全な平和を意味するのです。戦争をなくすことだけではだめなのです。ただ、核兵器をなくせばよいというのは、非常に安直な考えで、戦争はなくなっても、人間の中にある泥棒根性は、なくならないのです。
泥棒根性がある間は、本当の平和は実現しません。やはり、強盗や殺人をする人がいるのです。刑務所が繁盛するようでは、本当の平和とは言えないのです。不良の徒がいるようでは、本当の平和とは言えないのです。



ユダヤ人を中心にしなければ世界は動かない

ユダヤ人は、人間をどういう方向に引つばっていこうか、という考え方ができるのです。教育制度、民主主義的政治制度、流通、金融、保険制度、情報通信システムという資本主義の社会構造の根幹は、ユダヤ人が造ったものです。
なぜ、ユダヤ人が異邦人(ユダヤ人以外の民族)とそんなに違うかと言いますと、異邦人の考え方のスケールが小さいからです。
イエスはユダヤ人です。ユダヤ人は不思議な民族でありまして、イエス、パウロのようにとびぬけて上等な人もユダヤ人ですが、文明を毒している人もユダヤ人です。人類の中の最高も最低もユダヤ人です。
そこでユダヤ民族は未だに統一できないのです。だから世界に離散しているのです。色んな形で屋根の上でバイオリンを弾いているのです。
バイオリンは屋根の上で弾かないで、部屋で弾くものです。ところが屋根の上でしか弾けないような事情境遇に陥っているのです。屋根の上のバイオリン弾きというのは、現世でのユダヤ人のあり方を、非常によく現しているのです。
ユダヤ人が住んでいるのは、アジアの極西です。これは今から四千年ほど前に、神がアブラハムに与えた土地です。日本はアジアの極東に位置しています。これはおもしろい対称です。この二つの国家が、これからの世界に、重要な働きをするに違いないのです。
イエスはユダヤ人です。ユダヤ人から出てキリストになったのです。キリストとは何かと簡単に申し上げておきますと、全世界を一つにまとめるための神の地球計画です。
神が地球を造って、人間と万物を完成させることが、神の地球計画です。これが人間的に現れたのが、イエス・キリストです。
キリストの実体を捉えることがユダヤ人の最終目的ですが、これを捉え損なっているために世界が混乱しているのです。やがてユダヤ人がキリストの実体を捉える時が来ます。その時世界は驚くべき平和な状態になるでしょう。自然災害が全くない、ガン、エイズ、伝染病、殺人、強盗、戦争がない世界が実現するのです。世界の絶対平和を実現する方法はたった一つ、ユダヤ人がキリストを受け入れることなのです。



ユダヤ人が人類のリーダーシップをとっている

現在の世界文明のあり方、人間生活のあり方、意識のあり方には、おのずからリーダーシップがなければならないのです。十人の人が集まれば、そこにリーダーシップをとる人が、一自然にできるのです。国でも世界でも同様です。
肉体人間は一種の動物でありまして、動物的な原理から逃れることはできません。猿の世界にボスがいるように、人間の世界にもボスがいます。個人的にも集団的にも、ボスがいるのです。国家群にもボスが自然にできています。これはいいか悪いかの問題ではなくて、自然にそうなるのです。
人間が現世で生活していれば、おのずからそうなるのです。近代文明、現代文明の中心をなしているのがルネッサンスでありまして、これはユダヤ人から生まれてきているのです。
あらゆる専門学の基礎を造っているのはユダヤ人です。人類はユダヤ人の学問についていくしかないのです。これがいいか悪いかについては、各人の好みによるでしょぅ。現世主義に非常に賛成する人もあり、反対する人もあります。結局ユダヤ人についていくしかないのです。
世界観、人生観は、それぞれの好みがありますから、いいか悪いかは言えませんけれど、とにかく現世において肉体的に生活するため、経済的に生活するための世界観、価値観はユダヤ人によってつくられたのです。
現在、スポーツが盛んに行われています。オリンピックを造ったのはユダヤ人ですし、映画、テレビを普及させたのもユダヤ人です。セックスについての考えもユダヤ人からきているのです。これらはすべてユダヤ主義なのです。
ユダヤ人が意識的に世界を統一しようという考えがあってもなくても、そういうリーダーシップをとる能力性を持っている民族はユダヤ人しかいないのです。
白人文明は白人社会の中にいるユダヤ人の文明です。アメリカが今日のように発達した原因は、アメリカの中にいるユダヤ人の仕事です。
これは不思議でも何でもない。当たり前のことです。ユダヤ人はそういう能力を持っている。他の民族は全世界のリーダーシップをとり続けるという世界観を持っていない。そこが違うのです。
水が高い所から低い所へ流れるように、ユダヤ人が現世でのリーダーシップをとっている。これは知る人ぞ知るであって、いちいち申し上げなくても分かることなのです。
日本人はユダヤ人問題について特殊な問題のように考えていて、よく分からない人が多いのでこういう言い方をしますと、おかしいと思われるかもしれません。ユダヤ人だけが優秀というのは、おかしいのではないかとお考えになるでしよう。
しかし、世界の歴史的事実はそれを証明しているのです。これは人間社会がどのようにしてできたのか。いわゆる絶対と人間との関係がどうなっているかを詳しく勉強すれば、自ずから分かるのです。
ユダヤ主義がいいか悪いかの問題ではなくて、現代文明はユダヤ人の世界観によってリードされているのは否定できない事実です。



ユダヤ人がつくった現代文明

現代文明は人間の思考方式を開発するという意味では、ある種の役割を果たしてきました。小学校で教えている算数とか国語は、学ばなければならない実学です。人間の能力性を発育させたという意味で、文明にも功績があったと言えるでしょう。これはユダヤ人が世界に与えた功績です。
ユダヤ人には特別にすばらしい人と、極悪非道の人もいるのです。日本人とはレベルが違うのです。ユダヤ人が考えてくれるのはいいのですが、彼等自身の主観に基づいたリーダーシップをとられることになりますと、私たちがそれに踊らされてしまうことになるのです。ここが難しいのです。
ユダヤ人が科学文明、機械文明、エレクトロニクス文明を造ってきたのは、確かに功績でしょう。だからと言って、人間の生命についてある種の観念に縛られなければならない理由はないのです。
現在の文明が最高のものだと言って押しつけられるのは困るのです。もっとよい文明があるはずです。原水爆を造らなければならないような文明は、最高の文明とは言えないのです。犯罪がだんだん増加していく文明、家庭内暴力や学校内暴力が、加速度的に増大していくような教育は、決して望ましい教育とは言えないのです。特に近代文明が強調している基本的人権、民主主義という概念は、ユダヤ人特有の概念ですが、こういう概念が日本を益する面もありますが、非常に毒している点もあるのです。利されている面はどんどん利用したらいいですし、毒されている面はどんどん否定したらいいのです。
私は現代文明がすべて悪いと言っているのではありません。文明が人間の霊魂を一つの型の中にはめこんでしまうのがいけないと言っているのです。知能を啓発するのはいいのですが、知能を啓発することだけに人間を縛ってしまうことがいけないのです。知能の啓発は、社会的な人間の向上にはなるでしょう。しかし情操面がだめになってしまうのです。ここに考えなければならない問題があるのです。
なぜそういうことになってしまったかと言いますと、ユダヤ人の神観に原因しているのです。ユダヤ人の世界観、価値観に原因があるのです。彼らは、自分たちの世界観や価値観を流しているのです。
現在、全世界でスポーツが盛んに行われていますが、これを広めたのがユダヤ人です。スポーツを愛好することはいいのですが、スポーツ至上主義になってはいけないのです。スポーツで優秀な成績を修めることが、人生の最高の目的のように考えてしまうことがいけないのです。
スポーツ、スクリーン、セックスによって、人間が現世に縛りつけられてしまうことがいけないのです。
日本人は文明によって、人間の本質が束縛されていることがよく分からないのです。今の大学教育が、日本人をどれだけ束縛しているかわからない。現代文明は、神について、命について、人間の本質について間違っています。その間違いを人類に押しつけて、地獄へひっぱっていく。これがいけないと私が言っているのです。



ユダヤ人はなぜ間違えたか

ユダヤ人は神の約束を受けとめてから、四千年も経っているのです。モーセに指導されてからでも三千三百年ほど経っています。それでも分からなかったのです。
掟は行えば行うほどわからなくなるのです。なぜそうなるかと言いますと、太陽系宇宙の存在に対して、基本的な認識が間違っているからです。創世記の第一章に関して、正確な認識ができていないのです。
物理的なエネルギーが働いて現象世界が構造されています。現在の学問では質量とは何なのか、エネルギーとは何かが分かっていないのです。
アインシュタインはそれを説明したつもりなのですが、質量やエネルギーがあることを前提にして推論しているのです。前提にしてというのは仮定してということなのです。例えば時間があることを仮定していますが、時間とは何であるか。時間がどこにあるかを説明していないのです。
時間があることの証明がアインシュタインにはできていないのです。時間の正体が捉えられないままで、時間と空間の相関関係を説明している。それが相対性理論です。
こういう見方が間違っているのです。アインシュタインは虹がいつできたのか、どうしてできたのか分からなかったのです。聖書を信じるしか仕方がないと言っているのです。
創世記によれば、虹はノアの洪水の後に発生したと書いてあります。それを信じるしか仕方がないと、アインシュタインは言っているのです。ある部分では聖書を信じることを告白していながら、他の部分では聖書がいう所を信じていない。こういう不明瞭な立場に立っているのです。霊と肉の両方に立とうとしている。こういう不安定な考え方が、現代人の常識の基礎になっているのです。
相対性理論は最も偉大な真理のように考えられていますが、神から見れば幼稚な理論になるのです。私は科学を否定するのではありません。科学はそれなりの合理性と価値を持っているとは思いますが、それを絶対真理、最高の真理のように考えるのが間違っているのです。
ノーベル委員会がいくら世界最高の学説だと認めたとしても、ノーベル委員会が神を認めていないのです。ノーベル賞によって表彰された学理学説が、神的な正確さを持っているとは、絶対に言えないのです。イエスの復活の説明ができないとか、新約時代の原理にたって物を言うのでなかったら、永遠の真理とは言えないのです。
現代文明は命が分かつていません。時間でさえも分かつていないのですから、命がかっていないのです。
神学は人間の常識を基礎にして考えています。現実に肉体的に生きている人間の常識、社会的通念をふまえて考えている。これが宗教です。又科学です。宗教も科学も、人間の常識、通念をふまえて考えているのです。
イエスは常識をふまえていませんでした。イエスを主とする人は、常識を信じてはならないのです。イエスは常識の外に立っていたのです。日本の宗教家や学者で、常識の外に立っている人は、一人もいません。だから時間が分かっている人は日本にはいないのです。アインシュタインでも分からなかったのです。ましてや日本の科学者では、時間の説明ができる人はいないでしょう。
命とは何かと言いますと、存在することです。地球が存在することが命です。人間が存在すること、森羅万象が存在することです。存在することが命です。これは時間よりもっと大切な問題なのです。時間とか空間は、存在するかしないかという問題なのです。時間が存在の原理に一致するようなものであるかどうか。物質が存在の原理に一致するかどうかです。
存在するということは、生きていることを意味するのです。生きていることは存在することを意味するのです。時間空間的な観念に立って言えば、命が存在するのです。
生命論的な観念に立つとすれば、存在が命になるのです。見方によって言い方が変ります。
命が分かっていれば、時間の説明ができるのです。時間が「ある」ということが分かっていれば、時間の本質が説明できるはずです。
命の本質は、真面目さがあれば必ず分かるに違いないのです。イエスはユダヤ人に発言した時に、ユダヤ人はこれを知るべきであったし、心を開けば分かったのです。生きているという状態を冷静に考えれば、イエスの言うことが分かるのです。 
私はイエスの受け売りをしているだけなのです。神の受け売りをしているのです。イエスが復活したことによって、存在と命の原理を宇宙的に確証したのです。
パウロは次のように言っています。「神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、皆悔い改めなければならないことを命じておられる。神は義を持ってこの世界を裁くためその日を定め、お選びになった方によってそれを成し遂げようとされている。即ち、この方を死人の中から甦らせ、その確証をすべての人に示されたのである」(使徒行伝17・30、31)。
神は全世界の人に、悔い改めを命じているのです。日本人が聖書を認めようが認めまいが、神は神です。創造者、絶対者という権威において、皆様方に悔い改めを命令しているのです。それに従わなければ、神に従わないことになるのです。
皆様が現在生きていらっしゃる命は、必ず死ぬ命です。それをよくご承知でいなが本質が分ら、その命を棚上げすることができない。その理由は何かと言いますと、自分の命に絶対的な価値があると思ってみえるからです。それが間違っているのです。
皆様方のご自分の世界観や人生観を信じておいでになっても、何にもなりません。例えばキリスト教を信じておいでになって、何になるのでしょうか。ご利益があるかも知れませんが、ご利益の本体は何でしょうか。
ノーベル賞に何の価値があるのでしょうか。湯川秀樹さんはノーベル賞を貰いましたが、死んでしまいました。死んだことは負けたことです。パウロは私は勝って余りぁると言っています。勝ちすぎて困るくらいだと言っているのです。
人生は終極的に、勝つことが目的です。死に勝つのです。死ぬべき運命に勝つのです。
宗教も学問も、全部人間の常識、社会通念の上に立っています。聖書はこれを肉の思いと言っています。常識や社会通念の上に立って考えれば、必ず死ぬのです。必ず死ぬということをよくよくお考え頂きたいのです。
大宇宙の本体は永遠の生命です。これが地球では物理的に表現されているのです。百五十億年の広がりを持つ宇宙の中で、生命現象が確実に存在しているのは地球だけです。SFの世界では、地球のような惑星が他にもあると言いますが、それは御伽噺です。常識や社会通念はこの世に生きている間は通用しますが、この世を去ってしまえば、通用しません。キリスト教の教義は現世では通用しますが、神の国では絶対に通用しません。神の国で通用する命を探求して頂きたいのです。