頌作雑感(しゅうさく ざっかん)

荒廃の巷から、繁栄と堕落の時間に生きた老人の愚痴です。

緑風に学ぶ。

2017年05月05日 | 日記


本日は端午の節句です。

紺碧の空と新緑の間にある、全ての生き物が

真新しく輝きを醸し出しています。


八十八夜も過ぎて、早くも今年の作付けの準備も始まりました。

この様な自然のサイクルも、よく見ると

昨年からの存続して居るものは、ごく限られた数です。

論語の中に

草木一年、人間百年

この時間を超えて生存ができる、物は無い。

「 即ち、土中の虫から、天空の星に至るまで

永遠に存在をすることは出来ないこと。」

この様に書かれていますが、真理でしょう。


GWの雑踏を避けて、静寂の都心を湯島辺りを歩くと

「必ず目にできる場所が、湯島聖堂 です。」

ここは、日本における学問の聖地と言われますが、

この傍らには 「 孔子像があります。」


少なくとも 中国・朝鮮・そして日本の

大衆思想と哲学的な大衆社会が求める人間の在り方、

この教えの根幹は、多くが孔子が提唱した

思考から生まれて育ちました。


 

 

この中の 円で示した手の部分を見ると

右手が 左手を 抑えたように見えますが、

ここにも、大切な人間性の基本的な心を

持つべき必要性を 説いています。

この意味が 判りますか?


この手の姿は

一時の感情的な行動を戒める。

人に対して自己暴力的な力や増長鼓舞の跳ね上がりを

引き留める。


この二つの意味があります。

過っての商人が、取引を上手く運ぶときに

この手組を用いてました。

これを 「揉み手」と言われて、その取引は

双方が納得できる中間点と妥協が成立したものです。

省みるに、現代の人間社会はこれらの基本を忘れすぎて

単細胞の土中の虫以下でしょう。

ゴキブリ君のほうが賢い生き物です。


又、来る 五月八日は 灌仏会です。

本当か嘘かは判りませんが、

釈迦の誕生日 (キリスト教のイースターと同じ意味です。)

釈迦像に 甘茶をカケ 祝う行事ですが、

天上天下 唯我独尊 

と言われたとあります。

この意味も 歪曲されています。

真の意味は

天空の星々も 地中に生きる微生物も

それぞれの 存在する環境的な世界で

存在するものすべてが、個々に尊ばれる目的を持つている

この様な意味と思います。



現代科学は、

すでに、哺乳類の人工的な生産も可能となりました。

人間の臓器も 異種動物で リサイクルができます。

高齢者の自動車事故も その気になれば

僅か、5年後には 0 にできますが、

但し、高齢者に対する 外科的な脳細胞の組み換えが必要です。

これは、人間の尊厳などにも大きな疑問が生まれることです。


端的に申せば、

今生に生きる 生物をすべて 都合の良い方向に

人間が出来ることを 神仏の手から

はく奪しました。


人間性が必要ない人間もできますし

十分に補充を追加できることも

脳科学では 簡単な処置でできます。


これは、人間の歴史にある

奴隷制度と 主従身分制度の 完成版が

何時でも実施可能なのです。


その見極めは各個人が持つ 思考能力が

左右の分岐点です。


本日は此処まで。






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