ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 田中一郎著 「ガリレオ裁判」 (岩波新書2015年10月)

2016年11月12日 | 書評
地動説を唱え、宗教裁判で有罪を宣告された科学者の苦悩と真実を裁判の記録から検証する  第4回

1) 宗教裁判とは

ガリレオ裁判を正しく見るには、まず当時の宗教裁判の目的を知る必要がある。少なくとも現在の刑事裁判の目的をあてはめることはできない。ガリレオ裁判が冤罪であったとか誤審であったとかという考えは、法定外のうわさに過ぎない。ガリレオ裁判が当時のローマ教皇国の裁判制度の先例にどれほど従っていたか、またはどこが変則的であったかを知るには、ガリレオ裁判を除く多くの裁判資料が失われた状況では、上記の3資料から読み解くことになる。ローマに異端審問所が設置されたのは1545年トリエント公会議からである。この会議の当初の目的はプロテスタントとの融和を図る事であったが、プロテスタントの出席が得られなかたのでむしろプロテスタントへの糾弾会議となり、異端を撲滅だけでなくカトリック教会の改革はを抑える結果になった。反宗教改革が始まり、ルネッサンスの自由な雰囲気はもはやなくなった。教皇権力の強化にとって異端を撲滅することは必須の要請となり、ドミニコ会やイエズス会が異端審問に関係した。ガリレオ裁判においてもこの二つの会の聖職者が暗躍したという説も流れた。トリエント公会議のも一つの重要な結論は、「聖書」を文字通りに解釈されるべきというものであった。ガリレオは敬虔なカトリック教徒であったが、自分の望遠鏡による天文学的発見からコペルニクス地動説の正しさを確信することになるが、それが聖書の記述と矛盾する場合には、聖書の方を解釈しな推すことで解消しようという態度であった。トリエント公会議が欧州における宗教的対立を激化させ、1618年にはじまる30年戦争を勃発させる原因となった。ガリレオが宗教裁判にかけられた1616年から1633年はちょうどそのような時期に当たる。しかし宗教戦争と言われた30年戦争は、実質的には欧州を二分するフランスのブルボン家と、スペインと神聖ローマ帝国を支配するハプスブルグ家の覇権争いであった。スウェーデンとフランスが手を握り、イタリアの都市国家を支配下におくスペインの力をそぐためローマ教皇はフランス側に就くという、宗教的対立と政治的他立が複雑にからみあった戦いであった。プロテスタントによる聖書解釈に対するかたくなまでのローマ教皇の拒否は、コペルニクスの地動説にまで波及したのである。これがガリレオ裁判の真相であり背景であった。異端審問所はローマだけでなくスペインにもポルトガルにもあった。スペインとポルトガルの審問所は国王の権限の下にあり、ローマでは教皇の権力はイタリア国内に限られていたので、他の世俗国権力には及ばなかった。ローマの異端審問所は、検邪聖省と呼ばれ、教皇庁の省のひとつである。10人の枢機卿が異端審問官を務めた。イタリア内の各地で審問の場(裁判)が行われた。しかし判決の場はローマのサンタマリア・ミネルバ・ドミニコ会修道院が選ばれた。検邪聖省の異端審問集会は週2回おこなわれ、水曜日はミネルバ・ドミニコ会修道院において教皇抜きで開催され、木曜日はバチカン宮殿において教皇が出席して行われた。宗教裁判が現代の裁判と大きく違うところは、第1にそれが有罪か無罪かを争う場ではないことである。異端審問官は検事でもあり裁判官でもあった。当時は人権とか権利とかいう概念は希薄で、キリスト教を棄教したものはそのキリスト教徒としての権利は剥奪される。そして裁判の大半は書面で行われ、最後の判決の場まで被告と異端審問官が顔を合わせることはなかった。宗教裁判の目的はキリスト教の正統から逸脱した思想の持主の魂を救済し、教会との和解を実現することである。被告の告解(自白、懺悔)は不可欠であった。異端思想を抱いているという自覚がなければ(確信犯)贖罪は無意味で、異端の証拠はその人の心の中に在って物証はないからである。自白が得られない場合には尋問官による拷問もあり得た。それでも自発的な告解(自白)として処理される。自白が得られたときは、日曜日に罪状が宣告される。程度により、改悛、断食、祈祷、巡礼、公開のむち打ち、黄色いフェルト製十字架を縫いっ付けた衣服の着用、投獄、(8年未満、自宅軟禁、地下牢など)、罪状を認めない場合には極刑として火あぶりがある。1600年ジョルダーノ・ブルーノの火刑は有名であるが、こんな極刑は例外である。宗教裁判は誰かが特定の人物を告発することで始まる。告発を受けて異端尋問官は予備的な尋問を開始した。告発に値する根拠があったかどうかを証人、容疑者に尋問する。疑いが濃厚であると判断されれば、被告は異端尋問所に召喚され、裁判が正式に開始されることになる。ローマでの尋問は総主任が指揮し、尋問と回答は記録された。尋問が終わると被告は罪状認否をした。被告が書かれた罪状を認めて署名すると、再尋問の後自らを弁護する抗弁の機会が与えられる。検邪聖省の事務官は摘要報告書を作成し、顧問と枢機卿ン伝達される。判決を水曜日の集会で審議し議決して教皇の裁決を仰いだ。ローマ教皇が出席する木曜日の総集会で、顧問の裁定と報告された内容について最終決定がなされる。判決には赦免、勧告、刑罰があり、検邪聖省が判決を変更できる権限を持っていた。有罪判決を受けた被告は異端を捨てるという異端聖絶という宣誓を行った。こうして被告は再びカトリック教会に受け入れられた。最終段階は判決文の公表であり、公式文書になった。

(つづく)

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