ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 中村啓信監修・訳注 「風土記」 上・下 (角川ソフィア文庫 2015年6月)

2017年08月14日 | 書評
常陸国・出雲国・播磨国・豊後国・肥前国風土記と逸文 第6回

1) 常陸国風土記 (その3)

■ 行方郡: (今の行方市)東と南は霞ヶ浦、北は茨城郡である。古老曰、倭武天皇が霞ヶ浦の北方面を巡行して、槻野の清水で休息した。玉を落としたので玉清水という。各地を展望して、山と海がいりくんで美しかったので行細し国と言われたことから「行方」という。霞ヶ浦に流れ込む河川を上った時梶を失ったので「無梶川」と名付けられた。ここは茨城郡と行方郡の境である。行方の西は霞ヶ浦で、土地は痩せ草木は生育しない。霞ヶ浦の魚は食するに耐えず、大型の魚はいない。北に香取神社の社があり、手賀の里には香島の社がある。(行方郡の分には省略はない)
    □ 手賀里: 郡家より西北に手賀里がある。昔、手賀という佐伯(土蜘蛛 蛮族 土着一族)がいた。その里の北に香島の神子の社(玉造の大宮神社)がある。この辺の土地は肥沃で、椎、栗、竹、茅を産する。
        ● 曾尼村: 昔、曾禰比子という佐伯がいた。そこから「曾尼」村という名が付いた。今は馬家を置く。継体天皇の時代、箭活の麻多智が、この地を開拓して水田を開いた時、多くの蛇の神(夜刀神)がその邪魔をしたので、境界を決めて夜刀神を長く 丁寧に祀るので、人の領域の水田に祟らないようにした。また孝徳天皇の時代に壬生連麿が谷を開拓し池を築いた。池の周りの椎木にたくさんの夜刀神(へび)が出るので、ここは民の生             活の為に必要なのだとして悉く殺した。この池の名は椎井という。またここには香島に向かう駅道がある。
    □ 男高里: 郡家より南七里に男高里がある。昔、小高という佐伯(土着一族)がいた。そこから里の名前が由来する。国司当麻太夫の時に築いた池が東にある。池より西の山に鯨岡がある。上古の時代に鯨が来たという。大きな栗がなる栗家の池がある。
    □ 麻生里: 昔ため池のほとりに1丈ばかりの高さの麻が生繁っていたんが、名の由来である。椎、栗、槻などが生い、猪・猿が住んでいた。ここは良い脚の馬を出す地であった。天武天皇の時代、潮来の大生の里の建部袁許呂命がこの地の馬を献上した。行方の馬である。茨城里の馬という人もいる。
    □ 香澄里: 景行天皇が下総国の印波の鳥見丘に登って東を見ると、「海は青く陸は霞み」と言われた霞郷という。この里から西の(霞ヶ浦)洲を新治洲と呼ぶ。北に新治国の筑波山が見えるから、その名が付いた。ここより南に板来村(潮来市)がある。天武天皇の時代に麻積王をこの地に派遣した。藻、海松、貝、鰻が多く採れる。
    □ 伊多久之郷(潮来): 崇仁天皇の時代に、建借間命(那賀国造の祖となる)を派遣して東の夷を征服させた。阿波崎(稲敷市)に着いて、土着一族(土蜘蛛)夜尺斯・夜筑斯を滅ぼした。七日間宴を張って大騒ぎをすると、集まってきた土蜘蛛を一網打尽にして殺した。痛く殺したことから伊多久之郷という名がついた。安伐の里とか吉前之邑とかいう。
    □ 当麻之郷(鉾田市当間): 郡家から東北15里に当間之郷がある。倭武天皇が巡行して、烏日子という佐伯(土着の一族)を征伐した。道が悪くて巡行に苦労したことから当麻という名が付いた。二つの神子(香取、香島神社の分 祀)がある。
    □ 芸都野(行方市内宿): 当麻之郷の南に芸都野がある。寸津比子・比売という土着一族(国栖)がいたが、倭武天皇が巡行して、男の方は反抗するので殺し、女は降参した。小抜野に仮宮(いまの行方市小貫)を作った。寸津比売がよく仕えたので宇流波斯の小野という。倭武天皇がこの地で弓弭を作ったので波聚の野という。ここから南に相鹿・大生郷(潮来市大賀・大生)がある。倭武天皇が丘前の宮に食膳屋と作ったことから大生之村と名付け           た。倭武天皇の后大橘比売が大和からやってきたので、安布賀之邑という。

■ 香島郡: 東は大海(鹿島灘)、南は常陸と下総の境界にある安是の湊(利根川河口)、西は流海(霞ヶ浦)、北は那賀と香島の境界にある阿多可湊(那珂川河口または涸沼)とされ、郡家は鹿島神社の南(香嶋市神野向遺跡跡)におかれる。記述された里は白鳥の里のみで、あとは海岸の地名の由来と伝承のみである。古老曰、孝徳天皇の時代、中臣部一族の要請によって、下総国の海上国軽野より南1里と、那賀国寒田より北5里を割いて、ここに神の郡を置く。(藤原家の祖である、神事をつかさどる中臣部の鹿島神社由来の記) そこにあった3社を併せて統べて「香島之天之大神」と称する。社を豊香島之宮となずける。第10代崇神天皇の時代神社所有の民戸を六十五戸をつける。中臣巨狭山命に命じて大船を造り、大船祭を執り行う。神社の周辺に居住する中臣氏の卜占専門職であるト氏が祭りを行った。
        ● 沼尾池(香嶋市沼尾): この沼に生える蓮根を食えば病気が早く治るとされた。鮒・鯉が多い。昔に郡家が置かれた地であった。
        ● 高松浜(香嶋市下津): 郡家の東3里にある。砂と貝が積って丘となる。自生の松林、椎、橡が混じる。文武天皇の時代采女朝臣が浜で砂鉄を取り剣を作った。30里あまり松山が続く。
        ● 若松浦(安是湊): 常陸と下総の境である安是にある。砂鉄が採れるが、香島の神山なので入ることができない。
        ● 寒田(香嶋市神栖の神之池): 郡家の南20里の浜里から東の松山に大きな沼がある。鯉・鮒が多い。田は少しはできる。昔天智天皇の時代、陸奥国石城で作った大船が難破してこの沼に流れ着いたという。
        ● 童子女の松原(神栖市軽野): この地の海岸での歌垣「童子女(うない)の松原」を紹介する。那賀の寒田の郎子と海上の安是の嬢子の恋物語ー松に変身する譚である。この文章が漢文として秀麗で、四六駢儷体形式で美文調で叙述されている。694年那賀郡の五里と下総国の海上郡の一里を分割して新たに鹿島郡が建てられた。行政の変更として来歴と常陸国と下総国を越える恋物語として語られた。通婚圏を越える別の世界に住む男女の恋は古代の婚姻形式からするとタブーである。婚姻は財産や土地の移動を伴うからである。村落共同体の同意がないとできない相談だったのである。文学的には夜明けに松に変身したことは、メタモルフォーゼ(変身)という物語のパターンである。あるいは人間に変身した松の木の精の恋物語かもしれない。
        ● 角折浜(香嶋市角折): 昔大蛇が東の海に通うために穴を掘ってら、角が折れたという伝承と、倭武天皇がこの地に宿ったとき、水を得るために鹿の角で土を掘ったところ、角が折れたという伝承もある。
    □ 白鳥里: 郡家の北30里にある。古老曰、垂仁天皇の時代、白鳥が天より飛び来たり、乙女となって夕方に来て朝に帰る。池に石を積んで池垣を作ろうとするのだが、作っては壊れての繰り返しに白鳥はついに諦めて天に帰ったという。

(つづく)
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