ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 田中浩著 「ホッブス」 (岩波新書 2016年2月)

2017年05月12日 | 書評
民主主義的近代国家論の基礎となったホッブスの政治理論 第10回

3) 哲学体系の完成ー「物体論」、「人間論」

 ロンドンに帰ってからのホッブスは政治活動を注意深く避け研究を続けて、かねてからの念願であった「物体論」を1655年に、「人間論」を1658年に出版した。ホッブスは「哲学体系」を、「物体論」、「人間論」、「市民論」の順に構築する途上で、1640年にピューリタン革命に遭い、「市民論」を優先した。しかしホッブスの業績を不朽ならしめたものは、結局は「社会の哲学」(市民論、政治学、国家論)であったから、帰国してから亡くなるまでの30年間は「リヴァイサン」の補完作業であった。「物体論」(1655年)、「人間論」(1658年)のほかに、「哲学者と法学徒との対話」(1666年)、「ビヒモス」(1668年)にホッブスの余生が費やされた。「物体論」、「人間論」を含めて彼の哲学体系三部作が完成したのはホッブス70歳のときであった。物体論や人間論の基本部分は「法の原理」や「市民論」、「リヴァイサン」で言及しているのだから、さらに物体論や人間論を書く必要はなかったといえるが、彼の形式性(完成性)がそうさせたのであろう。ようするにホッブスは彼の政治学は「物体論」、「人間論」を踏まえていることを言いたかったのであろう。「物体論」、「人間論」の発展の上に彼の政治学があるとも思えない。むしろ歴史、先人政治・哲学思想家の書物、カトリック教義、法学、自然科学などすべての学問の集積の上に立たなければならない。1660年5月チャールズ二世がイギリスに帰国し王政復古となった。もはや時代は変わったので王政復古がどれほどの意味を持つかは分からないが、名誉革命の下準備が始まっただけかもしれない。ホッブスは1675年にデヴォッシャー伯爵家の本宅にうつるまで、ロンドンでは読書と研究にふけって、晩年の二大傑作「哲学者と法学徒との対話」(1666年)、「ビヒモス」(1668年)が生まれた。「哲学者と法学徒との対話」は、エドワード・クックの「コモン・ロー至上主義」に対して、政治・国家においては全人民の契約による最高権力者=主権者の制定した法律が優越することを主張し、世界初の民主主義的政治システム理論を提起したのである。「ビヒモス」は世俗的主権者と宗教権力との対立原因を革命分析から明らかにした。両書はプラトンの対話形式という形で書かれている。一見落ち着いた学者生活をしているホッブスの周辺では論争が絶えなかった。一つはブラムホールとのスコラ哲学に関する論争、数学者のジョン・ウォリスや物理学者ロバート・ボイルとの論争があった。政治家のクレランドの「異端者法」攻撃などもあった。しかしホッブスを支えた人々がいた。新政府のアーリントン大臣、コジモ・デ・メディチ、ジョン・ヴォーン、マシュー・ヘイルラはホッブスを擁護した。ホッブスは87歳にして1675年にデヴォッシャー伯爵家の本館があるチャツワースに移り住んだ。そのまえにホッブスは「イリアス」、「オディッセイア」の英訳を完成した。そして1679年12月4日、風邪をこじらせて亡くなった。享年91歳であった。聖ジョン・バプティスト教会に眠っている

(つづく)
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