ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 吉田千亜著 「ルポ 母子避難ー消されゆく原発事故被害者」 (岩波新書2016年2月)

2017年05月18日 | 書評
子供を守るため自主避難した原発事故被害者への、住宅供給政策と生活支援策の切り捨て 第4回

序(その4)

 次に、福島原発事故直後、ベント開放によって高濃度の放射線が大気の流れに乗って北西方面の飯館村を襲った。その時点では被曝予想システムSPEEDIは発生源インプットデーターがないため動作しなかった。その時飯館村のほとんどの住民は被曝し、強制避難を余儀なくされ、避難生活に入った。千葉悦子・松野光仲著 「飯館村は負けない」(岩波新書 2012年3月)には、飯舘村は福島第一原発の北西部にあり、村の地域の殆どは原発より30Km圏外にあったが、3月11-15日の原発の爆発に伴う高濃度放射能プルームが南東の風に乗って飯舘村を襲い、4月11日に「計画的避難地域」に指定され、国の管理下に入った。そして6月には全村民避難となった。8月上旬には村民の避難は完了したが、2世代、3世代家族は仕事、狭い住居、子供の教育問題でバラバラにならざるをえない。仮設住宅や公営宿舎に入れたのは3割にとどまり、約7割の村民は県の民間借り上げ住宅に散在することになり家族の絆や村の絆を失った。村は復興に向けて日夜奮闘して入るが、村が最初掲げた「2年で帰村」ははたして可能なのだろうか。本当にあのような高濃度汚染地区に人が帰ることが出来るのだろうか、国の除染対策が遅遅として進まない中で村民の不安は増すばかりである。このような計画的避難地域の全村避難徒いう現実では、「反原発・脱原発」という問題意識だけでなく、今これからをどう生きるかという、ひとりひとりの生活再建が前面に出てくる。 飯舘村は1ヶ月で避難しろという指示に対してなかなか従おうとはしなかった。それはこれまで取り組んできた村づくりを無にしたくない思いと、その経験が生んだ強い根性にあったようだ。飯舘村は上の放射線汚染地図に見るように、福島県浜通りより北西部に位置する。阿武隈山系の北部にあるため、75%は林野が占める山間の村である。気候は年平均気温10度前後で寒さが厳しい。冷害が度々襲い、近年では1980年と1993年の大冷害が記憶に新しいという。村は1956年の合併(飯曾村と大舘村)以来、比較的霜害の少ない畜産の振興を進め「飯舘牛」のブランドを確立した。人口は合併時1万1403人であったが、2010年には6588人に減少し、高齢化率は29%である。村の基幹産業は農業で主要産物は米、畜産、葉タバコ、野菜、花卉である。2005年の就業人口比率では1次産業が30%、2次産業が39%、3次産業が31%である。世帯数でいうと農家が70%である。村おこしは、国の言葉でいうと1983年から10年間の「第3次総合振興計画」(第3次総)から始まる。新たな産業振興策として肉用牛を主とする畜産と高冷地野菜の振興を打ち出した。1984年から村営牧場を興し「ミートバンク」事業となって、「飯舘牛」のブランド化と会員制牛肉宅配便をおこなった。このなかで地域づくりへの取り組みは「夢創塾」結成へ繋がった。ここから村長や村議員が誕生した。1989年「若妻の翼」という海外研修が実施され、農村主婦の自立と活性化につながった。竹下内閣の「ふるさと創生1億円」事業には、飯舘村は「農村楽園基金」として、「人つくり」、「地域づくり」、「景観づくり」を推進した。2011年 4月11日コンパス規制に拘っていた国は避難基準の見直しを行い、年間積算被爆量が50ミリシーベルトから20ミリシーベルトに切り下げて、飯舘村は「計画的避難区域」となった。村では13日ー16日に村民への説明会を開き、牛をどうする、設備移転はできるのかなどの意見がでたが、17日枝野官房長官は村を訪れ、時間がかかっても全村避難を促した。国からは補償の約束は一切なく、4月22日村は計画的避難区域に指定され、何をするにも国の許可が必要となり国の監督下に入った。4月26日「愛する飯舘村を返せ!村民決起集会」が開かれ、5月25日村で最後の「村民の集い」が開かれた。4月25日村は川又町と共同で首相への10項目の要望書を提出した。特例として、被爆量を村が管理するとして村内の8つの事業所と特老施設の継続を認めさせた。村への人の出入りは許可されているので、村としてはセキュリティ対策として「いいたて全村見守り隊」を組織し、雇用対策も兼ねて8億円の事業費を充てた。また村民が避難先で行政サービスを受けられるように2つの住民票を総務省に要望した結果、8月に「原発避難者特例法」が制定され、避難自治体に行政サービスの実施を義務付けた。農村として除染・土壌改良は第一の要望である。9月には村は「飯舘村除染計画書」を国に提出した。住環境として年間1ミリシーベルト以下に、農地は5年以内に放射性セシウムを土壌1Kgあたり1000ベクレル以下にするとし、その費用は3000億円を要望するものであった。村民の避難は、緊急度の高い1041戸の第1次避難が5月中旬から始まり(避難済み285戸、自主避難531戸)、福島市に230戸の仮設住宅を建てたりしたが、バラバラに分散した避難となり6月22日には終了した。 本書は震災1周年を期して出版されたが、避難生活は始まったばかりで、仮設住宅と借り上げ住宅に住む村民の軋轢、県外避難者の疎外、村行政と村民の不満に亀裂が深まり村は存亡の危機に直面している。賠償金と村を売り払って新たな大地で生活再建を求めようとする人々も増えてきている。放射線汚染が短時間で収まるはずもなく、帰村できるまでに何年かかるか誰にも分からない期待を抱き続けても生活が出来ないので、早く生活できるように一人ひとりの復興を図らないといけない。農村の基盤を失った村民が都会で一労働者になれるか、農民として復活したい、そして国は飯舘村の高濃度汚染地区を「棄村」するかもしれないという葛藤が毎日繰り返されている。

(つづく)
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