ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 田中浩著 「ホッブス」 (岩波新書 2016年2月)

2017年05月14日 | 書評
民主主義的近代国家論の基礎となったホッブスの政治理論 第12回 最終回

4) 近代政治思想史上のホッブスの意義 (その2)

 欧州において、イギリス・フランス系の思想とドイツの思想はかなり異なっている。遅れて連邦国家を統一し、皇帝による立憲政治の道を採ったドイツでは、「社会契約論」や「自然法思想」の重要性が認識されたのは第一次世界大戦のドイツ敗戦後のことである。(日本では第2次世界大戦敗戦後のアメリカによる民主革命を待たなければならなかった) トマス・マンは自然法思想の重要性を認識した。その中でテニエスはホッブスの再評価を行った。ドイツの二大哲学である、カント(1724-1804 年)とヘーゲル(1770-1832年)もホッブスやロックの政治思想を十分理解するこてゃできなかったという。フランス革命は隣国ドイツにも影響を与え、カントはルソーの「エミール」を愛読したという。ヘーゲルはフランス革命を支持するクラブに入って、ドイツにおける近代的統一国家の夢を見た。だがドイツの封建的割拠状態を見て、「とうていドイツは国家とは言えない」と嘆息した。カントやヘーゲルにも見られたように、ホッブス、ロック、ルソー的な近代自然法思想を理解できなかったことが、第二帝政滅亡後にヴァイマール共和国が作られたにもかかわらず、わずか4年でヒトラーの独裁を生み出したことは、「市民社会」の成熟が不十分で官僚制統治国家から一歩も出られなかったことの原因である。それは日本の軍国主義政府の出現と同じである。遅れた国の運命であったといえる。主権者と人民が乖離し、人民が主権者ではなかったことである。第1次世界た戦後のドイツではゲルマン民族の優秀性を強調する「ドイツロマン主義」を克服し、ドイツ民主化を進めることが課題となった。宗教社会学者エルンスト・トレルナ(1865-1923年)は偏狭な民族主義や権威的国家主義の思想を痛烈に批判し、「近代自然法思想」に見られる「自由・平等・平和」を台とする普遍的思想の確立を提唱した。トマス・マン(1875-1955年)も「魔の山」ではドイツ的思考と自然法思想との対比した。ドイツは民主党で憲法学者フーゴ・ブロイスト(1860-1925年)が起草したヴァイマル憲法を制定し共和国制となったが、わずか14年でナチによって制覇され第2次世界大戦を起した。民主主義の遅れた国(ドイツ・日本・ソヴィエト)では「危機回避」の為という理由でいったん権力が集中されると、そのまま独裁的権力が永続的なものになる。つまり「大統領の独裁」はそのまま「ヒトラーの独裁」にすり替わったのである。人民による権力の抑制機能、監視機能が不十分なのである。この欠点を見抜いたカール・シュミット(1888-1985年)は一連の著作において、強いドイツを再建するため大統領に強い権限(非常大権)を与え、反対党との共存にたつ「西欧型議会民主主義」を否定した。日本では明治維新から太平洋戦争敗北に至る道はまさにドイツの後塵を拝する蚊たちで後追いした。民法をはじめドイツの法制をそのまま移殖し、極めて人民の力を軽視した国家主導型官僚主義による主権者独裁政治を貫いたための当然の敗北であった。明治維新後の啓蒙期に果たした福沢諭吉の役割は大きいが、西欧デモクラシーを紹介するにあたって、近代自然法思想や社会契約論などの紹介はほとんどない。西欧がなぜ民主主義を勝ち取ったのかという歴史的考察がなかったのである。大正デモクラシーで一時咲いたあだ花は昭和に入って軍靴によって簡単に踏みにじられた。

(完)
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