ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 新崎盛暉著 「日本にとって沖縄とは」 岩波新書(2016年1月)

2017年04月06日 | 書評
歴代政府の対米従属路線である、基地を沖縄に集中させる「構造的沖縄差別」政策  第9回

3) 1995年の民衆決起 (1970-2006年) (その3)

 1999年12月、稲嶺知事は15年期限付き軍民共用空港の建設候補地は辺野古沿岸が最適であると政府に伝え、名護市長に受け入れを要請した。政府はさっそく政策協議会を開き、10年間で1000億円の振興予算確保を表明した。12月23日名護市議会は辺野古沿岸に普天間基地代替え施設の移転促進を決議した。岸本名護市長は26日に青木官房長官と会談し、代替え施設受け入れを表明した。政府は28日閣議で普天間基地の関する政府方針を決定した。政府としては、「15年使用期限付き軍民共用空港」などという条件は米軍に受け入れられるはずはないにもかかわらず、沖縄県民に曖昧な幻想をもたせ、既成事実の積み重ねでなし崩し的に実施するつもりであった。この間世界情勢は大きく変化した。2001年9月11日同時多発テロを受けて、ブッシュ大統領の対テロ戦争が始まった。那覇防衛施設局は、辺野古漁港から事前調査に入ろうとしたが、反対する市民に阻止された。2004年8月普天間基地に隣接する沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落した。こうした事件のあと辺野古移転を急いだ那覇防衛施設局と市民・漁民の実力攻防が始まった。2005年10月29日日米安保協議会(2+2)は、名護市の頭越しに「15年使用期限付き軍民共用空港」案を拒否し、辺野古沿岸に1800mV字型滑走路2本を持つ新基地の青写真を公表した。辺野古移転ロードマップでは、在沖米海兵隊8000人と家族9000人が14年までのグアムに移転することが決定された。基地移転費用の一部は日本の負担となった。稲嶺知事はこの沿岸案に猛反発して海兵隊の県外移転を主張し始めた。翁長那覇市長は硫黄島を訪問し、2600m滑走路を持つ硫黄島の自衛隊基地への移転案や那覇空港案を提案したのもこの時期であった。稲嶺知事の後継の仲井間知事は県内移転容認派であったが、沿岸ではなく沖に出すことを提案した。1996年のSACO合意は普天間基地の返還というより、老朽化しリスクの高い普天間基地を移転し米軍基地の機能共感を狙ったものであった。2006年11月1日井波宜野湾市長は「普天間基地安全不適格宣言」を出し、すみやかな危険性の排除を訴えた。危険性の除去が新基地建設促進の口実として強調されるようになったのは第1次安倍政権のころからである。基地の危険性が及ぶのは基地周辺の住民だけではなく、事故は基地から離れた海上や訓練場で起きている。事故の発生件数や被害ということでいうと、最も危険だったのは嘉手納基地である。日米政府が辺野古にこだわるのは60年代にキャンプ・シュワブ沖の埋め立て計画があったからで、普天間基地代替えとしてこの辺野古基地計画がよみがえったのである。そしてその移転経費はすべて日本が負担する。大浦湾から辺野古沿岸を埋め立て、2本のV字型滑走路をもち、強襲揚陸艇も接岸可能な港湾施設や弾薬搭載場も持つ現在案が最も理想的な形である。この頃には沖縄の基地容認派も、安保が必要なら日本全体で考えてほしい、普天間基地の代替え施設は県外へと主張し始めた。軍事専門家も、「軍事的には辺野古でなくてもどこでもいいが、政治的には沖縄県内が最もやり易い」、すなわち米軍基地は沖縄に閉じ込めておく方が、本土で政治問題化しにくいと考えたのである。一方で日米共用空港である那覇空港の第2滑走路の沖合展開という問題がある。これは直接の米軍基地問題ではないが、那覇空港が米軍基地のために沖へ追いやられた感が強い。那覇空港の沖合埋め立ても好ましことではない。那覇空港は民間専用空港化が理想である。それより世界一危険な嘉手納飛行場の返還の方が先であろう。

(つづく)
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