ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 加藤典洋著 「戦後入門」 (ちくま新書2015年10月)

2017年06月15日 | 書評
安倍首相の復古的国家主義の矛盾を批判し、対米従属と憲法9条の板挟みであえぐ日本の戦後を終わらせる試論 第5回

第2部 世界大戦とは何か (その3)

 では第2次世界大戦で日本の大義とは、どのようなものであったのだろう。日本が日清戦争、日露戦争によって欧州の権益の舞台に顔を出すようになって、急にヨーロッパに広まったのが「黄禍論」でした。共感・反感入り混じった複雑な感情です。20世紀初めの国際コミュティの形成時には、英仏ドイツ帝国の国際社会に市民層・労働者階級が新たに加わり、女性層の声がそこに加わってゆくと同時に、白人主体の国際コミュニティに日本・中国・インド中東が参入しました。第1次世界大戦後、日本が英仏伊の西欧列強三国に加え第4の国際連盟常任理事国に選ばれた。後にはドイツが国際連盟に加わり常任理事国に選ばれた。ヴェルサイユ条約採択の協議には日本は局外無関心を示し、1919年2月の国際連盟委員会で、米国・カナダでの日系移民排斥運動に絡んで、「人種差別撤廃条項」を提案しました。この提案は確かに普遍性を持つ世界最初の人種差別撤廃ではありました。ところが日本人が行っている朝鮮・中国への植民地化は欧米と同じレベルの身勝手なもので、この提案の普遍性とは無縁でした。差別されたことに対するカウンターパンチに過ぎず、欧米の賛同を得られず尻つぼみになって消滅しました。1943年第2次世界大戦の最中、日本政府は遅まきながらこの「人種差別撤廃」を戦争目的に掲げました。新しい戦争の目的として、「自存自衛」だけではなく、日中戦争の戦争目的としていた「東亜新秩序」を加えました。この戦争目的は1943年11月に行われた「大東亜会議」で採択された「大東亜共同宣言」に示されました。会議の主催者は重光薫という開明の外交官でした。英米の植民地からアジアの解放、そして人種差別の撤廃の再主張が明言されました。連合国のブロックに対する、日本中心のブロックの設立宣言でしたが、日本は1943年時点では戦争自体の主導権をなくしていたためこの宣言の求心力は限定的であった。アジアの解放という日本の「大義」は、全くのウソだったにしても、総力戦を戦う国民を動員する力にはなっていました。敗戦予測が濃厚だったころ、重光薫のセンスは世界戦争の理念というものをはっきり意識したものでした。重光薫の宣言は、第2次世界大戦は連合国対枢軸国との戦い、市民的自由と全体主義との戦いと米英が描いた世界戦争のシナリオに一石を投じました。英米による世界戦争の理念の「再形成」によって、隠蔽されたものがあります。第2次世界大戦の実質的な戦勝国は米英ソですが、最終的な戦勝国は米国です。この戦争が終わった時、英国を含めユーロッパは疲弊しきっていましたヨーロッパの復興を主導したのは米国1国でした。マーシャルプランという経済復興策、NATO創設という安全保障の土台を作ったのは米国です。ソ連は2000万人という戦死者を出しながら、2年後の1947年に始まる自由主義陣営によるソ連封じ込め政策(東西冷戦)によって最大の国難を迎えました。米国は原爆の威力をもって、社会主義国の圧殺を開始したのです。第2次世界大戦が終わってみれば、実質的な世界の覇者は米国1国だったのです。世界戦争の理念の「再形成」によって隠蔽されたものとは、①この戦争の勝者は米国1国であった事実、②原爆の効果(被害)の規模という二つの事柄のことです。1949年ソ連原爆開発を受けて、非米活動員会による「赤狩り」マッカーシズムが米国社会のリベラルな伝統を回復不可能なくらい傷つけました。狂信的な共産主義恐怖を植え付けることによって、原爆に対する市民の不安感も見えにくくなった。日本占領に当たったのは連合軍総司令部GHQですが、それを支配したのは米国政府です。サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の調印によって、日本は連合国ではなく、新たな主人として米軍との二国間関係に入りました。原爆という「無差別大量殺戮兵器」の被投下国日本からの避難や抗議を封印するため、米国トルーマン大統領は無条件降伏という方策を日本に押し付けました。無条件降伏をポツダム宣言から読み取る事できません、つまり後付けの条件でした。「人類に対する悪」である原爆使用への非難を隠ぺいするため、こうして世界大戦の理念は劣化してゆきました。米国の「原子爆弾の使用が国際法に抵触しないかどうか」を論外において、東京戦犯裁判が行われたのです。ニュルンベルク裁判、東京裁判は戦勝国と敗戦国との対等関係に代わる、いわゆる無条件降伏といった考えに則て国際戦犯裁判が行われた。この段は米国の理念の劣化だけを問題視するわけではなく、日独ソ連の劣化も著しいものがった。仁義なき戦い(やくざの抗争)という国益第一という側面が大きかったというだけにとどめておこう。東京裁判では従来の国際法にはない「人道に対する罪」と「平和に対する罪」が問われた。1942年1月の連合国共同宣言の「世界を征服しようとする野蛮で獣的な軍隊に対する共同の闘争」といった連合国の戦争目的が東京裁判で貫かれ、天皇の戦争責任を免訴すること自体が茶番であったが、東条英機ほか13人が処刑された。1943年の戦争理念から終戦における数々の劣化が、この連合国対枢軸国の戦争という図式の完成の影に、見えなくなってしまった

(つづく)
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