ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 高瀬正仁著  「人物で語る数学入門」  (岩波新書2015年5月)

2016年07月12日 | 書評
近代の数学者らが格闘した曲線、関数、微分、数論の問題とギリシャ数学 第3回

1) 曲線を巡って-古代ギリシャからデカルトへ

プラトンの学校「アカデミア」の門には「幾何学を知らざる者は入るべからず」という文句が掛っていたといわれます。ギリシャ時代の哲学者の愛好する数学とは形而上学と深く結びついていました。しかもギリシャ時代の幾何学は代数学的に考えることはなくて、むしろ代数の問題(ピタゴラスの定理でいう冪数の整数論)でさえ、幾何学的に解くことが正道とされていました。比例計算は三角形の相似形として作図されていました。この章はギリシャの幾何学がデカルトの解析幾何学(座標を設けた代数計算問題)に発展する数学者の流れを詳らかにすることです。ここに記代ギリシャの三大作図問題というものがあります。それは①円が与えられたとき、その円と同じ面積を持つ正方形を作る(円の方形化問題)、②任意の角が指定された時、それを三等分する(かくの三等分問題)、③立方体が与えられたとき、その2倍の体積を持つ立方体を作る(立方体の倍積問題)です。円の内接する正多角形の辺の数を増やしてゆくと限りなく円に近づく方法でアルキメデスは円周率を求めました。ぺートル・ベックマン著 田尾陽一訳「πの歴史」(ちくま学芸文庫)に、ピタゴラスの円周率近似解とヒッピアスの円を正方形にする作図 が書かれています。古代ギリシャの時代、円周率に関係する幾何学者に面白い人物が4名いる。アナクサゴラス(BC500-428)は円と同じ面積をもつ正方形を作図する事を始めた。アンテフォンは「埋め尽くしの原理」という重要な手法を考案した。それは円に正方形を内接させ、次々に辺を2倍にした正多角形を内接させる考えで、かぎりなく多角形の周辺の長さは円周に近づくであろう。この原理はユークリッドによって正当化された。ヒポクラテスは半月という曲線の求積法を作図した最初の人である。そしてヒッピアスは直線や円以外の曲線を初めて定義した(超越曲線)。彼が発明した「クアドラトリックス」という「円積曲線」であるが、後にパッボス(3世紀)がこの曲線上で「円周率πを幾何学的に作図」することが出来ることを証明した。 どうしてこんな曲線を思いついたのだろうか、天才に脱帽する。又アルキメデスは「アルキメデスの螺旋」曲線で円の方形化問題を解いたとされています。しかし現在からみるとこれは近似的であって、代数的には円の半径rと同面積の方形の一辺aにはa=√π・rという関係があり、√πという超越数ではaの長さは確定しませんので、この作図は不可能という結論になっています。同様にこの3つの問題ははすべて作図不能とされています。しかし角の三等分問題はパッブスが円と双曲線を用いて作図しました。パッブスは「数学集録」の編集者として有名ですが、古代ギリシャの幾何学の知識を集大成しました。それがデカルトの幾何学的思索のための手がかりとなったと言われます。立方体の倍積問題にが、二コメデスは「コンコイド」曲線作図機をもちいて解を得たといわれます。ディオクレスは「シソイド」曲線を考案してこの問題を解いたと言われています。このように古代ギリシャでは作図問題の解決のためにいろいろな曲線が考案されました。我々凡人にはただ驚くばかりです。

ルネ・デカルト(1596-1628年 41歳で他界)は、1937年デカルト著 谷川多佳子訳 「方法序説」(岩波文庫)を書きました。エゴ・コギト・エルゴ・スム(私は考える、だから私は存在するのだ)という言葉で有名ですが、自分の理性を正しく導き、学問における真理を求めるための方法という本です。6部構成の序説を書き、そのあとに「屈折光学」、「気象学」、「幾何学」の応用編を置いていますが、岩波文庫本にはこの応用編は有りません。デカルトはこの幾何学において、代数計算を根底に据えるというアイデアを示しました。デカルトの「幾何学」は全三巻で構成され、①円と直線だけを用いて作図しうる問題、②曲線の性質、③立体的またはそれ以上の問題の作図です。第2巻においてデカルトは曲線を方程式で表す方法を述べます。そして曲線の法線を求める方法を述べています。斎藤憲著 「ユークリッド原論とは何か」(岩波科学ライブラリー)では5つのユークリッドの公準が示されています。古代ギリシャの曲線論では、平面幾何学(平面軌跡 円と直線)、立体幾何学(立体軌跡 円錐曲線)、曲線的な線(ニコメデスのコンコイド、ディオクレスのシソイド、ヒッピアスの円曲線、アルキメデスの螺旋など)の3つに曲線を考えていました。デカルトは幾何学的な曲線とは精密に測定しうるかどうかを基準としています。パップスの作図問題を舌を巻くような巧みな円と直線からなる作図で求める方法は、普通の人には思いつかないとして、彼独自の方法で幾何学的直線の線分を既知数、未知数として代数方程式をたて4次方程式の解を求める問題に替えました。(運よくこの解は見つかりましたが、一般に4次方程式の解法は難しく、1544年イタリアのフェッロとタルタリアが3次方程式の解法に成功したばかりでした) 同様にパッブスの「3線の軌跡問題」をデカルトは、極めて特殊な例(2線は直交する)について方程式をたて、2つの2次方程式を得ました。これは双曲線と楕円になります。ただ私には、こんな特殊なケースで解いたと言っても、解と言えるのかという疑問は残ります。こうしてデカルトは幾何学曲線の方程式を書いて、その方程式を観察し曲線の形を知るという課題に取り組みました。そのためには法線(接線)を自在に引けることが必要です。デカルトの幾何学曲線は代数方程式で表すjことができ、代数方程式で表せない曲線は超越曲線と呼びます。円積曲線や螺旋は方程式では表せないからです。デカルトの法線を求める方法を楕円で見てみると、楕円方程式は、x^2/a^2+y^2/b^2=1、点C〈x、y〉として接線tpjぴ栓が作る直角三角形について2次方程式をたてて、それが2重根を持つ条件からCの位置が求まります。デカルトと同時代のフェルマー(数論でつぎの章の主役です)は独自の方法で接線を求めています。超越曲線にも接線を引く方法を考えました。ライプニッツは微分法で「万能の接線法」を発見しましたが、フェルマーの接線法はライプニッツの方法に似ています。フェルマーはほとんど微分法に足を入れているのですが、理論に統一性がありません。比例関係を保って楕円上の点を移動させるという不思議な巧みなやり方はギリシャのアポロ二ウスにも似ています。そうしてフェルマーはパスカルのサイクロイド曲線に接線を引くことに成功しました。古代ギリシャの幾何学の伝統手法がフェルマーに受け継がれていたようです。

(つづく)


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