ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 金子勝・児玉龍彦著 「日本病ー長期衰退のダイナミクス」 (岩波新書2016年1月)

2017年04月22日 | 書評
失われた20年のデフレ対処法の失敗は、アベノミクスのブラセボ経済策によって「長期衰退期」を迎えた 第12回

6) 周期性のコントロールが消える時-制御不能のスパイラル (その1)

 経済活動は通常景気循環という周期性を持つが、毎回同じことを繰り返しているように見えて、少しづつ変化が蓄積してゆく。景気循環を繰り返して経済の構造が変質してゆき、それが世界経済のレベルに影響を与え、時には大きな危機的変化となって現れる。それが再び国民国家のレベルに跳ね返って、その国の経済構造が自体が大きな変化を迫られる。ヨーゼフ・シュペーターは大きな産業の交代の波を50年周期の「コンドラチェフ循環」と呼んだ。周期関数のように波が高まるとブレーキがかかり引き戻す力が働く。これをフィードバック制御と言ってもいい。1960年代の日本の高度成長期にはいろいろな景気の波はあったが1980年代を頂点として、日本産業はやがて行き詰った。こうした事態を新しい産業構造への転換で乗り切るか、それとも旧来型の産業構造を維持するため無理な政策を重ねて衰退の道をたどるのか、日本は岐路に立たされた。結局金融自由化の流れの中で、日本経済は土地投資のバブル経済にのめり込み、それが崩壊すると大量の不良債権が発生し、日本はその本格的な処理を誤ったため後者の衰退の道をたどることになった。日本病のメカニズムを見るとき、サイクルを通して時間軸で現象を見ることが重要である。長期の周期性は、エピゲノムのような制御系の制御をになうメカニズムの変動が重要である。外部の環境の変化が内部に複数のシグナルを誘導する。イグナルの条件が整ったときにエピゲノム変化制御系のスイッチが入るのである。それは原子力ムラ(産官学複合体)の利益協同体には、制御がかからないとの同じである。首都圏に原発がないのは、原発の危険性がよく認識されていたからである。都会への資源の集中と、地方へのリスクの分散は表裏一体である。東京都は子供を産む数が最も少ないという事実は、東京では若い人の生活の持続可能性が見出しにくいのである。その裏返しの原発・基地に依存させられている地域の問題こそが「日本病」の症状の一つである。戦後日本経済の周期性の変質を見てゆこう。経済活動には基幹的に3つの周期性が考えられる。第1は2-3年ごとの在庫調整である。第2は10年ごとの設備更新を軸とした景気循環である。第3は50年ごとの産業構造の変化がもたらす周期性である。1950年代半ばから1970年代の石油ショックまでの高度成長期は設備投資主導型の高度経済成長の時代であった。高度成長期の景気循環はGDP成長率を上回る設備投資の高い伸びにけん引された。GDPの伸びを後追いする形で賃上げが実現し、それが大量生産・大量消費の経済を支えた。累進的所得税と法人税などの直接税中心の税制は、高度成長に従って高い税収の伸びを示した。ただし日本製品の国際競争力はまだ不十分で、材料は輸入に頼っていたので、GDP成長率が上昇すると貿易収支が赤字になるという状況であった。それを設備投資がけん引し、春闘で賃金伸び率を調整して再び景気が回復する党サイクルを描いてきた。1960年代末あたりから日本製品が競争力をつけてくると、この国際収支の壁はとれてきた。日本企業はパックスアメリカーナに依存して市場を増やし、アメリカの産業基盤を脅かすようになった。製造業において日本とドイツの挑戦が始まり、アメリカはベトナム戦争の敗北によって貿易収支を悪化させた。それが1971年のニクソンショックにつながったのである。ニクソンの新経済政策は、ドルと金の兌換性を廃止し為替レートの切り上げを求めた。スミソニアン合意は破棄され先進国は変動相場制に移行した。円高に対して田中首相は「日本列島改造論」に基づいて大規模公共事業計画で内需主導経済に切り替える政策に転換した。しかし2回の石油ショックで狂乱インフレが発生し、さらに賃上の急速な上昇が起こった。国際競争のついてきた日本経済は円高によって再び行き詰まった。企業は減量経営を行い、賃上げ率は製造業の生産性に張り付くことになった。こうして生産性向上に労働者を協力させることによって、輸出競争力を維持しながら、日本経済は輸出主導型に変わった。1985年のプラザ合意で円高不況が発生する時、企業は減量経営、借金返済と内部留保によって、安全資産として不動産を購入した。「土地神話」がまことしやかに、借金をしてまで土地を購入するバブルに陥った。世界的な金融自由化によって海外でも資金調達ができるようになり、銀行は次第に貸出先を失った。中曽根政権は規制緩和と民活路線、リゾート法によって後押しした。その後の日米構造協議に基づく公共事業拡大の公約がこうした動きを促進した。1990年代に入るとアメリカ経済は製造業をあきらめ、金融と情報を中心とする産業構造にシフトした。金融資本主義の誕生である。金融資本主義は、足の速い証券化を普及させ、グローバリズムが闊歩した。株価や不動産価格が上昇し、景気循環はバブル循環に変わった。

(つづく)
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