千田孝之のブログ「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 吉田 武著 「私の速水御舟」 東海大学出版会 

2011年10月14日 | 書評
天才 速水御舟の秘密ー日本画とはなにか 第9回 最終回

2)日本画の絶対的定義 (3)

 著者は哲学的に日本画の絶対的定義を「日本画とは即非の論理でもって描かれる絵画である。もてなしの心を持って意図され無限を描画対象としたものである」という。また日本画は抽象的、精神的であり、一切の虚飾を削ぎ落として立つ、内なる精神性を表現する。これを「わび」という。さらに非対称性、巧まざるところ、古色などが加わって一段と深い美が現れる。これを「さび」という。さてこんな定義は私には了解不能である。むしろ哲学定義をするより、日本画の特徴の羅列で実体を際立たせるしかないのではないか。物理的な遠近法には縛られない、無数の視点が存在する多重遠近法といってもよい。絵の部分部分で座標を任意に選べる空間(多様体)である。洋画のようにひとつの視点で見た遠近法という絶対座標(画家の位置を原点とする)が統一して存在するのではない。どの部分でもそこが見やすいように座標をとる。ありえない像の大きさの無視を平気でやってのける。遠くに居る人を大きく描く場合もある。これは理知による多視点といい、キュービズムの先取りであった。何がんでも描くのではなく背景をばっさり切り捨てる。そして背景に金箔をはって描く対象を際立たせる手法をとる。何もない空白で、極めて金属的なありえない空間を創出してきた。狩野派の金壁障壁画や琳派の屏風絵画がそれである。ひとつの画の中に、部分的に調った世界を描きつつ全体として調和した世界を創出する特殊な透視図法である。日本画には中心点は無い。画面のどの部分を見ても面白く、絵の中で自由に遊べる空間である。こうした独特の精神の働きによって描かれた絵画を日本画と呼ぼう。材料が日本的材料(岩絵の具や膠接着剤)を使って、洋画の手法で絵を書く人も多い。最近の日展を見ていて、あれこれは洋画ではないかと思う作品で埋められている。油っぽいところがなく、光と影のない洋画といってもいい。写実に迫った絵画には遊びがない。日本画は荒唐無稽でなくてはいけない。精神の自由とは遊びから生まれる。ただきれいだけでは売り物になっても、人を遊ばせることは出来ない。
(完)  
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速水御舟素描展 (ミウラ・ア−ツ)
2011-10-25 12:02:43
速水御舟素描展

2011年 10月22日(土)−11月5日(土)
11:30a.m−6:30 p.m.(日・祝休)

中期から晩年の未公開を含む素描約20点の展示販売を致します。                     
場所:ミウラ・ア−ツ 
   東京都中央区銀座8-12-6小野商ビル401 
           Tel&fax:03-3541-1327
       E-mail : miuraarts@nifty.com

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