ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 「平家物語 」 高橋貞一校注 講談社文庫

2008年04月09日 | 書評
日本文学史上最大の叙事詩 勃興する武士、躍動する文章 第12回

新大納言死去
俊寛僧都、平判官康頼、丹波少将成経三人は薩摩の鬼界が島に流された。一方新大納言成親卿は備前の吉備の中山、有木と云うところで槍を敷き詰めた穴に落とされてなくなったと云う噂である。結局小松殿の斡旋で後白河法皇の身の安全が守られただけで、入道相国の措置は峻烈を極めた。天狗と言われた後白河法皇はその後も何度も平家打倒を企て、源氏を見方に入れて平家追討の宣旨を出すことになる。小松殿の命乞いは平家滅亡の序章となるのである。後白河法皇の無力化に失敗したことがかえすがえす入道相国にとって残念であった。

徳大寺厳島詣
徳大寺大納言実定卿は左右大将の地位を平家一門に取られ意気消沈して出家しようかと悩んでいた時、藤蔵人重兼が助言するには、平家の守り神厳島神社に参拝して願をかけて神社の内侍一人二人都に連れて帰り、西八条の清盛邸に報告に行けば清盛は屹度喜ぶだろうと云う智恵を授けた。清盛への護摩すり作戦である。その結果見事実定卿は清盛のご機嫌をとって左大将に任じられたと云う話である。流された公卿にこれくらいの智恵があれば謀反を起さずに済んだろうにと云うアンチテーゼである。面白いことをやるものだ。

山門滅亡
後白河法皇が三井寺の公顕僧正を師範として真言の秘法をうけ御灌頂を受けようとした時、叡山の山衆は灌頂は叡山でやるべきことで不法なり、三井寺を焼き払うと脅かしてきた。そこで法皇は天王寺で灌頂を受けた。怒った叡山の山門衆・学生は度々合戦に及んだ。湯浅権現守宗重の兵二千人と早尾坂にて戦い叡山は敗北した。それ以降叡山の延暦寺はの人と堂塔は衰微して荒れ果てた。平家と法皇はこれによって長年の懸案だった強訴する比叡山を下したことになった。
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