ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年10月12日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第6回
巻 1
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31) あられうつ 安良礼松原 住吉の 弟日娘と 見れど飽かぬかも   長皇子(巻1・65)
・ 長皇子は天武天皇の第4皇子で、摂津住吉の海岸安良礼松原で読んだ歌。弟日娘は遊行女婦(一説に清江娘女)である。松原と弟日娘の両方を愛したようである。「見れど飽かぬかも」は万葉集では用例が多い常套句である。 
32) 大和には 鳴きてか来らむ 呼子鳥 象の中山 呼びぞ越ゆなる   高市黒人(巻1・70)
・ 持統天皇が吉野離宮に行幸されたとき、従った高市黒人が作った歌。呼子鳥には定説はないがほととぎすを指すようである。全体が具象的で現実的である。黒人の歌では佳作の一つであるという。  
33) み吉野の 山のあらしの 寒けくに はたや今夜も 我ひとり寝む   作者不詳(巻1・74)
・ 文武天王が吉野宮の行幸された時、従者の人が詠んだ歌。「はたや」とは「またも」という詠嘆の意味がある。従者にもこれくらいの歌は詠めるという。  
34) ますらをの 鞆の音すなり もののふの 大臣 楯立つらしも   元明天皇(巻1・76)
・ 寧楽宮遷都前の藤原宮で詠んだ歌。「もののふの 大臣」とは将軍のことで、将軍が調練する兵の弓の鞆の音が聞こえてくるという歌で、天皇はこの弓の音に怯えたのか、安心したのかは不明である。個人を超えた集団、国家の緊張した世界である。  
35) 飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば 君が辺は 見えずかもあらむ   作者不詳(巻1・78)
・ 元明天皇は、明日香藤原京から寧楽の京に遷都した時、御輿を長屋原に止め、藤原京の方を眺めた。作者不詳となっているが、天皇の傍にいる人として、天皇の姉御名部皇女の歌とみて間違いないという。歌の内容は説明不要なほど平明である。  
36) うらさぶる 情さまねし ひさかたの 天の時雨の 流らふ見れば   長田王(巻1・82)
・ 詞書には長田王が伊勢の山部の御井で詠まれたとなっているが、それらしくない。「まねし」は多い、しきりにという意味。時雨が降り続くと、うら寂しい心が絶えずおこってくる。「うらさぶる 情さまねし」が歌の中心である。    
37) 秋さらば 今も見るごと 妻ごひに 鹿鳴かむ山ぞ 高野原の上   長皇子(巻1・84)
・ 長皇子が志貴皇子と佐紀宮で宴を持たれた時の歌である。佐紀宮とは生駒郡平城村の長皇子の宮のあったところ。この歌には主観の詞はない。    

巻 2
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38) 秋の田の 穂のへに霧らふ 朝霞 いづくへの方に 我が恋やまむ   磐姫皇后(巻2・88)
・ 仁徳天皇の磐姫皇后が、天皇を慕って作った4首の歌の一つである。後后八田皇女との三角関係の最中であろうか。「霧らふ 朝霞」という詞は重厚で並ではない感情の持ち主であることが分かるという。前半は序詞で、本論は「いづくへの方に 我が恋やまむ」ということだ。他の三首もみな佳作であるという。
39) 妹が家も 継ぎて見ましを 大和なる 大島の嶺に 家もあらましを   天智天皇(巻2・91)
・ 天智天皇が鏡王女にたまわった御製歌である。鏡王女は鏡王の女で、額田王の姉である。後に藤原鎌足の正妻になる。「大島の嶺」は生駒郡平群村あたりだと言われている。歌われたのは近江宮から西南の生駒方面を見られたときの作である。「見まし」、「あらましを」で調子を取っており、古調の単純素朴があらわれ、優秀な歌になっているという。天智天皇と鏡王女との恋愛感情の有無は不明で、単なる安否を問い合わせた問答だという説もある。
40) 秋山の 樹の下がくり 逝く水の 吾こそ益さめ 御思よりは   鏡王女(巻2・92)
・ 前の天智の歌に、鏡王女が和した歌である。歌の前半は序詞で、本質は「吾こそ益さめ 御思よりは」である。形は恋愛歌である。「御思よりは」で止めたところに無限の味わいがある。

(つづく)


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