ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 杉田 敦著 「権力論」 (岩波現代文庫 2015年11月)

2017年02月24日 | 書評
ミッシェル・フーコーの政治理論と権力論の系譜  第20回

Ⅱ部  権力の系譜学
4) リベラル・デモクラシーのディレンマ  R・ダ―ルをめぐって
  (4) ダールと政治的なるもの


ダールは1980年代の議論においてリベラリズムからデモクラシーの側へ傾斜した。多元的に存在するアソシエーションに競争がある限り、それぞれのアソシエーション内部のデモクラシーが実現されることが、上位の政治的単位におけるデモクラシー実現にとって不可欠と考えた。だからと言ってダールがあらゆる局面において政治参加と自己決定を重視するラジカルなデモクラシーの転向したわけではない。最終的なデモクラティックコントロールッシュ体が連邦なのか州なのか、どの大衆によってなされるのかいわゆる「管轄争い」が起きるが、それを民主的に解決する方法は容易ではない。またダールはヨーロッパ連合のような、国民国家より大きな単位のデモクラシーの可能性についても懐疑的である。近代の政治理論の大勢は現状追認的に国民を特権的にデモスと認め、それによって国家間対立の意義を強調してきた。ダールは複数の主権国家が防衛上の見地から結合したものを連邦と呼ぶが、対外的に備えるためのものであるがため連邦内部の対立は避けなければならない。連邦内部に高度の同質性が必要とされるわけである。連邦という概念によって主権が相対化されることを恐れるシュミットは、主権国家が結合した結合体に国家以上に国家的に振る舞うことを要求する。ダールは決定権を小さな単位に委譲する連邦主義は、大きい単位のデモスの多数決を否定する「少数者の専制」につながると主張する。問題解決能力ではデモスは大きい方がいいので、両者のバランスを取り得る最適な単位こそが重要であるとする。それがコミュニタリアン(共同体論)とリベラルの論争と規を一にする。コミュニタリアンのロールズは「正義論」において、連帯を回復するのは共通の善を共有する濃密な共同体を復活するしかないという。コミュニタリアンのは、社会的財の配分基準は財の種類ごとに別々であるべきだとしたが、政治的共同体ごとの正義の基準(利益配分の基準)は同じでなければ名rないとした。ダールは正義の基準が違うことは悪しき相対しゅぎになり、政治的な対立を招くとして反対した。ウォルツァーの議論は、単位内の同質性と単位間の多元主義が相互に支え合うていう点で、リベラルデモクラシーの一つの典型かもしれない。これに対してダールは「管轄争い」を強く意識しており、コントロールの掌握を巡ってアソシエーションの間に対立が起る可能性がある。ダールの「自治企業」の概念は、産業企業の影響力がここまで強くなっている現状を見ると、政治経済体制つまり産業主義と主権国家体制との相互依存構造を変えることは容易ではないだろう。労働者=消費者と同じ論理で、労働者=投票者という考えも重要である。

(つづく)
『本』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 読書ノート 杉田 敦著 「... | トップ | 読書ノート 杉田 敦著 「... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

書評」カテゴリの最新記事