ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

文芸散歩 三浦祐之著 「風土記の世界」 (岩波新書2016年4月)

2017年07月27日 | 書評
8世紀初め編纂された地理志(奈良時代の国状調査) 第4回

1) 常陸国風土記 (その2)

 常陸国風土記は物語性が豊かに残されている。中でも行方郡の「夜刀の神」をめぐる征服と服従(中央と地方)の関係を見てゆこう。前半が石村の玉穂の宮の天皇(継体天皇 6世紀前半)の話と、後半は難波長柄の豊前の宮の天皇(孝徳天皇 7世紀中頃)の話からなる。ヲホド(継体)と呼ばれる天皇は古事記によるとホムダワケ(応神天皇)の5世の孫として越の国より突然あらわれ、河内王朝の末裔であるオケ(仁賢天皇)の皇女に婿入りし天皇の系譜に加わる奇妙な存在であり、歴史学では王朝交替説が論じられる。しかしヲホド以降の天皇の系譜は天智・天武を経て8世紀初頭の天皇へ途切れなく継がれているので、今の天皇系譜の始祖天皇である。話の後半の孝徳天皇は645年の乙巳の変(大化の改新)の直後に即位した天皇で、律令制度を基礎とした国家秩序の始まりを象徴する天皇である。「夜刀の神」伝承が150年も離れた二つの時代に渡って語られる。前半の話は麻多智が水田開発を行う前に対峙する「自然=水神」として夜刀の神(ヤマタノオロチ 蛇)として現れ、自然と人間の境界を分けて祀ることで共存共栄を図る話である。後半の話は村落的な王権を絡めとるようにして国家がかぶさってくる。朝廷から派遣された地方の権力者壬生連麿が抗う村の共同体を殺し尽す征伐の話である。後半の話に出てくる「築池」とは、中央天皇が為すべき仕事にインフラの整備(すなわち農耕社会では道路、灌漑池、堤防)は「文化」を象徴する事業であった。こうした治水事業は、神の側に委ねていた水が、国家の管理へと移り行く過程を象徴している。常陸国はヤマトの領域の東の果てにある外界で、古代国家にとって境界領域として位置づけられる。常陸国の東端に武神タケミカズチを祀る鹿島神社が鎮座する。おなじく国譲り神話で功績のあったフツヌシを祀る下総国の香取神社が鹿島神社と対をなして存在する。その境界は律令国家が東北へ伸びてゆくにつれて坂上田村麻呂の平安時代初期まで移動し続けるのである。
常陸風土記には若い男女の出会う恋の場として「歌垣」が登場する。筑波山を舞台とした伝承が有名である。鹿島の海岸での歌垣「童子女(うない)の松原」を紹介する。那賀の寒田の郎子と海上の安是の嬢子の恋物語ー松に変身する譚である。この文章が漢文として秀麗で、四六駢儷体形式で叙述されている。急に江戸趣味の美文調となっていることに驚かれるでしょう。694年那賀郡の五里と下総国の海上郡の一里を分割して新たに鹿島郡が建てられた。行政の変更として来歴と常陸国と下総国を越える恋物語として語られた。通婚圏を越える別の世界に住む男女の恋は古代の婚姻形式からするとタブーである。婚姻は財産や土地の移動を伴うからである。村落共同体の同意がないとできない相談だったのである。文学的には夜明けに松に変身したことは、メタモルフォーゼ(変身)という物語のパターンである。あるいは人間に変身した松の木の精の恋物語かもしれない。この伝承は聴く人の想像力を刺激する魅力的な話となった。常陸国風土記には口頭で伝えられた民間伝承の話が多く遺っている。筑波山の神の祝福(外者歓待譚)、鹿島郡に残る完成しない石垣を作る白鳥の話、角のある蛇が穴を掘って角が折れる話、那賀郡の巨大な男の貝塚に話(大櫛の岡)、那賀郡茨城里の神婚神話と蛇の子の話、久慈郡の祟りを為す神を山に移す話(賀比礼の峯)など常陸国風土記はさまざまな伝承を満載している。

(つづく)
『本』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 文芸散歩 三浦祐之著 「風... | トップ | 文芸散歩 三浦祐之著 「風... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

書評」カテゴリの最新記事