ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 加藤典洋著 「戦後入門」 (ちくま新書2015年10月)

2017年06月20日 | 書評
安倍首相の復古的国家主義の矛盾を批判し、対米従属と憲法9条の板挟みであえぐ日本の戦後を終わらせる試論  第10回

第4部 戦後日本の構造 (その2)

 日本の戦後社会を規定したものは、親米・軽武装・経済中心主義の吉田ドクトリン(55体制)でした。GHQの憲法草案をもとに憲法を制定しなければならなかった幣原喜重郎及び吉田茂内閣は、非武装平和主義を掲げざるを得ませんでした。ある意味では面従腹背路線でしたが、憲法9条が国民の支持を得るようなることを見た吉田首相は、これを自分の政策に取り込み経済優先・軽武装の路線を重視し、東西冷戦下米国の再軍備要請に答えられない口実に使いました。ダレスが日本再軍備と軍事費の分担を要請すると、吉田は憲法9条を盾にこれを拒みました。吉田は護憲勢力としての社会党と組んで、憲法9条が対米抑止力として機能したのです。講和条約終結後吉田内閣は退陣しますが、後を継いだ自民党保守派の政策が、自主憲法制定・対米自立・どこか古い日本の再建を目指しますが、戦後のねじれの自覚に乏しく効を奏しません。平和憲法を利用して経済優先・軽武装の路線の経済ナショナリズムが吉田ドクトリンの後継者に受け継がれ、日本を高度経済成長に乗せました。こうして日本は建前と実質という2枚舌路線(ねじれ)を国是としました。これを55体制といいます。これに野党(特に社会党)が呼応したことは明白です。このことは伊藤博文が確立した明治時代の建前である絶対天皇制(顕教)、実質権力の立憲君主制(密教)という2枚舌路線と同じ構造です。昭和に入って軍部が明治国家システムを破壊してしまうのです。吉田が作り、池田、佐藤の政権担当者を通じてできた政治システムは明治時代の顕教・密教システムに酷似しています。吉田はちょっとまやかしであることは分っていたのですが、戦後の急激な変化に国民がついてゆけないことを見越して緩衝材として発明した政治システムです。建前(顕教)とは、日本と米国はよきパートナーで、日本は三条件降伏によって戦前とは違う価値体系の上に立ち、憲法9条の平和主義を信奉しているという政治システム、本音(密教)とは、日本は米国の従属下にあり。戦前と戦後の支配者は継続しており、しかも憲法9条の下で自衛隊と米軍基地(米軍基地は沖縄に集中させ、本土国民には見えにくくさせている)をおく政治システムを意味している。こうして軍事的負担を最小限にして、もっぱら経済大国化をめざすのです。対米従属からくる政治的ストレスを経済大国化による自尊心の醸成によって緩和するという狙いでした。1960-1972年の高度経済成長を可能にした最大の要件が、憲法9条でした。すぐ折れやすいタカ派的ナショナリズムに比べて、吉田ドクトリンはなんという粘り腰、したたかな戦略だったことだろうか。しかし吉田路線・保守本流は自民党綱領(対米独立・憲法改正)に反しています。江藤淳が指摘したように「ナショナリズムを実現するには米国の撤退を求めなければならず、安全保障のためには米国の核の傘の下に居なければならない」という二律背反があります。アメリカを怒らさせないで退場を願うのはかなりの高等戦術が必要です。怒らせてしまうとたとえ独立できても米国との友好関係はなくなり、安全保障は期待できません。現在日本が対米従属の下にあり、政治的自由を持っていないことは明白です。吉田ドクトリンが有効なのは、経済成長が順調であり、そして平和主義が社会を安定させていることが必要です。この経済優先システムの魔法が解ければ、すぐにでも対米従属という現実が露出してきます。このことを最初に明らかにしたのは、政治学者高坂正尭でした。日本の経済成長が日米間の経済摩擦を引き起こし、1970年代以降日本経済が米国を脅かし始めると、「対米従属」という対立点が顕在化しました。江藤淳が1978年に「日本は無条件降伏などしていない」と主張するのはこの時期です。1982年中曽根康弘が総理になり「戦後政治の総決算」をさけび、2000年小泉首相が「自民党をぶっ潰す」と吼え、2006年安倍第1次内閣、2012年第2次安倍内閣が「アンシャンレジームから日本を取り戻す」を政治スローガンとするのは、新自由主義の主張というよりこの「ねじれ」に自民党タカ派による解決策を求める主張にっほかありません。吉田ドクトリンは政治の相対における「政経分離」にあります。主権回復という政治課題を封印し先送りすることで、高度経済成長を優先し社会の安定と繁栄を実現しました。政治システムのねじれの起源は、実は自民党の保守合同劇の中に内蔵されていました。自民党タカ派(岸、安倍、中曽根ら)は、政治主体が戦前と戦後のつながりの上に「安保条約」があることに我慢がならないのです。戦前の誤りを認めることに後ろ向きで、いまだに敗北に向き合わないのです。そういう意味では自民党ハト派(保守本流 2000年以降は影もなくなりましたが)はタカ派と袂を分かち、分党し、しっかり戦前の価値の否定と戦後の平和・民主原則の価値の提言に踏みこむべきでした。野党(社会党)の急速な退潮は国民意識の変化とも密接に関係していました。それは1990年代以降のバブル崩壊からデフレという「失われた20年」の進行の下、経済成長が止まり追い風が無くなって失速した社会の構造改革(改革はいつもいいとは限らない)によって、格差の助長、社会保障や社会システムの後退、グローバル企業の海外移転にょる労働環境の悪化という激烈な変化によって国民の意識が閉塞感を強くしたためです。自民党内の穏健親米派、良識派、ハト派の解体が始まり、「加藤の乱」の挫折が決定的に自民党タカ派(小泉・安倍・福田・麻生)の時代到来となりました。高度経済成長を背景とした吉田ドクトリン(日米安保、経済大国、平和主義)はすっかり消えてしまいました。1960年以来の対米従属の姿が露見することになったのです。

(つづく)
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