ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 柄谷行人著 「憲法の無意識」 (岩波新書 2016年4月)

2017年07月01日 | 書評
悲惨な戦争体験によって日本人は内発的に普遍的価値である憲法9条を選んだ。これは誰にも変えられない日本人の無意識となった。 第7回

2) カントの平和論―哲学的平和論 (その4)

カントが1795年に書いた「永遠平和のために」は19世紀末に見なおされましたが、それは平和論に限定されました。カントが「普遍史」で指摘したのは、平和論でなく市民革命論でした。諸国家の連邦は、諸国家で市民革命がなされないと国民市民の意志を代表した論にはなりません。この革命と平和は本来切り離せない前提です。カントが問題としたのは一国市民革命だけでは不可能で、諸国家で革命が遂行された状態が先になければ世界連邦は成立しないという二律背反アンチノミーです。同じような問題に遭遇したのがマルクスです。彼の理想である完全な市民体制は、人間の不平等を廃棄する社会主義であり、それは国家を廃棄するものでなければならないという点です。社会的国家は残るが、政治的国家が消滅する。カントがいう「世界共和国」とはそのような状態です。マルクスの社会経済的な主張は柄谷行人著「トランスクリティーク カントとマルクス」に詳しく書かれているので、ここでは省略します。また新カント主義の反知性主義「生の哲学」と後期フロイトの「無意識」についても省略します。私はまだフロイトを読んでいないからです。ヘーゲルが「法の哲学」でカントの国家連合を批判しました。国際法が機能するためには規約に違反した国を処罰する実力を持った国家がなければならないというリアリズムです。実力というと暴力・武力を意味しますが、権威という力もありますと柄谷氏は言います。これを交換様式という経済手段から説明します。①贈与-お返し(呪力・互酬の共同体の権威 ネーション)、②支配と服従(収奪と再分配 国家権力)、③貨幣と商品(商品交換の自由市場 近代資本主義世界) つまり力には交換という経済の発展段階に応じて権威ー権力ー階級支配が生まれるのです。労働者と資本の関係は相互に自由意思に基づくと言ってもやはり階級支配です。それは貨幣と商品の非対称性から生じるものです。貨幣は何でも買える権利があるが、商品(労働も含む)は売ることでのみ貨幣になります。そこで資本が生まれたのです。貨幣と商品市場はそれ単独で成り立つものではなく、交換苧契約が履行されることを保障する国家・法を必要とします。従って近代国家は資本=ネーション=国家という形をとります。最後に現れる交換様式は交換様式を超えた普遍宗教として現れる。つまり贈与の原理の回復です。バビロニアの「ハムラビ法典」は「目には目を」が「倍返し」にならないように法による裁きに従うように教えました。「罪刑法定主義」です。イエスは「目には目を」を否定し、「右の頬を打たれたら、左の頬をだせ」というのは、①②③の交換様式の否定です。イエスが示したのは「純粋贈与」(愛の力」なのです。権威ー権力ー階級支配ー愛の力です。戦後憲法における戦争放棄は、敗戦国が強制的に武装解除されることとは違います。それは贈与の精神と呼ぶべきです。9条における戦争放棄は、国際社会に向けられた贈与なのでした。日本の憲法9条にはカント的理念があるようですが、カントは実は道徳性の動機はあまり信じられなかったようで、商業的精神〈金の力)が世界を支配することに期待をしていたようです。今日の自由市場の資本主義の時代に期待していたというべきです。しかし資本は戦争とは無縁であるということは封建時代のことであって、近代の戦争は金の力なしには考えられません。カントの限界はそこまでであって、それ以上の展望は示しませんでした。だからリアリストに「理想主義」と軽侮の的になったのです。このあたりから柄谷氏の主張は理論というより信念の領域になりますが、「国連の根本的改革は、一国の革命から開始できる。例えば日本が憲法9条を実行することを国連で宣言するだけで、状況は決定的に変わります」という。つまり「世界共和国」は純粋贈与の力によって形成されるという信念に代わりました。

(つづく)
『本』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 読書ノート 柄谷行人著 「... | トップ | 読書ノート 柄谷行人著 「... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

書評」カテゴリの最新記事