ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 杉田 敦著 「権力論」 (岩波現代文庫 2015年11月)

2017年02月22日 | 書評
ミッシェル・フーコーの政治理論と権力論の系譜 第18回

Ⅱ部  権力の系譜学
4) リベラル・デモクラシーのディレンマー R・ダ―ルをめぐって
  (1) デモクラシーとリベラリズム (その2)


民主主義は平等を徹底させて、矮小化した民衆を画一的な個人主義に埋没させ、その管理しやすい民衆を支配する政府という中央集権制官僚主義の専制を招くというもので、実に憂鬱な厄介な見方を19世紀前半に予見した。」ということである。デモクラシーの諸制度は平等の情念を抱かせるが、これを完全には満足させることは出来ない。パスカルがいう「永遠の遁走」を繰り返す。想像上の平等は不満の増殖を繰り返す。「すべてが平準化するとき、最少の差異の不平等に人は傷つく」のである。これを「相対的不満」という。この状態で個人は常に他者と自分を比較している。「特権に対する憎悪感情」は特権が小さくなればなるほど先鋭化するという。トクヴィルの終生の主題とは「民主的な専制」である。「この人々の上には後見的権力が聳え立ち、生活の面倒をみる任にあたり、その権力は絶対で事細かく、几帳面で用意周到そして控えめである。それは父権に似ている。権力は市民のためによく働くが、単独の裁定者たらんとする」という。まるで今の日本の官僚の事を書いているようである。18世紀のフランス社会では平等の拡大にともない行政における中央集権化が進行し全能の国家が成長した。人間の他者からの孤立にほかならない個人主義は、社会に対して無関心に止まるため専制に都合よい条件を準備した。トクヴィルは「アメリカのデモクラシー」で「多数の圧制」と「民主的な専制」を主な議題とする。平等についてのトクヴィルの理解はひとひねりしている。つまり諸条件の平等から生まれる情念のなかで最大のものは、この平等へむけられる愛着であるという。一般的な平等が実現するや否や、人々は些細な差異に注目してこれにこだわる、平等という概念の虜になるという。平等のヒステリー現象なのだろうか。そしてしだいに個人は画一化されてゆく。皆がステレオタイプに成るまで平等への欲求は止まない。貴族制から民主制への普遍的な移行は何らかの運動と加速度を伴う。それでも平等への愛着は、各人の自由を損ないかねない可能性もあるとトクヴィルは指摘する。不自由は我慢できるが不平等は我慢できないという言葉はそれを現している。19世紀半ばから20世紀前半にかけてのリベラルデモクラシー批判には、大衆の政治能力への懸念であり、もう一つはリベラリズム批判である。パレートやモスカらのデモクラシー批判はエリート論に基づいており、知的・政治的能力は不平等であり統治の任に適した人は少ないという。革命とはある少数者支配から別の少数者支配に交代するだけのことであるという。マルクス主義の命題と違って常に少数者支配の展開となる。カールシュミットはリベラリズムについて、本来デモクラシーとは違うものであるという。道徳が善悪、美学が美醜に関わるものとすれば、政治派は敵味方の区別に関わるという。同一性の認識と排除の動機しかないという。自由主義が議会制度と権力の分立を推進するなら、それはお門違いだという。いずれもシニカルな見方である。

(つづく)
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