ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 三浦祐之著 「風土記の世界」 (岩波新書2016年4月)

2017年07月29日 | 書評
8世紀初め編纂された地理志(奈良時代の国状調査) 第6回

2) 出雲国風土記 (その2)

 出雲国だけは律令制下において、土着豪族による国造制度が遺り続け、中央から派遣された国司との二重統治性が敷かれるという、極めて特異な国であった。(中世における荘園制度と同じで、国司と地頭の関係である) なぜ出雲国造だけが存在したのかというと、やはり国譲り神話に語られるネジレタ出雲の服従が基調にあるからだ。(約1500年後の米軍直接支配と日本政府間接支配という日本の戦後体制にもそのネジレタ構造が見られる) 古事記と日本書紀に語られる出雲国と大和政権との神話的な関係は大きく違っているが、出雲の大神オオムナジ(オオクニヌシ)はヤマトにとって律令制下において無視できない存在であった。出雲臣の祖神はアメノホヒとその子のタケヒナトリと言われる。古事記にはアメノホヒ子のタケヒラトリは5人の子を産み、出雲・ムザシ・上兎上・下兎上・イジム・遠江の国造と津島県直の祖となったと書かれている。出雲臣は出雲出身の豪族であるが、国つ神を祖とするのではなく天つ神の子孫であるという。アメノホヒはスサノヲとアマテラスの子の一人であったとされる。日本書紀も古事記も、出雲を支配したアメノホヒがオオクニヌシ(オオナムジ)に媚びて3年間天つ国に報告しなかった、つまり土着化してしまったとしている。アメノホヒがなぜ出雲臣の始祖になったのか。天つ国(ヤマト政権)から派遣された支配者を出雲臣が始祖とするのか。彼らはヤマトに服従した一族であるからだ。いやむしろヤマト政権をバックにして出雲国を統一したというべきかもしれない。そういう意味で出雲臣は最後まで天皇ヤマト政権に抗い続けた誇り高い一族だったのかもしれない。するとアメノホヒは最初から出雲臣の始祖ではなく、オオムナジ、ヤツカミズオミツノを始祖としたかもしれない。そこで日本書紀や古事記の国譲り神話と延喜式にある「出雲国造神賀詞」の服従誓詞を比較して検証しよう。「出雲国造神賀詞」の最大の狙いは、大国主神の口を通じて語られる4つの守り神(大神、葛城高鴨の神、伽夜流神、宇奈堤の神)を「皇孫の命の近き守神」としておいたことである。高天原のタカミムスビノミコトから命を受けて服従しない出雲の地に派遣された将軍アメノホヒとその子のタケヒナトリは大国主命を平定した。屈辱的な日本書紀の平定神話を経由せず、出雲国はヤマト政権のアメノホヒが作った国であるとした点がみそである。ヤマト政権が大国主の出雲を征服する構図が、意宇の出雲臣であるアメノホヒが出雲の国造りをする構図にすり替えられたのである。そこから出雲国の統一と国作りが始まるのである。国造の拠点は意宇郡にあった。つまり出雲の東端から西の豪族を併合していったというストーリーである。西部の豪族の拠点は、出雲大社が鎮座する出雲郡と神門郡がその中心であった。日本書紀につたられるミマキイリヒコ(崇仁天皇)60年の記事が出雲国の神宝をめぐる出雲豪族の内紛を伝えている。出雲の地には東の意宇を中心にした勢力と西の神門を中心にした勢力があり、意宇豪族はヤマト政権に取り入り、神門豪族は九州の筑紫と通じていたとされる。神門郡には巨大な四隅突出型墳丘墓に見られる豪族の勢力があったという考古学上の裏付けもある。その中心の杵築大社にはオオムナジが祀られている。東の意宇臣はヤマトの軍勢の力を借りて西の神門臣を滅ぼし、ヤマトの庇護を得て出雲を統一する。そしてヤマト政権から与えられたのは、「出雲臣」という氏姓と「国造」という統治権であった。律令制の整備によってここはヤマトの支配する国、出雲国となった。出雲国風土記が出雲臣の広嶋を責任者として編まれたことを考えると、出雲臣の本拠地である意宇群の伝承が大きく取り扱われるのは当然のなりゆきである。それを象徴するのが「国引き詞章」である。この詞章は漢文ではなく、音仮名(万葉かな)を多用し、語りとしての性格が濃厚である。国引き譚の初めと終わりは意宇という地名の由来を語る地名起源譚になっている。ヤツカミズオミゾノという巨神が4回の国引きによって島根半島全域を意宇の社に西から東へ移動させたという話である。意宇(淤宇)の地を支配する意宇一族の支配の根拠を語る神話である。神話の物語は単純な話であるが、この詞章の特異性は、叙事詩とも呼べる韻律性をもって構成されていることであろう。長歌、歌謡曲のように同じ構造の繰り返しでリズムを作り盛り上げてゆく手法である。新羅(朝鮮半島)、北門(隠岐の島)、越(北陸)を引き寄せる行為は事実かどうかは分らないが、パノラマ的にイメージさせられ、音楽性豊かに語られたのである。意宇郡に住む語臣猪麻呂が神に祈願して娘を食い殺したワニに復讐する伝承が出雲国風土記にある。おそらく語臣一族は海の神を祀りワニを始祖神として信仰する一族であった。巫者的な祈祷文があり「海若わたつみ」信仰があった。ワニに食われた娘とは巫女であり神と交わる神婚型始祖神話はシャーマンの霊性に変貌しやすい。だから語臣は海神祭祀を持つ漁労民であったことは間違いないのであるが、同時に王の前で「国引き詞章」を語り継ぐ語り部であったと思われる。

(つづく)
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