ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート R・P・ファインマン著 大貫昌子訳 「ご冗談でしょう、ファインマンさん」 (岩波現代文庫上・下 2000年1月)

2017年05月23日 | 書評
量子電磁力学のノーベル賞物理学者の奇想天外なお話、 科学への真摯な情熱 第1回

序(その1)

 この本は、自伝とするほど時系列に並べてはいないし、彼の生涯を語ってはいない。彼の興味の赴くままに並べた回想録または逸話集と理解しておこう。この本はファインマン氏( 1918年5月11日 - 1988年2月15日)の、謎と言われれば首を突っ込まざるを得ない好奇心の塊、恐ろしいくらいの執着力(集中力)、人々をあっと言わせ、先を走る茶目っ気、見せかけの偽善に対する憤慨などに満ちている。そしてこの本からファインマン物理学の解説を期待しても無駄である。物理学についてはチラッとのぞき見すえる程度にしか言及されていない。私が読んだファインマン氏の著書では、ファインマン著 釜江常好訳 「光と物質の不思議な理論ー私の量子電磁力学」 (岩波現代文庫 2007年)、ファインマン著 江沢洋訳 「物理法則はいかに発見されたか」 (岩波現代文庫 2001年)がある。

「光と物質の不思議な理論ー私の量子電磁力学」 (岩波現代文庫 2007年)という本は、1983年5月カルフォニア大学UCLAにおける「アリックス・モートナー記念講演」をもとにしている。ずぶの素人向けの「量子電磁力学」QEDの講演である。本としては1985年に刊行され、専門外の翻訳者大貫昌子さんにスタンフォード大学教授(線形加速器センター)釜江常好氏が相談に乗って日本語に翻訳され、1987年に岩波書店から刊行された。2007年6月岩波現代文庫に組み入れられた。「アリックス・モートナー記念講演」は4回に分けて講演会が持たれ、章立ては1)初めに(光子の確率論序論) 2)光の粒子の性質 3)電子との相互作用 4)未解決の部分(原子核物理 素粒子論)となっている。数式は一切用いない物理モデルでの解説なので、分かったような気にさせるが、どこまでがたとえ話でどこまでが実体的な物理学なのか、理解の程ははなはだ怪しい。しかしここに述べられている物理現象は光子の性質だけなので、非常にすっきりした理解が得られる。用いる手法は確率論の常套手段である、①一つの事象の興る確率は最終矢印の長さの自乗に等しいということ。 ②矢印の向き(角度)は光の移動距離(時間)に比例し、反射と透過という反対事象の向きは180度変える。この二つだけというアプリオリに与えられた手法で魔法のように光の反射、屈折、干渉、回折、レンズ、分光、などを確率の数学だけで解き明かすのである。この手法は昔私が大学2年で学んだ「確率統計学」の酔歩問題に似ている。碁盤の目の街で前後不覚の酔っ払いは果たして家に帰れるだろうかという問題である。答えはでたらめに歩けばゼロに戻るのである。量子力学は本質的に確率論や不確定性原理に基礎を置いている。光は光学(レンズ)の世界では光線というように粒子の動きのように理解されていた。しかし光は電磁波であり波の性格を持っている。回折や回り込みもするのであるが、光電効果に見るようにその粒子数(塊)としてカウントすることも出来る。電子も最初粒子の運動と理解された。電子線回折現象を起こすことから波の性質も現れた。いったい電子は波なのか粒子なのかに決着をつけるべく、1925年ハイゼンベルグが行列力学を、1926年にシュレージンガーが波動方程式を提出したことで量子力学が誕生した。ここで目を通じて見て来た世界が全く通用しない事を思い知らされたのである。これを理解するには想像力が必要だ。相対性理論を理解した人は1ダースはいたが、量子力学を本当に理解できた人はいなかった。アインシュタインも生涯理解できなかったらしい。喩話として有名な「2つ孔の実験」がある。私は若い頃朝永振一郎の本で読んだ。同じ話をファイマン教授がしているところを見ると、1960年代の量子力学の理解が推し量られて面白い。ここでは繰り返さないが2つの孔を潜り抜けた、粒子、波、電子の様子を示したものである。粒子では確率分布の和として、波では干渉縞として、電子ではひとつの孔では確率分布として、2つの孔では干渉縞が現れるという話である。電子は粒子の様でもあり、波の様でもあり同時に二つの顔を持つことを「ハイゼンブルグの不確定性原理」という。要は決められないということだ。科学を発展させようとすると、実験をするには能力が、結果を報告するには正確さが要求され、結果を解釈するには知力が必要なわけである。

(つづく)


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