ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 天野郁夫著 「大学の誕生」 中公新書

2011年06月30日 | 書評
帝国時代の高等教育システムの歴史 第36回 最終回

10)大学令の成立 (3)

 大正7年12月大学それぞれの個性や特性を超えて、共通の困難に満ちた誕生の時期を迎えた。大学令の公布より昭和20年までにいくつの大学が誕生したのだろうか。帝国大学は既存の4帝国大学にくわえて、大正7年に北海道帝国大学、昭和6年に大阪大学、昭和14年名古屋帝国大学ができ7帝国大学がそろった。官立単科大学は11校(医5校、商2校、公2校、文理2校)増え、公立大学は5校(医4校、商1校)増え、私立は26校増え、合計45校の大学が誕生した。併合などで消滅した大学もあるので、結局戦前には帝国大学7校、官立大学11校、公立大学2校、私立大学26校の合計46校であった。昭和16年での大学卒業生が15000人で、専門学校卒業生は38000人である事を見ると、我が国の高等教育システムはまだ専門学校に頼っていたのである。明治20年ごろから大正7年の大学令までの30年余の学制改革論議は現実重視の現状追認的な解決を目指していた。なかでも大学は全て国家に奉仕することを第一義とし国家の厳しい監督下におかれた。帝国大学をモデルとすることがすべての大学に求められた。帝国大学の予科に対応して、公立私立にも予科がおかれ、高等学校の問題がすべての大学で再生産された。そして予科は各学校で囲い込まれていた。専門学校令による「私立大学」にとって「大学令」はたしかにたいへんな改革であったが、依然として経営基盤である専門部は存続した。私立にとって予備校まがいの予科、夜間授業のある専門部、入学資格を問わない別科等から上がる授業料なしには経営が成り立たなかったので、現状追認はぜひとも必要であった。
(完)


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