ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 中村啓信監修・訳注 「風土記」 上・下 (角川ソフィア文庫 2015年6月)

2017年08月13日 | 書評
常陸国・出雲国・播磨国・豊後国・肥前国風土記と逸文 第5回

1) 常陸国風土記 (その2)

■ 総記: 「常陸国司解す。古老の相伝ふる旧聞を申す事。」という定型文句で始まる。昔足柄の山より東を「吾姫あずま」といった。この時には常陸の国はなく、本書の郡である新治、筑波・・・を新治国・・・といった。造・別を中央から派遣して治めたという。難波長柄豊前宮の孝徳天皇の時代に、足柄山より東を8つの国に分けた。常陸国はそのうちの一つとなった。倭武天皇は常陸国新治の県を巡行して、国造をつかわし井戸を掘らせたところ、清水が湧き出た。この清水で遊んだ天皇の袖が水に漬かったので、風俗に言う「衣袖漬(ひたち)の国」と呼んだ。常陸国は広く、野は豊かな物産に恵まれ農耕・養蚕で生きて行けるところであった。古の人はこの地を「常世国」といった。水田は国の北は少なく、国の中には多かった。

■ 新治郡: (今の桜川市と筑西市東の一部をさす)東は山(筑波山)に隔てられて那賀国へ、南は白壁(真壁)、西は毛野川(鬼怒川)、北は下野国・常陸国の境である波太の岡である。第10代祟仁天皇の時代、新治の国造の祖である比奈良珠命に命じて東夷を征服させた。井戸を新しく掘ったところ清水が湧いて出たので新治(新しく井を治る)という。
        ● 馬家: 大神(蛇をまつる桜川市平沢大神宮)にある。

■ (白壁郡): (今の桜川市真壁をさす)東50里に笠間村があり、葦穂山を越える通い道がある。古老曰、昔、油置売命という山賊がいた。今も森の中にその岩屋がある。俗歌を載せる。(現存風土記には白壁郡の記事はない。再建したものを掲載したのでカッコつきとなった)

■ 筑波郡: (今のつくば市をさす)東は茨城郡、南は河内郡、西は毛野川(鬼怒川)、北は筑波山に位置する。筑波県は昔、紀国と言い、大友氏の一族筑豊命を紀国の国造として派遣した。筑豊命は自分の名をつけて筑波という。風俗の説に「握飯筑波の国」という。筑波山神話に、諸神が富士岳に集まり宿を乞うたところ、富士岳は新粟嘗で忙しいのでこれを断わられたので諸神は富士山を呪った。次に諸神は筑波山に雪宿を乞うたところ、食を出して受けたので諸神は筑波山をほめたたえる歌を歌って、人々が喜び集まるところとなったという。筑波山の西の峯は男体山といって険しいので登る人はいないが、東の峯は岩だらけで段差もきついが、春の花咲くころと紅葉のころ諸国の男女が大勢連れだって登り来て遊び楽しむところである。この歌垣は男と女の出会いの場所である。ザレ歌2首が載せてある。
        ● 騰波江: この郡の西に騰波江という小貝川沿いの沼澤地がある。東は筑波郡、南は毛野川、西と北は新治郡、艮(東北)は白壁郡である。

■ 信太郡: (今の稲敷市霞ヶ浦水域をさす)古老曰、孝徳天皇の時代653年に筑波郡と茨城郡の700戸を割いて信太郡を置いた。物部会津、物部河内が国造となった。もとは日高見国であった。神武天皇の末である多氏の黒坂命が陸奥の蝦夷平定を終えて帰りに多歌郡の山で身罷った。その棺車が日高見国に差しかかったとき、旗が舞い上り道を照らした故事から「赤旗垂る国」と呼び、後の世の言葉に信太国という。
    □ 碓井: 郡の北10里に碓井がある。大足日子天皇が浮島の行宮におられた時井戸を掘らせたのでその名ができた。
    □ 高来里: ここから西に高来里がある。古老が言うには天から下った普都大神が荒ぶる神を治らげて天に還る時身につけていた武具を埋めたという。
    □ 飯名社: この里の西に筑波山の神飯名神の一族が住むところ飯名社がある。そこに馬屋を置く。常陸路の始めとなる場所で、伝馬使い等はここで東に向かって香島の大神を拝する。
        ● 乗浜村: 倭武天皇が海岸を巡行された場所が乗浜村である。
        ● 浮島村: 乗浜村の東に浮島村があり百姓は塩を焼いて業としている。(省略が多く 断片的な記述である)

■ 茨城郡: (今の土浦市、かすみがうら市、石岡市、小美玉市、東茨城郡茨城町を指す) 古老曰、昔国巣(土蜘蛛、先住民)が山野の洞窟(横穴式住居)に住んでいたという。多氏の黒坂命がその洞窟に茨を敷いて、馬で土蜘蛛を追い込むと自分の洞窟に逃げ込んだが、茨に刺されて多くが傷を負い死んだ。国の名前に茨をつけたのはそれにちなむ。土蜘蛛を征伐する多氏の黒坂命が茨でもって砦を築いたので、茨城という。茨城の国造である多祁許呂命には8人の子があった。この地は良いところで、春から秋には野で遊ぶ人が多く、夏は涼しかった。
        ● 田余(小美玉): 郡の東に桑原岳があり、倭武天皇が山の上で井戸を掘らしたところ、清井が湧き出た。それで「田余」(小美玉)という。

(つづく)
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