千田孝之のブログ「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 柄谷行人著 「世界共和国へ」 岩波新書

2012年02月15日 | 書評
資本・国民・国家を超えて、カントの永遠平和の実現は可能か 第7回

序(7)

 1871年のパリコンミューンの時マルクスはどこにいたかというと、マルクスはプルードンの理念の近くにいたのだ。決して国家社会主義の立場ではなかった。マルクスはプルードンとともに、共産主義を「自由なアソシエーション」と呼び、パリコンミューンを支持した。国家社会主義者ラッサールの「ゴータ綱領」を批判した。プルードンは経済的な階級対立を実現すれば国家は消滅すると考えた。それに対してブランキの戦略は「一時的に国家権力を握りプロレタリア独裁によって資本経済と階級社会を揚棄する」ということであった。社会運動の主流でなかったマルクスの非現実性は、国家の自立的存在ををみないアナキズムにあった。1870年までのプロレタリアとは職人的自由労働者であり、重工業の進展による大規模産業労働者は未だ成立していなかったからである。職人の気質は自由でアナキズム・反抗者である。19世紀末の大規模産業労働者の時代から社会主義運動は社会民主主義(福祉国家主義)かロシアのマルクス主義(ボルシェヴィズム)に分かれた。レーニンはこの上なく官僚主義的国家社会主義を創設し、スターリンに受け継がれた。アソシエーショニズムは資本・国民・国家を否定するが、それが強固に存在する事を理解していない。従って本書は、新自由主義独りがちによって経済格差が進み社会福祉が放棄される中で、新自由主義を超える社会を作る事を目的とする。しかしその前に資本・国民・国家が出来た道筋を明らかにし、「世界共和国へ」の道筋を考えることにある。
(つづく)
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プルードン アナキズム 世界共和国へ 国家社会主義 新自由主義 社会民主主義 自由労働者 スターリン プロレタリア独裁 1871年
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