ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 金子勝・児玉龍彦著 「日本病ー長期衰退のダイナミクス」 (岩波新書2016年1月)

2017年04月21日 | 書評
失われた20年のデフレ対処法の失敗は、アベノミクスのブラセボ経済策によって「長期衰退期」を迎えた 第11回

5) 21世紀日本経済の長期衰退傾向 (その2)

 長期衰退はなぜ生じたかというと、バブル崩壊と不良債権処理に失敗による信用収縮(クレジット・クランチ)が直接の原因である。その後の構造改革路線によって雇用の流動化(非正規雇用の増大)と賃金抑制が恒常化したことでデフレが定着した。新しい産業を創出するどころか、日本製品の国際競争力を失い(スペック上のガラパゴス的進化はあったが)、結局財政赤字で幻の需要を作っていたため、ひたすら金融緩和政策をエスカレートさせてゆくしか方策はなかったようだ。不良債権処理における銀行及び企業経営者による粉飾決算の責任を問わなかったという「モラルの崩壊」に最大の原因があった。企業の失敗(民間債務)は国民の税金(公的債務)に付け替え、さらに銀行は合併を繰り返して「大きくて潰せない」規模に肥満させた。こうして「日本病」は、バブル崩壊後の不良債権処理から福島第1原発事故まで、経営者も監督官僚も責任を取らないという、日本の国体の根幹にある権力者集団の「無責任体制」が為せることであった。グローバルレベルにおける国際通貨制度の変動相場制への移行と金融自由化は、財政政策(財政規律)よりも金融政策(キャシュフロー)を景気対策の基本とさせた。そして米日欧の中央銀行は政策金利をゼロとし、異常な金融緩和策を取るようになった。ドルと金とのリンクが無くなって以来、実体経済共結びつきを失い、通貨制度は「紙本位制」となった。論理的には貨幣は信用が失われない限り、中央銀行はいくらでも紙幣を印刷してもいいことになった。変動相場制と為替交換によって、相対的に自国の通貨価値が決まるという究極の全地球的資本主義となった。市場には中央銀行が印刷する。投機マネーが溢れ、金融資本主義はさまざまな金融デリバティブ商品を提供した末に2008年リーマンショックに行き着いた。企業そのものが売買の対象になるような金融資本主義の下で、量的金融緩和が繰り返されると、実は貨幣が国家の信用に支えられているというパラドックスが表面化した。金を銀行に預けると利子が生じ、銀行は預金を運用して、預金者と借入者の間を仲介するという通常の経済学から離れて、政策金利がゼロとなり、マネーがあふれだすと、金利というフィードバック機能もなくなって当然未来の先取りという虚のバブルが発生する。貨幣の信用の背後にある国家の信用を前提に、いけるところまで行くという政策は、資本による国家の独り占めという、妙なナショナリズムと結合する。それが新自由主義経済では自由市場と強い国家の結合となる。「市場に任せる」という新自由主義イデオロギーは、国家が人々の期待や意識をコントロールできるというパラドックスの上に立っている。日本経済が再生するためには、米国における情報通信産業などの先端産業からの遅れ、他方で従来型産業における中国・韓国など新興国の追い上げという挟みうちにあっている状況を客観的に把握しておかなければならない。日本では「信用」を先に拡大し、実体経済をけん引させて経済成長を図ろうとしたインフレターゲット論は完全な失敗に終わった。

(つづく)
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