ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 山岡耕春著 「南海トラフ地震」 (岩波新書2016年1月)

2017年03月16日 | 書評
M8-9規模の南海トラフを震源域とする巨大地震をどう予測し、何が起きるか、どう備えるかを考える  第2回

序(その2)

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(著者はそう呼ぶ)によってずれ動いた断層の大きさは東西200Km、南北500Kmという岩手から茨城県にまたがる巨大なものであった。ずれの大きさは解析によって若干異なるそうだが、最大50mを超えた可能性が高い。体験したマグニチュード9の地震とは、このような巨大な震源の規模を示す地震であった。東北地方太平洋沖地震の震源域では、太平洋プレートが日本列島の下に西向きに沈み込んでいる。プレートは沈み込みによって日本列島の地殻を引きずり込む。それによってプレートと地殻の境界面(断層面)に沿って、引きずり込みをもとに戻そうとする応力が発生し、やがて応力が境界面の摩擦力を越えて大きくなると、境界面は一気にずれ動き最初の地震が起きる。境界面がずれると応力は低下し、その部分の歪は解放されるが、周辺の境界面では応力が発生し同じ原理で次々とずれが発生し、地震の震源の規模はドミノ式に拡大する。東北地方の太平洋沖は広い範囲で中小規模の地震が頻繁に発生する場所である。東北地方の太平洋沖で断層がどのようにずれていったかは、地震波形・地殻変動・津波データーを用いて解析した結果、午後2時46分18秒では宮城県沖のプレート境界で最初のずれが発生した。この境界周辺の範囲で終わっていればマグニチュードは8クラスであった。1-2分後にはずれの範囲が発生点の東つまり日本海溝に近い領域の応力が高まり、づれの範囲が日本海溝に達した。海溝はプレート境界の端であり、もはやずれを抑制する領域は存在しない。こうして2-3分後に日本海溝に沿ってずれは南北に拡大した。3-4分後にはずれは茨城県沖まで拡大してやっと停止した。5分間の出来事であった。さて本書の主題である南海トラフは駿河湾の一番奥の富士川河口から四国の足摺岬の沖まで伸びている。一番新しい巨大地震は1946年四国沖を震源とした「昭和の南海地震」である。1944年には紀伊半島沖の熊野灘を震源とする「昭和の東南海地震」が発生している。その前の巨大地震は1854年四国沖で発生した「安政の南海地震」と「安政の東海地震」である。さらにその前の超巨大地震は1707年に発生した「室永地震」である。この地震は遠州灘から四国沖にまで広がった。安政から宝永自身までの間隔は147年、安政から昭和の地震までの間隔は90年であった。さらに古い巨大地震の記録は600年頃までさかのぼることができる。新しい順に述べると、1605年「慶長の地震」、1498年「明応の地震」、1361年「正平の地震」、1099年「康和の地震」、1096年「永長の地震」、887年「仁和の地震」、684年「白鳳の地震」である。これら一連の巨大地震は100年から200年の間隔で発生している。これフィリッピン海プレートと呼ばれる海底が南海トラフからに西日本の地殻の下に、北西向きに沈み込んでいることが原因である。その速度は1年間で5cmほどで、100年間で5mである。このため西日本の地殻は北西方向に縮んでいる。だから確実にプレート境界にかかる力は高まって(歪は蓄積されて)きているので、板バネ(地殻)がはじける時に巨大地震は必ず発生する。

(つづく)
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