ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 白井 聡著 「戦後の墓碑銘」 (金曜日 2015年10月)

2017年03月11日 | 書評
永続敗戦レジームのなかで対米従属路線と右傾化を強行する安倍政権の終末 第12回

2) 「永続敗戦レジームの中の安倍政権」 (その4)

⑥ 「イスラム国」が日本の戦後を終わらせる
武装組織「イスラム国」による邦人人質殺害の声明は次のように安倍首相に宣言する。「安倍よ、勝ち目のない戦いに参加するというお前の無謀な決断のために、このナイフはケンジを殺すだけでなく、お前の国民を場所を問わず殺戮する。日本にとって悪夢が始まるのだ」 この在外邦人のみならず日本国内への宣戦布告、テロ宣言の実効性は不明であるが、9.11以来の対テロ戦争に日本政府と日本国民が完全に巻き込まれたことは確実である。二人の日本人がISによって殺害されたというのに、官邸では戦慄するというより何やら嬉しげにはしゃいでいる様子が伝わってくる。いよいよ戦争が近いというはしゃぎ様である。改憲より先に戦争することで、改憲がより容易にできるのである。米国と交渉して不平等安保条約を解消し日本の真の独立を勝ち取るより、戦争に持ち込んで国内問題を一挙に解決するのは権力者の常套手段である。国内問題とは財政破綻、経済成長、国防軍の創設、制憲等の解決である。人質救出のために自衛隊派遣する方向へ踏み出すかとどうか、それは曖昧なままである。2004年のイラク戦争当時の人質事件では政府主導で「自己責任論」が吹き荒れた。が今回の人質事件では湯川氏の怪しげな「死の商人」的商売のも関わらず、自己責任論は皆目出てこなかった。消極的平和主義から積極的平和主義への転換と、自己責任から政府責任への転換は相関関係にある。画期的な政策変更を行いながら、その転換の影響を最小限にとどめておこうとして、あの対応の曖昧さが出てきたのであろう。安倍首相は、「日本人には指一本触れささない」というその勇ましい言葉と裏腹に、やはり戦後レジームの実態のとりこ状態にあると見なければならない。

⑦ 「永続敗戦国」の憲法に優先する「米国との約束」-安保法制が示した二重の法体系
集団的自衛権の行使容認は疑いなく参戦を意味する。単なる殺し文句ではないだろう。それは同時に自衛隊あるいは他国民を殺し殺される運命に日本人を追い込むことになる。明治維新以来日本は絶え間ない戦争をやり続けてきた。西南戦争から台湾併合、日清戦争から朝鮮併合、日露戦争、第1次世界大戦中のシベリア出兵と中国山東半島占領、満州国樹立から日中戦争、英米を相手とした太平洋戦争とほぼ10年に一度は海外派兵と侵略を行ってきた。それによって軍需産業よ運輸産業、資源獲得といった経済面の効果のみならず、西欧による植民地化を遁れた日本政府は、逆に途上国への侵略と領土拡大・植民地化を行った。戦後70年は全く戦争を行っていない。徳川幕府の260年間の平和に比べるとまだ短いが、近代化のスピードの速い時期に戦後70年間の平和と繁栄の歴史は極めて珍しいというべきだろう。今回日本政府は、集団的自衛権の行使容認と安保関連法案の成立によって、厳しい批判を招いている。一つは手続き論から改憲が先という批判、二つは本当に日本の安全保障に貢献するのかという批判である。安倍首相のやっていることは、米国のアーミテージ報告「集団的自衛権行使がないことが、日米同盟の障害になっている」という要請に忠実に答えることであった。「無制限対米従属レジーム」の支配層にとって、真に従うべきは日本の憲法ではなく、米国との約束以外の何物でもない。安倍首相らの権力側の本質がこの安保関連法制の整備において明白になってきた。安倍首相らは傀儡政権というと時代錯誤的な表現になるならば、すくなくとも米国の利益代理人エージェンシーである。安倍首相らは「戦後レジーム」の脱却の正統的な手法がなぜ取れないのだろうか。むしろますます対米従属を純化し深め「売国奴」的な役割に嬉々として従事している。明らかになったのは彼らの傲慢な態度の見かけに隠された、本質的な自信のなさである。彼らの権力とは、その起源において。敗戦を米国の庇護のもとにごまかすことで守らてきたものだ。日本国民への裏切りによって維持される権力である以上、権力を一度でも手放すと彼らは永久に立ち直れないことを知っている。だから彼らは正攻法を取る代わりに、詭弁そのものの憲法解釈をごり押しするほかないのだろう。

(つづく)
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