ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 白井 聡著 「戦後の墓碑銘」 (金曜日 2015年10月)

2017年03月08日 | 書評
永続敗戦レジームのなかで対米従属路線と右傾化を強行する安倍政権の終末  第9回

2) 「永続敗戦レジームの中の安倍政権」 (その1)

① 「永続敗戦レジーム」はどうして壊れてゆくのか

2014年「ワセダアジアレビュー」15号に掲載された論文である。内容は2013年末の安倍首相の靖国神社参拝と沖縄仲井間知事による辺野古沖埋め立て許可の問題を取り上げて、「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍首相のの目論見が明確な形となった事態を考察するものである。ここで安倍首相の掲げる「戦後レジームからの脱却」と著者が言う「永続敗戦レジーム」とは同じことであると断っておく。主体が異なるだけで実質的には同じことを指している。この国の支配的権力層における「戦後レジーム」の内的本質に対する無理解こそが問題であった。権力側はこれを「米国との緊密な友好・同盟関係」と呼び、批判的な国民はこれを「対米従属」と呼ぶ。安倍政権が目指してきた対外政策は、東アジア地域での日本の孤立性を高める一方、集団的自衛権行使の解釈変更によって、日米の軍事同盟をより緊密に、対米従属的性格を強めるものであった。1960年安保改定において、岸首相(安倍のお爺さん)は前任の石橋湛山政権の第3極的相対政策を切り捨て、文面での日米対等性を潤色するだけで米国との無条件的連携を深め、米軍基地(沖縄だけでなく)の駐留継続を決定づけることになった。安倍首相の「積極的平和主義」とは、戦後の吉田首相に源を発する消極的平和主義(自国が加害者にならないことと、軍事より経済優先政策で保守本流の基本スタンスとなった)を戦後レジームといって、これから脱却することを基本テーゼにする安倍首相は、具体的には「非核三原則など防衛政策の見直し」、「米軍再編への協力と集団的自衛権の行使容認」、「武器輸出三原則の見直し」、「情報体制の強化」を挙げている。どこの国でも戦争を掲げる国はいない、平和という価値を尊重しそれを侵す「他国の脅威」によって自国の軍事行動を正当化するのが常である。つまり積極的平和主義の「戦争することを通じた安全の確保」への変換を、安倍首相や保守権力者は狙っている。冷戦終了後は国連主義は後退し、英米の「有志連合」的な同盟で戦争にあたることが主流となった。すなわち日米同盟の強化である。積極的平和主義と日米同盟の強化は必ずしも論理的につながらない。これは米国=世界という短絡がその原因である。欧州やアジアが入ってこないひどい視野狭窄症である。安倍が言う「戦後レジームからの脱却」とは「永続敗戦レジームの究極的純化」を通じた自己破壊につながることを認めたくないようだ。これは戦争に負けたということを認めたくない「否認」と深く関連した二重性を持っている。国内およびアジアに対しては敗戦をできる限り曖昧にし、一方米国に対しては敗北を無条件降伏として対米従属を無制限に認めざるを得ないという二重性である。しかし冷戦構造が終わった1990年初めに、経済成長が終わってバブル崩壊後のデフレが日本を覆った。この二つの事象は本来直接的な関係はない(冷戦需要で経済が高回転していたとするなら関係性は出てくるが)はずである。この時を契機に米国は「年次構造改革要望書」やTPPに代表されるように、米国にとって日本は収奪の対象に変化した。冷戦崩壊後の歳月と経済的な「失われた20年」はほぼ重なっている。この失われた20年は経済成長だけでなく、日本型企業社会の崩壊、格差拡大、非正規労働者増大、少子高齢化の進行、財政破綻、東アジア近隣友好関係など全面的な変化が起きていた。

(つづく)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加